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2018年8月31日 (金)

野猿街道②

2018年8月28日

大塚・帝京大学駅(多摩モノレール)・・・熊野神社・・・堀之内洗馬川公園・・・北八幡神社・・・大栗川橋(大栗川)・・・稲荷神社・・・浅間神社・・・川幡橋(大田川)・・・松木台公園・・富士見台公園・・・大石やかた公園・・・さんもり橋(大栗川)・・・武相十三番聖観世音札所・・日枝神社・・玉泉寺・・・永林寺・由木城跡・・・野猿峠・水飲み場跡・・・(光照寺)・・・北野街道合流地点・・・北野駅(京王線)

   【ル-ト地図

Img_8687熊野神社 《地図

鳥居の後ろに神木の大公孫樹(イチョウ)がそびえる。文久元年(1861)の植樹とか。

Img_8681説明板(大イチョウ)

Img_8688熊野神社前の旧道を行く。

Img_8674洗馬川公園 《地図

このあたりは堀之内という地名で、向かい側に番場公園、近くに京王堀之内駅もある。この付近に後北条氏の家臣ともいう植松太郎屋敷があったとも。西には大石やかた公園、殿ヶ谷戸バス停もあり、戦国武将らの屋敷・館跡のゆかりの名が残っている。

Img_8664北八幡神社

由木城主(後述)だった大石定久の弟の大石宗虎の再興という。

Img_8666_2説明板

「宗虎のの前の樹齢数百年の百日紅」は、「大石やかた公園」の東側の高台?にあるそうだ。『戦国武将列伝Ω

Img_8668甘酒地蔵(北八幡神社境内)

三体ともか?

Img_8667説明板

Img_8661大栗川橋から大栗川上流方向

Img_8658稲荷神社・津島牛頭天王社 《地図

Img_8656浅間神社

松木七郎屋敷跡という。

Img_8653松木七郎の墓(宝篋印塔)

鎌倉公方足利持氏の幕下であった松木七郎の墓とされているが、碑面に永和2年(1376)と刻まれていたといい、持氏の時代とは合わない。

Img_8652説明板

Img_8648川幡橋から大田川(上流方向)

Img_8646松木台公園 《地図

ここは小田屋敷跡のようだが説明板などはない。

Img_8634富士見台公園

南側の首都大学東京の構内に井草屋敷があったようだ。

Img_8642竪穴住居跡(復元・富士見台公園の史跡広場)

Img_8641説明板

Img_8630大石やかた公園 《地図

Img_8626武相十三番聖観世音札所地図

玉泉寺の札所で聖観世音菩薩像が安置されている。裳が蓮台にまでかかっている宋風のつくりであることから、「もかけの観音」と呼ばれているそうだ。

Img_8621日枝神社 

Img_8618玉泉寺

Img_8577永林寺全景図

総門から本堂まで一直線に並ぶ四天王寺式伽藍配置で、境内は広く建物も立派な寺で、墓地の北に由木城跡。

Img_8589説明板

戦国時代、滝山城主大石定久が開基となり、叔父である一種長純を開山として創建した。

Img_8616総門

Img_8574説明板

Img_8615十六羅漢・三門

Img_8582説明板

Img_8583中雀門(勅使門)

Img_8584説明板

Img_8585本堂

Img_8590説明板

Img_8587豊川殿

Img_8586説明板

Img_8612鐘楼

Img_8611三重塔

Img_8594岩船地蔵(享保4年(1719))

左はお地蔵さんというよりお爺さんだ。

Img_8596説明板

Img_8600大石定久墓

大石定久は天文18年(1549)、野猿峠で浄福寺城(松竹城)方向を望見して自害したという伝承があり、墓はもとは峠の上にあった。

Img_8597説明板

Img_8602由木城跡(大石定久館跡)

Img_8604大石定久像

Img_8570野猿峠へ長く緩い上りとなる。

Img_8569もう秋だねえ~

Img_8564でも日が照ると非常に蒸し暑い。

Img_8562野猿峠ハイキングコースはここへ通じていたのか?

私有地で立入禁止だが迂回コースもあるようだ。

Img_8560野猿峠

大石定久の墓は永林寺へ移され、峠の一本松の下の高さ60cmの「大石公故蹟」碑は見当たらない。

Img_8546水飲み場跡 《地図

猿の親子が浮き彫りされている。

Img_8545説明板

Img_86932五年生の時の野猿峠への遠足の写真(1958年10月)

ここは峠のどのあたりなのか?今はこんなスペースはないようだが、何せ60年も前のことだ。みんな晴れやか、にこやかな顔をしている。夢もチボーもあったのだろう。バスで往復した記憶しかないが、木の杖を持っている子もいるし、ハイキングで少しは歩いたのだろうか?肖像権の侵害になるかな?

Img_8552水飲み場跡脇の階段を上って光照寺を目指すのだが・・・。

Img_8553風情ある切通しを抜けて行くが、この先は住宅街で起伏のある道をうろつくが光照寺への入口は見つからずに、なんとか野猿街道に戻る。

Img_8559やっと光照寺参道入口だが「立ち入りお参り禁止」とは情けない。《地図

Img_8542大石定久が望見した浄福寺城方向を眺めながら下って行く。

Img_8536絹が丘二丁目交差点から都道から離れ細い道に入って下り、打越交差点の手前で北野街道に出た。《地図

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2018年8月29日 (水)

野猿街道①

2018年8月20日

谷保駅(JR南武線)・・・甲州街道谷保天満宮・・・関家かなどこ跡・・常夜灯・・・国立インター入口交差点・日野バイパス・・・青果市場東交差点・野猿街道(都道20号)・・・(府中市)・・・(中央道)・・・(三社宮)神明社・・・四谷自然樹林・・・一の宮の渡し碑・・・府中四谷橋(多摩川)・・・(日野市)・・(多摩市)・・真明寺・・・小野神社(一の宮)・・庚申塔・地蔵祠・・・一ノ宮の渡し標柱・・・(京王線踏切)・・・一ノ宮交差点(川崎街道交差地点)・・・宝蔵橋(大栗川)・・・殿田橋(大栗川)・・・中和田天神・・・(八王子市)・・・最照寺・・大塚八幡神社・・・大塚・帝京大学駅(多摩モノレール)

 甲州街道の谷保天満宮の南方から多摩川を渡り、野猿峠(標高160m)を越えて北野街道に通じる野猿街道を行く。

  【ル-ト地図

Img_8456青果市場東交差点 《地図

ここで左折して南に進むのが野猿街道(都道20号)

国立市から府中市に入る。

Img_8461三社宮(神明社) 《地図

左端は府中の名木百選の「三社宮のケヤキ」だが、元気がないようだ。

Img_8465説明板

Img_8468四谷自然樹林 《地図

ここも樹林というほどのことでもない。

Img_8471一の宮渡し碑 《地図

明治13年に開設され昭和12年の関戸橋の開通まで続いた。幕末頃には 一の宮と中河原とを結ぶ渡しがあったようだ。「一の宮」は対岸の小野神社のこと。

Img_8473_2碑文

Img_8474渡し前の多摩川

河川敷で流れは見えない。

Img_8477府中四谷橋(多摩川)を渡る。

1998年竣工の斜張橋

Img_8479多摩川(下流方向)

渡って日野市からすぐに多摩市に入る。

Img_8485小野神社(武蔵国一の宮)

武蔵国の一宮は戦国期以来今日まで氷川神社(さいたま市大宮区)とするのが一般的だが・・・。
『古代の東国②』(荒井秀規著・吉川弘文館)によれば、「延喜式の神名帳にも小野神社が小社なのに対して氷川神社は名神大社で、神階も小野神社が元慶8年(884)に正五位上に昇叙されているが、氷川神社はすでに元慶2年には正四位上だった。武蔵国総社の大國魂神社暗闇祭では小野神社が一宮で、氷川神社は三宮とされている。おそらく平安後期に武士団勢力との関係で小野神社(小野姓横山党西党)が浮上して一宮となったのではなかろうか。氷川神社の奉斎一族であった足立郡司武蔵宿禰氏の零落は、「更級日記」の武蔵武芝伝説にもうかがえる。しかし、戦国期になると氷川神社が再浮上し、江戸時代には幕府の加護は小野神社よりも篤かった」とある。

Img_8487説明板

木像随身倚像

Img_8496庚申塔(右・寛延4年(宝暦元年・1751))・地蔵(一ノ宮児童館前)

庚申塔は真ん中あたりで折れ、青面金剛像も崩れかかっている。

Img_8497一ノ宮渡し標柱 《地図

Img_8498渡し風景

Img_8404川崎街道交差地点(一ノ宮交差点) 《地図

Img_8504宝蔵橋から大栗川(下流方向)

Img_8511中和田天神 《地図

Img_8513石段上に拝殿はなくいきなり本殿?

八王子市に入る。

Img_8519最照寺

同じ敷地にある大塚八幡神社の別当寺。

Img_8525大塚八幡神社

大塚(古墳)の上にある。大塚はこのあたりの地名にもなっている。

Img_8528大塚・帝京大学駅(多摩モノレール

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2018年8月19日 (日)

川崎街道②

2018年8月18日

高幡不動駅(京王線)・・・川崎街道(都道41号)・・・観音院・・・(多摩都市モノレール)・・・三沢橋(程久保川)・・・(京王動物園線)・・・八幡神社・・・下郷公園・・・松連寺坂・・・砂土地蔵尊・・・三沢砂土緑地・・・百草園・・百草八幡宮・・・松連寺坂下公園・・・大宮神社・・・真照寺・・・聖蹟桜ヶ丘10号踏切(京王線)・・・神明神社・・・落川遺跡・・・聖蹟桜ヶ丘7-2号踏切・・・一ノ宮交差点(野猿街道交差地点)・(多摩市)・・九頭龍神社・・・新大栗橋交差点(鎌倉街道上の道交差地点)・・・向ノ岡大橋(大栗川)・・・(対鷗台公園)・・連光寺坂・・・智願寺・・・桜ヶ丘公園・・・連光寺調圧水槽・・・(桜ヶ丘カントリークラブ)・・・(稲城市)・・・(瓦谷戸窯跡あたり)・・・南多摩水再生センター・・・医王寺・・・大丸交差点(府中街道接続地点)・・・南多摩駅(JR南部線)

  【ル-ト地図

Img_8336八幡神社地図

Img_8346松連寺坂の坂下近く 《地図

右に砂土地蔵尊の祠。ここから百草園(松連寺跡)まではけっこう長い急坂となる。

Img_8347砂土地蔵尊

Img_8342説明板(川崎街道沿いの松連寺坂下公園に設置)

Img_8382左端は「松連寺道」と彫られた馬頭観音(天保13年(1842))

大田南畝は「武蔵野の百草のすえをわけゆけば つらなる寺もこそあれ」と詠んだ。落語『蜀山人

Img_8376坂下方向

右の崖に三沢砂土緑地の説明板

Img_8379説明板

Img_8375坂上近く

右が百草園だがまだ9時前で開園していない。

Img_8362百草八幡宮

松連寺が別当寺だった。

Img_8367阿弥陀如来堂

銅造阿弥陀如来坐像」(国重文)を安置。右後方に「松連寺の石碑」が立つ。

Img_8366説明板

Img_8371百草園内(百草八幡宮から)

Img_8385大宮神社

ここも昨日歩いた七生丘陵散策路の道筋の一つ

急な石段の途中にある社務所?の下をくぐってさらに上る。

Img_8388社殿

Img_8393神明神社 

Img_8397落川遺跡 《地図

古墳時代から平安時代までの集落遺跡

Img_8395説明板

Img_8405野猿街道交差地点(一ノ宮交差点)

多摩市に入る。

Img_8406九頭龍神社

Img_8407鎌倉街道(上の道)交差地点(新大栗橋交差点)

Img_8409向ノ岡大橋から大栗川上流方向 《地図

正面で乞田川が合流する。

Img_8414連光寺坂(坂上近く) 《地図

右一帯は桜ヶ丘公園、正面の塔は連光寺調圧水槽。このあたりは『多摩市の坂①』に記載。

Img_8421坂下方向

Img_8426屋根付きの道路を下る。

金網だから雨は落ちて来る。

Img_8427稲城市に入ると屋根はない。

途中に瓦谷戸窯跡があるはずだが案内板などは見当たらなかった。道路の反対側だろうか?

Img_8431南多摩水再生センター

Img_8432医王寺

Img_8434府中街道接続地点 《地図

ここを北野街道・川崎街道歩きの終点として南多摩駅から南武線で府中本町駅に出て、東京競馬場に向かった。

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2018年8月18日 (土)

北野街道②・川崎街道①

2018年8月17日

北野駅(京王線)・・・打越大橋(湯殿川)・・・北野街道(都道173号)・・打越交差点(野猿街道分岐地点)・・・北大畑橋・・・ほたる公園・・・稲荷祠・・・(日野市)・・・平山城址公園・・季重神社・・七生丘陵散策路・・・子育地蔵堂・・・北野街道・・・徳善院・・・田中稲荷大明神・・・石橋供養塔・石橋供養仏堂・・・寿徳寺・・・平橋・・八坂神社・・・金剛寺旧跡公園・・・高幡城址・高幡不動・・(川崎街道)・・高幡不動駅(京王線)

  【ル-ト地図

Img_8212稲荷祠

右は庚申塔(宝暦10年(1760))と地蔵

日野市に入り、右折して平山城址公園に向かう。

Img_8220平山城址公園の六国台へ上る。

陽射しは強いが今日はカラッとしていてさほど暑さは感じない。

Img_8222案内図

野猿の尾根道は六国台の先で途切れているようだ。

Img_8228六国台から武甲山・武川岳方向

Img_8233猿渡池

野猿も多くいたのだろう。

Img_8242季重神社地図

平山周辺には平山季重の居館があり、平山城址公園には見張所があったとされている。

鳥居の前から七生丘陵散策路を下る。

Img_8251子育地蔵の祠と馬頭観音

平山城址公園駅近くで北野街道に戻る。

Img_8259徳善院

Img_8265田中稲荷大明神 《地図

Img_8271石橋供養塔(左前・明和2年?(1765))・石橋供養仏堂 《地図

左側に小さな流れに石橋が架かっていたのか?

Img_8277石橋供養仏堂の前の坂を上って左折して北野街道に戻る。

Img_8279寿徳寺

夢殿を模した八角形の本堂。左の宝篋印塔は日野市域浅川以南では高幡山金剛寺(高幡不動)と寿徳寺のみで見られるものという。

Img_8282八坂神社

高橋橋南交差点で北野街道は川崎街道と名前を変えるが、手前で右に入って獨地蔵から高幡城址へ向かうが、獨地蔵は見つからなかった。地図には載っているのだが、見落としたか?

Img_8284金剛寺旧跡公園 《地図

かつてはこの公園を含むあたり一帯が金剛寺(高幡不動)の境内だった。

Img_8283説明板

高幡不動の敷地の西側に沿って上り、南から都立多摩丘陵自然公園に入って高幡城址へ向かう。

Img_8294見晴台から西方向の眺め

Img_8305高幡城址

この上が本丸跡。麓には根小屋陣川戸などの地名が残っているそうだ。

Img_8308高幡不動(金剛寺)鐘楼

境内案内図

Img_8311大日堂

Img_8313_2五重塔

Img_8316不動明王(本尊・奥殿)

Img_8315説明板

Img_8318高幡不動本尊像内文書(国重文)

常陸合戦に高師冬軍に動員されて戦死した、日野土渕に所領を持つ山内経之が家族などに送った書状。

Img_8319

Img_8327仁王門

川崎街道を横切って高幡不動駅に出た。

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2018年8月13日 (月)

北野街道①

2018年7月26日

高尾駅(JR中央線)・・・町田街道・・・高楽寺・・・館町交差点・・・西明神橋(湯殿川)・・御霊神社・・明神橋・・・宝泉寺・・・地蔵祠・・ゆりのき台団地入口交差点・・・御嶽神社・・・椚田遺跡公園・・・山王坂・・・要石交差点・・要石説明板・・・大林寺・・・白山神社・・・長慶寺・・・稲荷神社・・・斟珠寺・時田弁財天・・・片倉町交差点・浜街道(絹の道)交差地点・・・打越橋(湯殿川)・・打越町土入立体(JR横浜線)・・・打越八幡神社・・梅洞寺・・・打越交差点(国道16号)・・打越大橋(湯殿川)・・・北野駅(京王高尾線)

 高尾駅近くの甲州街道から南に分かれる町田街道を進み、館町交差点で左(東)に分岐する北野街道を川崎街道に接続する高幡不動手前の高幡橋南交差点まで行き、川崎街道を府中街道との合流地点の大丸交差点まで行く。

  【ル-ト地図

Img_8083高楽寺

桜姫」と呼ばれる樹齢200年の紅しだれ桜。

Img_8082説明板

Img_8086この先の館町交差点で左に北野街道が分岐する。《地図

右の塔は末日聖徒イエスキリスト教会高尾ワード

Img_8095御霊神社

祭神は鎌倉権五郎景政。左の杉の木の上にコノハズクの親子がいるらしい。多くの人が写真を撮っている。

Img_8094正面の杉にコノハズクの親子がいるというが拙者には見えない。

Img_8100明神橋から湯殿川(下流方向) 《地図

川の名前の由来

Img_8102地蔵の祠 《地図

Img_8103地蔵らしくないが後ろに貼ってある紙には地蔵とある。

Img_8109御嶽社 《地図

Img_8121椚田遺跡公園

縄文時代中期のムラの敷石住居跡(復元)

Img_8115説明板

Img_8131山王坂を下って北野街道に戻る。《地図

近くに日枝神社は見当たらないが。

Img_8135要石」の由来話

弘法大師伝説の一つ。

Img_8137これが要石のようだが・・・(要石交差点の先の左側の長い名前のマンションの前の植込みの中)

Img_8138大林寺

Img_8143白山神社へ山道のような薄暗い坂道を上る。

神社は見当たらず、坂上の京王高尾線あたりまで上ってしまった。神社は右上の時田斜面緑地内にぽつんとひっそりとある。

Img_8151白山神社 《地図

なんとこんな小さな社とは思わなかった。

Img_8150長慶寺(白山神社の境内?から)

Img_8156稲荷神社

Img_8154説明板

Img_8163時田弁財天(湧水池の中の島)・斟珠(しんしゅう)寺地図

Img_8165浜街道交差地点(片倉町交差点)

浜街道沿いに片倉城跡公園がある。

Img_8170打越橋から湯殿川(上流方向)

打越町土入立体でJR横浜線をくぐる。「土入」はこのあたりの小字名。

Img_8174打越八幡神社地図

Img_8175縁起

Img_8179梅洞寺

打越交差点までとし、打越大橋(湯殿川)を渡って北野駅に出た。

Img_8189もう真夏だというのにまだ巣立っていないのか。餌を運ぶ親ツバメも大変だ。(ここは北野駅ではない)

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