野猿街道①
2018年8月20日
谷保駅(JR南武線)・・・甲州街道・谷保天満宮・・・関家かなどこ跡・・常夜灯・・・国立インター入口交差点・日野バイパス・・・青果市場東交差点・野猿街道(都道20号)・・・(府中市)・・・(中央道)・・・(三社宮)神明社・・・四谷自然樹林・・・一の宮の渡し碑・・・府中四谷橋(多摩川)・・・(日野市)・・(多摩市)・・真明寺・・・小野神社(一の宮)・・庚申塔・地蔵祠・・・一ノ宮の渡し標柱・・・(京王線踏切)・・・一ノ宮交差点(川崎街道交差地点)・・・宝蔵橋(大栗川)・・・殿田橋(大栗川)・・・中和田天神・・・(八王子市)・・・最照寺・・大塚八幡神社・・・大塚・帝京大学駅(多摩モノレール)
甲州街道の谷保天満宮の南方から多摩川を渡り、野猿峠(標高160m)を越えて北野街道に通じる野猿街道を行く。
【ル-ト地図】
ここで左折して南に進むのが野猿街道(都道20号)
国立市から府中市に入る。
左端は府中の名木百選の「三社宮のケヤキ」だが、元気がないようだ。
四谷自然樹林 《地図》
ここも樹林というほどのことでもない。
一の宮渡し碑 《地図》
明治13年に開設され昭和12年の関戸橋の開通まで続いた。幕末頃には 一の宮と中河原とを結ぶ渡しがあったようだ。「一の宮」は対岸の小野神社のこと。
河川敷で流れは見えない。
1998年竣工の斜張橋
渡って日野市からすぐに多摩市に入る。
小野神社(武蔵国一の宮)
武蔵国の一宮は戦国期以来今日まで氷川神社(さいたま市大宮区)とするのが一般的だが・・・。
『古代の東国②』(荒井秀規著・吉川弘文館)によれば、「延喜式の神名帳にも小野神社が小社なのに対して氷川神社は名神大社で、神階も小野神社が元慶8年(884)に正五位上に昇叙されているが、氷川神社はすでに元慶2年には正四位上だった。武蔵国総社の大國魂神社の暗闇祭では小野神社が一宮で、氷川神社は三宮とされている。おそらく平安後期に武士団勢力との関係で小野神社(小野姓横山党・西党)が浮上して一宮となったのではなかろうか。氷川神社の奉斎一族であった足立郡司武蔵宿禰氏の零落は、「更級日記」の武蔵武芝伝説にもうかがえる。しかし、戦国期になると氷川神社が再浮上し、江戸時代には幕府の加護は小野神社よりも篤かった」とある。
「木像随身倚像」
庚申塔(右・寛延4年(宝暦元年・1751))・地蔵(一ノ宮児童館前)
庚申塔は真ん中あたりで折れ、青面金剛像も崩れかかっている。
一ノ宮渡し標柱 《地図》
宝蔵橋から大栗川(下流方向)
八王子市に入る。
同じ敷地にある大塚八幡神社の別当寺。
大塚(古墳)の上にある。大塚はこのあたりの地名にもなっている。
大塚・帝京大学駅(多摩モノレール)
| 固定リンク
「旅行・地域」カテゴリの記事
- 坂道散歩(2021年11月~2022年6月)追加分(2022.06.20)
- 結城街道⑥(下館駅→日光街道合流地点)(2020.07.02)
- 結城街道⑤(岩瀬駅→下館駅)(2020.06.29)
- 結城街道④(稲田駅→岩瀬駅)(2020.06.23)
- 結城街道③(内原駅→稲田駅)(2020.06.19)
コメント