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2019年1月30日 (水)

川口市の坂②

2019年1月29日

戸塚安行駅(埼玉高速鉄道)・・・(木花橋)・・稲荷社・・・(赤山街道交差地点)・・・持宝院・・・(東京外環道)・・・氷川公園・安行氷川神社・・・(山王社)・・・庚申塔・・庚申塔祠・・興禅院・・・矢倉稲荷社・・・神明社公園・・・島稲荷神社・・・赤堀用水・・・ふるさとの森入口・・・半縄坂・・・密蔵院・九重神社・・安行自然の森・・・平岡坂・・・安行原の蛇造り・・・金剛寺・・・(首都高川口線)・・・氷川神社(安行吉岡)・・・宝厳院・・慈林寺薬師堂・・・県道328号・・・本町二丁目交差点・・御成坂(日光御成道)・からくり時計(御成坂公園)・・吹上橋(見沼代用水東縁)・・・鳩ケ谷駅(埼玉高速鉄道)

  【ル-ト地図

Img_0085稲荷社 《地図

れっきとした「正一位」の社だが。

Img_0087植木の里 安行」のとおり、植木畑・園芸農家などが並んでいる。

花山下交差点で赤山街道(越谷道)を横切る。

Img_0089持宝院へ切通しの坂を上る。

この道は新しい道か、私有地内の道かも。

Img_0090持宝院 《地図

Img_0091安行八景」①

安行の3俳人の句碑と墓があるので俳句の寺と呼ばれているようだ。図らずも「安行八景」すべてを巡る坂道散歩となった。

東京外環道を渡る。

Img_0095安行氷川神社へ上る坂

Img_0099安行氷川神社

「安行八景」②の「ふるさと歩道安行氷川神社」

Img_0100由緒

この先、興禅院に向かうのだが途中で方向を誤って赤山城跡東の山王社の前あたりに出てしまった。(【ル-ト地図】は歩いたままを書いている)

Img_0107三猿庚申塔(年代不明) 《地図

少し手前にも露座の青面金剛庚申塔(享保2(1717))が立っている。

Img_0111興禅院

「安行八景」③の「野鳥の森興禅院と振興センター」

Img_0114鐘楼の向こうは蠟梅(ろうばい)

Img_0119矢倉稲荷社 《地図

Img_0125神明社・稲荷社 《地図

ここは神明社公園で神明院(宝厳院の末寺)の跡地ともいうようだ。

Img_0127島稲荷神社への坂を下る。 《地図

なかなか雰囲気のある坂だ。坂の名前はあるのだろうか?

Img_0129島稲荷神社

由緒など分からず。

Img_0133赤堀用水沿いを進む。《地図

Img_0136ふるさとの森入口

この中に割坂六兵衛坂がある。『川口市の坂①

Img_0138半縄坂(坂上方向) 《地図

南西方向に上る坂。

Img_0140坂下方向

Img_0148「半縄坂開鑿紀念」碑

九重神社の境内にある。

Img_0150九重神社

このあたりは久保山と呼ばれる丘陵地で、平将門が砦を築いたという伝説も残り、隣の密蔵院の本尊の延命地蔵菩薩は将門の念持仏の伝承を持つという。

Img_0151由緒

Img_0145密蔵院山門

「安行八景」④の「久保山と密蔵院」、川口七福神の大黒天。

Img_0146説明板

Img_0155平岡坂 《地図

安行小学校南交差点から南東に下る坂。右は八幡坂となって峯ヶ岡八幡神社へと続いている。

Img_0157坂下方向

坂上近くに「安行八景」⑤の「平岡坂のケヤキ並木」の表示板があるというが見当たらず。ケヤキ並木もなくなり取り外されたか?

Img_0162安行原の蛇造り 《地図

「安行八景」⑥の「蛇づくりと地蔵さん」で正面奥が地蔵、藁で造った蛇はやぐらの上に乗っている。

Img_0166蛇というより大わらじのようだ。

Img_0163説明板

北に金剛寺を目指すが、北西からの強風で歩きづらく、帽子は飛ばされるので手に持って進む。

Img_0184西風よけになってくれる。《地図》あたり

Img_0173金剛寺参道

「安行八景」⑦の「植木の開祖金剛寺」で、「安行苗木開発の祖」という吉田権之丞の墓があるが、「お灸の寺」として有名だ。

Img_0180説明板

Img_0177山門

Img_0179説明板

Img_0185氷川神社(安行吉岡) 《地図

Img_0186説明板(銅造懸仏)

Img_0189宝厳院仁王門

Img_0191説明板

Img_0207宝厳院本堂

Img_0190説明板

Img_0206慈林寺薬師堂

「安行八景」⑧

Img_0208宝厳院と慈林寺薬師堂の間を下って県道328号に出て、本町二丁目交差地点で日光御成道に出る。

Img_0216御成坂を下る。

御成坂公園のからくり時計は、15時の作動でまだ早過ぎた。鳩ケ谷市はなくなったから鳩は出ないで人形が出るか。

Img_0221吹上橋から見沼代用水東縁(上流方向) 《地図

Img_0223吹上橋を渡ったあたりから御成坂方向(明治25年頃)

橋の袂に火の見に半鐘が下がっている。

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2019年1月26日 (土)

さいたま市の坂⑤

2019年1月24日・25日

大宮駅(JR京浜東北線)・・・(旧中山道)・・・氷川神社参道・・・堀の内橋(見沼代用水西縁)・・・新橋(芝川)・おかま坂・・・見沼弁財天宗像神社・・大正坂・・・神明神社①・・・(芝川)・・・北袋橋(見沼代用水西縁)・・・北袋天神社・・・旧中山道・高台橋跡・お女郎地蔵・火の玉不動・・(さいたま新都心駅)・・・神明神社②・・・(北与野駅(JR埼京線))・・・赤山街道・・・台の坂・・・赤山橋(鴻沼川)・石橋供養塔・・・一山神社・・・円乗院・・御嶽神社①・・与野公園(銭洗弁天・天祖神社)・・本町坂・・・津島神社・・・庚申堂・・・さいたま芸術劇場・・・円福寺・・・(新大宮バイパス)・上峰交差点・庚申塔道標・・・諏訪坂・・諏訪神社・・・(新大宮バイパス)・・・里見通り・・・妙行寺・・・(埼京線)・・・鈴谷坂・・・里見橋(鴻沼川)・・・(鴻沼排水)・・・二度栗坂・・・大戸氷川神社・庚申坂・・庚申塔祠・・大戸不動堂・・・御嶽神社②・・大戸のお聖さま・・貝塚坂・・稲荷社・・大戸貝塚・・大戸地蔵堂・・・稲荷坂・・・別所沼・別所沼弁財天・・・(旧中山道)・・調神社・・浦和第一女子高校・・あひる坂・・・浦和駅(JR京浜東北線)

  【ル-ト地図

Img_9856氷川神社参道 《地図

社殿までは1kmほどある。

Img_9858堀の内橋から見沼代用水西縁(上流方向) 《地図

Img_9859説明板

6行目に「おかま坂」がある。

Img_9864芝川(新橋から上流方向)

Img_9867おかま坂(坂上方向) 新橋から東へ上る坂 《地図

由来伝説:『ある春うららの日、狩に遠出した徳川三代将軍家光の一行が見沼の渡船場に着くと、”おかま蛙”たちが大声で元気よく鳴いていた。その声を聴いた家光公は大勢の敵に囲まれているような気がして舟から下りることができないでいた。するとお供の大久保彦左衛門が進み出て、「これは蛙たちが将軍の来訪を喜んで歓迎の声を上げているのでございます」と言い、蛙たちに向かって、「ご苦労、ご苦労、もう分かったぞ。その方たちも宿に下がって休むがよい」と命ずると、蛙たちは立ち消すように去って行った。家光は喜んで、「あっぱれ彦左衛門」と褒めて、この渡しを「おかまの渡し」と名づけ、渡船運上金御免としたという。以来、この渡しから上る坂を「おかま坂」というようになった』(「片柳のむかし」(大宮市立片柳公民館)の伝説「おかま坂」を少し改作」

あまり面白くない話だ。そもそも”おかま蛙”とはどういう蛙なのか?

Img_9872坂上近く(中川バス停あたり)

Img_9870坂下方向

Img_9878見沼弁財天宗像神社

竜神伝説は『芝川を歩く②』に記載。

Img_9882大正坂(坂上方向) 南に緩やかに上る坂。 《地図

坂の途中に「大正坂」バス停がある。

Img_9887神明神社① 《地図

Img_9893中川橋の少し下流の芝川

右岸(正面)は大宮南部下水処理センター、遠方は埼玉新都心のビル街。

下流の橋を渡って首都高埼玉新都心線の下の道を南西に向かう。

Img_9902北袋天神社 《地図

Img_9903説明板

Img_9908お女郎地蔵・火の玉不動 《地図

高台橋あたりの旧中山道

Img_9918神明神社② 《地図

Img_9919説明板

Img_9922台の坂(坂下方向) 西へ赤山橋方向へ下る赤山街道(赤山通り) 《地図

右の植込みに坂標が立つ。

Img_9925赤山橋(鴻沼川)・石橋供養塔(享保11年(1726))

赤山街道を進み、子育地蔵・甲子供養塔道標の所で南に入る。

Img_9928一山神社 《地図

「一山」は人名。与野七福神の恵比須神。左は大クスノ木

Img_9932中むらそば店 《地図

前はシラカシの大木

Img_9936円乗院

与野七福神の大黒天。境内は写真撮影禁止だと。

Img_9941御嶽神社① 《地図

与野七福神の弁財天

Img_9937説明板

Img_9940御神の大井戸(再現)

Img_9939説明板

Img_9951与野公園

県内で3番目の公園として明治10年に開園した。

Img_9943銭洗弁天(与野公園内)

銭を洗っている人は見かけなかったが。

Img_9944説明板

Img_9949天祖神社

与野七福神の寿老神

Img_9946説明板

Img_9954本町坂を下る。 《地図

Img_9956坂上方向

Img_9958津島神社 《地図

Img_9960庚申堂(昭和7年建立) 《地図

道路の分岐にあり、夜には明かりが灯されるそうだ。堂内でおじさんたち?が寄り合い中で、庚申塔は見られず。

Img_9962さいたま芸術劇場

Img_9966円福寺

与野七福神の布袋尊。七福神巡りのようになってきたか。

Img_9978庚申塔道標など(上峰交差点) 《地図

背の高い庚申塔(宝永8年(1711))は道標になっていて台座の左側面に「これより 江戸みち」・右側面に「これより 加う志うみち」(「甲州みち」だろう)とある。もとはもう少し南西の交差点あたりにあったらしい。その前の庚申塔(寛政12年(1800)・3つ並んだ真ん中)も道標になっていて「右 大山・・」で、「大山みち」だろう。その後ろは閻魔大王塔(文化14年(1817))、一番前は崩れかかった年代不明の庚申塔。

Img_9971諏訪坂を下る。 《地図

坂下近くの右側に諏訪神社がある。

Img_9973諏訪神社

Img_9986妙行寺

モクコク」は本堂裏にあるようだが、見逃したようだ。

Img_9990縁起

Img_9988板石塔婆(正元2年(1260)の銘)

Img_9987説明板

Img_9991与野の大カヤ・金毘羅天堂 《地図

ここも妙行寺の敷地内

Img_9992説明板

Img_9995説明板

Img_0005鈴谷坂(坂上方向) 鈴谷小学校の北側を緩やかに西に上る坂。《地図

昭文社の都市地図「さいたま市」では、もう一本北側の道に「鈴谷坂」の表示があるが、傾斜はもっと緩い。

Img_0006坂下方向

右の電柱の植込みの中に坂標がある。

Img_0014二度栗坂を上る。 

里見橋(鴻沼川)から東へ中里交差点へ上る坂。《地図

諸国を巡錫中の弘法大師が、この地で栗の実を採ってくれた子供の善行を喜び、一年に二度、栗の実を結ばせたと伝えられる地。坂の途中の北側に二度栗山弘法尊院がある。

Img_0017坂下方向

Img_0020大戸氷川神社(与野七福神ではない) 《地図

Img_0032庚申坂(坂下方向)

大戸氷川神社の北側を西へ下る坂。途中の右側に庚申塔の祠がある。

Img_0030坂上方向

右は馬頭観音の祠。ここは個人の宅地内だ。

Img_0023馬頭観音(文化11年(1814))

Img_0026坂下方向

坂名由来の庚申塔の祠 《地図

Img_0027庚申塔(文化8年(1811))

Img_0033大戸不動堂 《地図

Img_0038庚申塔(寛文13年(1673))

大戸不動堂の境内

Img_0036説明板

Img_0042御嶽神社②

Img_0044大戸のお聖さま 《地図

Img_0045説明板

Img_0048御神体は男根の金精様だ。

Img_0053貝塚坂(坂下方向) 《地図

大戸バス停の交差点から東に下る坂。交差点からは西に「お聖さま」の方へも下って行く。近くに大戸貝塚がある。

Img_0059稲荷社(坂の途中)

この家の屋敷神か。

Img_0061大戸貝塚 《地図

Img_0062説明板

Img_0064大戸地蔵堂

Img_0078稲荷坂(坂下方向) 南に下る坂。 《地図

稲荷社は見当たらなかったが。

Img_0067坂上近く(右に坂標)

Img_0070別所沼

Img_0075別所沼弁財天 《地図

Img_0073由来

東に向かい旧中山道を横切り、調神社を通り、浦和第一女子高校前に出る。

Img_9914あひる坂(北方向) 浦和一女前から北に少し下って上る坂。 《地図

あひるのように、にぎやかにお喋りしながら登下校する女学生たちの様子からこう呼ばれているとか。

Img_9911南(浦和一女)方向

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2019年1月19日 (土)

稲付川を歩く

2019年1月17日

中板橋駅(東武東上線)・・・向屋敷橋(石神井川)・・・久保田橋・・・山中橋(鎌倉街道中の道)・・稲付川跡・・・即得寺・日曜寺・・・智清寺・・・(国道17号)・・・旧中山道交差地点(板橋宿上宿)・・・帝京高校・・・姥ヶ橋延命地蔵・姥ヶ橋交差点(十条・板橋道交差地点(環七通り))・・・遊鯉園の坂下・水車の坂下・・・清水坂下・日光御成道(岩槻街道)交差地点・・・(JR埼京線・JR京浜東北線)・・・(大日本印刷敷地)・・・(稲田小学校)・・・北本通り・北町橋跡・・(開渠)・・・(隅田川合流地点)・・・新神谷橋(隅田川)・・・北本通り・・・志茂駅(東京メトロ南北線)

  【ル-ト地図

 石神井川の板橋区の向屋敷橋付近で取水し、北区へと流れて隅田川に合流する稲付川を歩く。ほとんどの区間が暗渠で、北本通りから隅田川までのわずかな区間だけが開渠となっている。
 稲付の名のつく所は赤羽に、稲付城址(太田道灌)・稲付公園(野間清治の旧別邸跡)・稲付中学校(卓球の新星、木原美悠選手)などがある。

Img_9754向屋敷橋から石神井川(下流方向) 《地図

この橋の少し下流左岸に取水口の根付堰があったようだ。

Img_9752久保田橋の上

本物です。カメラを意識しておつにすましているか。

山中橋(鎌倉街道中の道)の北側から稲付川跡の道筋をたどる。

Img_9759稲付川跡の道 《地図

Img_9765即得寺

慶長13年(1608)、松浦党の流れをくむ松浦肥前守入道順覚により越後国(現新潟市)に創建された。昭和40年に当地に移転した。

Img_9770石橋(日曜寺前) 《地図

「日曜」の由来は何か? 工事中で雑然としている。本尊の愛染明王が藍染に通じることから、染色業の人々の信仰が篤かったそうだ。
石橋は稲付川(中用水)に架かっていたもので、親柱に「神田東松下町 濱田」・「昭和二年五月改修」などと刻まれている。神田の染色業者の寄進だろうか。

Img_9774石橋(智清寺山門内)

正徳4年(1714)に中用水(上郷七か村用水・稲付川)に架けられた橋。明治5年の水争いの時には板橋の農民たちが当寺に立てこもったという。

Img_9773説明板

Img_9779国道16号(中山道)をくぐる。

Img_9780稲付川跡の道は旧中山道の板橋宿を横切る。 《地図

Img_9786旧中山道を横切った所。

少し北側に縁切榎がある。

Img_9792蛇行跡の道筋 

右は帝京高校

Img_9795このあたりは少し上っている。

Img_9797川跡の公園か? 《地図

Img_9799このあたりは工事中

Img_9801姥ヶ橋陸橋下で十条・板橋道交差地点(環七通り)を横切る。

姥ヶ橋延命地蔵が鎮座する交差点だ。

Img_9806歩道橋を北側に下りると川跡の道が続く。《地図

Img_9810住宅の間の道となる。

Img_9812道案内の猫ちゃん

マンホールの下からは水音が聞こえる。

Img_9818遊鯉園の坂(右へ)と水車の坂(左へ)の坂下の谷の道だ。 『北区の坂③』 《地図

Img_9825清水坂下で日光御成道(岩槻街道)を横切る。《地図

JR埼京線などの高架下から大日本印刷赤羽工場(工事中)の敷地内を流れていたのだろう。

Img_9835稲田小学校の敷地内の流路跡か?(歩道橋から) 《地図

Img_9836稲田小学校を抜けた川跡

Img_9839神谷三丁目第3アパート内を通って行く。 

Img_9842車は通れない川跡の道 《地図

Img_9843北本通りを横切るとやっと開渠となる。

Img_9845北町橋の跡が残っている。《地図

Img_9847隅田川の間が開渠で水はあるが流れてなく、淀んで溜まっている感じだ。

川沿いは歩けず隅田川との合流地点までは行けない。

大きく南に新神谷橋まで迂回する。

Img_9851新神谷橋から隅田川上流方向 《地図

隅田川沿いも歩けないようで、ここから合流地点あたりを遠望して稲付川跡歩きの終点とした。

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2019年1月18日 (金)

東京坂道散歩(北区)

2019年1月17日

赤羽駅(JR京浜東北線)・・・日光御成道(岩槻街道)・・・静勝寺坂・静勝寺・稲付城址・・・中坂・・稲付一里塚跡・・・普門院・・・庚申塔道標・真正寺坂・・・香取神社・・・法真寺・・・日光御成道・・清水坂・・・稲付川跡・・・游鯉園の坂・・水車の坂・・・稲付公園・・野間坂・・・鳳生寺・鳳生寺坂・・・三岩通り・・蛇坂上・・・法安寺坂上・稲付中学校・・・庚申坂上・・・大松寺・・赤羽スポーツの森公園・・赤羽自然観察公園・・・庚申坂・・・無名の坂①・・・法安寺坂・・・市場坂・・・無名の坂②・・・蛇坂・・・弁天坂・・・三日月坂(道灌坂)・・・弁天池の坂・・・弁天通り・・・(赤羽台トンネル)・・・八幡坂 ・・・師団坂・・赤羽八幡神社・・石坂(赤羽八幡)・・・うつり坂鎌倉街道中の道)・・坂本庚申塔・・・大坂・・・赤羽駅

  【ル-ト地図

  北区の坂③』・『北区の坂②

Img_9592香取神社 《地図

稲付村の鎮守

Img_9593説明板

Img_9595力石

Img_9594説明板

Img_9596法真寺

Img_9598三蛇弁財天

後ろの古木の根元の空洞にお使いの蛇が棲んでいたのかも?

日光御成道の清水坂下まで進む。

Img_9614稲付川跡を上流方向に進む。《地図

赤羽、西が丘と十条の台地の間の谷になっている。

途中、北(右)に水車の坂を上って稲付公園に出る。

Img_9653三岩通り 《地図

すぐ先の法安寺坂の坂上には稲付中学校(卓球の新星・木原美悠選手)がある。

赤羽スポーツの森公園から赤羽自然観察公園へ向かう。《地図

Img_9671水鳥の池(自然観察園内)

Img_9660旧松澤家住宅

主屋(右)・倉屋(左)

Img_9665説明板

Img_9663北区浮間に弘化元年(1844)に建てられた民家を移築復元。

三岩通りから北に下る何本もの坂を上り下りする。

Img_9713三日月坂(道灌坂) 《地図

坂名の由来の道灌湯の煙突が見えない。

Doukannyu道灌湯の煙突がそびえている。(2006年3月3日『北区の坂③』で撮影)

2006年の10月末で廃業したようだ。これは貴重な写真かもよ。

Img_9736石坂(赤羽八幡神社)

石段下に「石坂碑」が立っている。

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2019年1月16日 (水)

野川を歩く③

2018年1月15日

狛江駅(小田急線)・・・野川緑地公園(旧野川流路跡)・・・御嶽神社?・・・子之三嶋神社・・・野川大橋(野川)・・・糟嶺橋・・・小足立橋・・・入間川合流地点・・・谷戸橋・・(世田谷区)・・・野川緑地広場・ビジターセンター・・・神明橋・・・成城四丁目十一山市民緑地・・・成城みつ池北緑地・・・成城みつ池・・・不動坂・喜多見不動堂・・・(小田急線)・・・上野田橋・・・中野橋・・・六郷用水(旧野川流路)合流地点・・・雁追橋・・・中野田橋・・・喜多見大橋・・・茶屋道橋・・・水道橋・・・次大夫堀公園・・・大正橋・・・新井橋・清水川(岩戸川)合流地点・(東名高速道路)・六郷用水分岐地点・・・野川第二緑道・・・町田橋・・・天神森橋・・・仙川合流地点・・・野川水道橋・・・吉澤橋・・・(厚木街道(国道246号))・・・兵庫橋・兵庫島・・(玉川通り)・・(東急田園都市線)・・多摩川合流地点

  【ル-ト地図

Img_9441子之三嶋神社  《地図

野川に突き当たり下流に進む。

Img_9449小足立橋の下流で入間川が左から合流する。《地図

荒川水系の入間川とは違う小さな川。

Img_9451上流方向

Img_9453谷戸橋から下流方向

左岸は野川緑地広場、右岸には「きたみふれあい広場」が広がる。

Img_9461サギとカモはよく見かける。

Img_9465成城四丁目十一山市民緑地

この階段を上ってもその先は入れない。それならこの扉も閉めておけよ。

Img_9476成城みつ池緑地地図

奥の湧水源へと続いているようだが、ここも金網フェンスで入れない。

Img_9475案内図

Img_9477不動坂 《地図

右が喜多見不動堂

Img_9479不動の滝 「説明板

滝上の小さな滝不動が小便をしているようだ。

小田急線をくぐって野川に出る。

Img_9487六郷用水合流地点 《地図

用水の上は滝下橋緑道になっている。

Img_9503水道橋

荒玉水道道路が北に伸びている。

Img_9506次大夫堀公園

Img_9515清水川(岩戸川)合流地点(右は新井橋、上は東名高速) 《地図

六郷用水も暗渠で左に分岐する。

Img_9533仙川合流地点 《地図

Img_9534野川水道橋

Img_9530かつての野川水道橋

水道管が通っている。

Img_9535説明板①

Img_9536

Img_9538配水管(右)・空気弁(左)

旧野川水道橋に架設されたもの。

Img_9548吉沢橋 《地図

Img_9544玉電砧線が渡って行く。(昭和36年)

乗ったことがあると思うが記憶が定かでない。

Img_9545説明板

Img_9549新二子橋(厚木街道(国道246号))、二子橋(玉川通り)、東急田園都市線をくぐって多摩川に合流する。

大山街道二子の渡しで多摩川を渡っていた。

Img_9563兵庫橋から兵庫島

雨が本降りになってきた。

Img_9556説明板

案内図

Img_9557多摩川ドナウ川友好河川記念碑

若山牧水歌碑

Img_9552多摩川合流地点 《地図

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2019年1月15日 (火)

野川を歩く②

2019年1月14日

東小金井駅(JR中央線)・・・二枚橋(野川)・武蔵野公園・・・楢橋・・・もみじ橋・・・みずき橋・・・柳橋・・・櫻橋・・・櫟橋・・・樫橋・・・富士見大橋(東八道路)・・・泉橋・・・御狩野橋(人見街道)・・・相曽浦橋(旧人見街道)・・・大沢の里(古民家・水車農家・出穴横穴墓)・・・飛橋・・・野川大沢調節池・・・野水橋・・・榛沢橋・・・八幡橋・・・古八幡神社・・・大沢橋(天文台通り)・・・清水橋・・・羽沢橋・・・御塔坂橋・御塔坂下・・・(中央自動車道)・橋場橋・・・又住橋(佐須街道)・・・虎狛橋・・・榎橋(三鷹通り)・・旧野川流路跡・旧榎橋・・逆川合流地点・・・大橋・・・細田橋・・・マセ口川合流地点・・・おかね橋・・・京王線旧軌道跡の碑(調布市立第七中学校)・・・中島橋・・・馬橋(甲州街道)・・・(京王線)・・・車橋・・・大町橋・・・野川橋・・・箕和田橋・・・小金橋・・・旧野川流路(野川緑地公園)・・・大橋跡(旧野川)・大橋改修記念碑・・・御台橋跡(松原通り)・・・六郷用水(跡)合流地点・・・狛江駅(小田急線)

  【ル-ト地図

Img_9333相曽浦橋(旧人見街道)から下流方向 《地図

このあたりは大沢の里と呼ばれ、左岸に湿生花園・出穴横穴墓、右岸に水車公開施設(峰岸家)などが、人見街道沿いには近藤勇の墓がある龍源寺、生家跡などがある。『人見街道』・『三鷹市の坂

Img_9344大沢調節池

ふだんはグラウンドで、調節容量9万㎥。規模拡大事業(調節池を掘り下げ貯留量を増やす)の工事中のようだ。

Img_9352古八幡神社 《地図

ここは大沢八幡神社の旧社地。右の庚申塔は元禄14年(1701)の建立で、刃傷松の廊下の年だ。

Img_9362御塔坂橋から御塔坂(坂上方向)

Img_9366中央道をくぐる。

Img_9369又住橋で佐須街道と交差する。

Img_9378旧野川流路跡・旧榎橋 《地図

Img_9379旧野川流路跡の遊歩道

Img_9381逆川(さかさがわ)合流地点 《地図

Img_9385逆川(上流方向)

このあたりは暗渠となっている。

Img_9387マセ口川(ませぐちがわ)合流地点 《地図

Img_9389この先が野川との合流地点

写真を撮っていたら右のおっさんに不審者と間違われた。左がおっさんの家らしい。

Img_9392京王線旧軌道跡の碑「京王電車この地を通る」
(調布市立第七中学校の敷地内) 《地図

京王線は京王電気軌道として開業した1913年(大正2年)から約14年間は、調布市内の仙川駅~調布駅間は甲州街道上や、その北側を走っていたそうだ。

Img_9395甲州街道の馬橋 

Img_9398京王線をくぐって行く。

Img_9406箕和田橋あたり

このあたりはサギやカモが多い。

Img_9411小金井橋から下流方向

右(南)に旧野川流路跡が野川緑地公園として六郷用水(跡)との合流地点まで続いている。そこを通って狛江駅に向かう。 《地図

Img_9423旧野川流路跡の大橋と大橋改修碑(右)

Img_9424休日でもジョッカー、ウォーカーも少なくて歩きやすい。

Img_9425御台橋跡(松原通り) 《地図

Img_9427御台橋の親柱

Img_9437説明板

Img_9431六郷用水(跡)合流地点 《地図

この先は一の橋交差点を横切り、滝下橋緑道となり現在の野川に合流していた。

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2019年1月14日 (月)

野川を歩く①

2019年1月13日

国分寺駅(JR中央線)・・・恋ヶ窪東遺跡(柄鏡形敷石住居跡)・・日立製作所中央研究所(大池・野川水源)・・・花沢橋(JR中央線)・・・多喜窪通り・・・野川・・・不動明王石碑・庚申塔・・不動橋(野川)・元町用水合流地点・お鷹の道分岐地点・・一里塚橋(国分寺街道)・・・殿ヶ谷戸庭園・・・次郎弁天池からの流れ合流地点・もみじ橋・・・丸山橋・・・平安橋・・・鞍尾根(くらおね)橋・くらぼね坂・野川公園・・・東経の森散策コース・・・新次郎池からの流れ合流地点・鞍尾根橋・・・西之橋・・・弁天橋・・・真明寺・貫井神社・・・貫井新橋・・・坂下橋・・・貫井大橋・貫井大坂下・・・荒牧橋・・・滄浪泉園からの流れ合流地点・・・大城橋・・・豊住橋・・・西之台橋・・・前原之川橋・・・前原小学校・・旧野川跡・・・前橋(小金井街道)・・野川合流地点・・新前橋(野川)・前原坂下・・金井原古戦場碑・・・丸山橋・・・天神橋・・・小金井神社・・白伝坊の坂下・・・中念坂下・・・中前橋・・・小金井野水合流地点・小金井新橋・・野川中洲北遺跡・・・やまべ橋・・・(西武多摩川線)・・二枚橋・・二枚橋の坂・馬頭観音・・・(連雀通り)・・・東小金井駅(JR中央線)

  【ル-ト地図

 国分寺市の日立製作所中央研究所敷地内の大池を主水源とし、三鷹市、調布市、狛江市を流れ、世田谷区の多摩川に合流する野川を行く。

Img_9129恋ヶ窪東遺跡(柄鏡形敷石住居跡) 《地図

西側一帯の日立製作所中央研究所敷地内の大池が野川の水源だが立ち入れない。入れる時期もあるようだ。

Img_9122説明板①

Img_9123

Img_9127柄鏡形敷石住居跡(復元模型)

Img_9139野川水源の説明板から下流方向 《地図

大池から流れ出て暗渠でJR中央線をくぐって行く。ここを野川歩きの起点とし、多摩川との合流地点まで行く。

Img_9138説明板

花沢橋(JR中央線)へ迂回し、多喜窪通りから野川に出る。

Img_9145野川(上流方向) 《地図

今は水の流れはほとんどないか。

Img_9146下流方向

Img_9149不動明王石碑・庚申塔・石橋供養塔(左)・不動橋(野川・右) 《地図

Img_9150不動明王石碑(年代不詳)・庚申塔(延享2年(1745))

Img_9151説明板

石橋供養塔(天保3年(1832))はこの説明板の左下方にあるようだ。

Img_9161説明板(野川)

Img_9152元町用水合流地点

不動橋の下あたり

Img_9158元町用水(上流方向) 《地図

お鷹の道から真姿の池へと通じている。『国分寺市の坂②

Img_9159野川は国分寺街道の一里塚橋の下をくぐって行く。

このあたりに一里塚があったのか? どこを起点とした一里塚だったのか?

野川の水源の一つの殿ヶ谷戸庭園の次郎弁天池に向かう。

Img_9168殿ヶ谷戸庭園

Img_9171竹林

Img_9173馬頭観音

Img_9174説明板

Img_9176湧き水

東京の名湧水57選」の№37に指定

Img_9172次郎弁天池

暗渠で流れ、もみじ橋脇で野川に
合流する。

Img_9188本館

岩崎彦彌太の別邸として、昭和6年に建てられた洋館。

Img_9190もみじ橋への遊歩道

下を次郎弁天池からの流れが野川に注ぐ。

Img_9192
もみじ橋から下流方向 《地図

Img_9205鞍尾根(くらおね)橋・くらぼね坂(坂上方向) 《地図

国分寺市と小金井市の境の坂だ。

Img_9207鞍尾根橋から下流方向

川沿いも歩ける。あと二か月少しで桜の見ごろとなるだろう。

Img_9210東経(東京経済大学)の森散策コースに入り、新次郎池に向かう。

Img_9212「東京の名湧水57選」の№36に指定の湧き水だが冬枯れか。

Img_9213新次郎池 《地図

学長の名に由来

Img_9211説明板

Img_9219新次郎池からの流れが鞍尾根橋下で野川に注ぐ。

Img_9226真明寺

Img_9228貫井神社

Img_9229「東京の名湧水57選」の№29

「湧水量が比較的多く、枯渇せず、「小金井」の由来」というが、いまいちの感じで飲料も不可。水が無いと古墳の石室のようだ。

Img_9249滄浪(そうろう)泉園からの流れの野川(正面)合流地点 《地図

Img_9248流れの上は滄浪泉園への遊歩道になっている。

Img_9256前原小学校の下を暗渠でくぐって行く。 《地図

南側(右側)に旧流路(跡)が残っている。

Img_9257旧野川流路 《地図

Img_9259説明板

小金井街道をくぐって野川本流に合流する。

Img_9270旧野川合流地点

Img_9273金井原古戦場碑 《地図

Img_9272説明板

Img_9280小金井神社

Img_9279由緒

Img_9281白伝坊の坂(坂上方向) 『小金井市の坂②』 《地図

Img_9282中念坂(坂上方向) 『小金井市の坂②』 

Img_9287小金井野水合流地点(小金井新橋の右岸下) 

Img_9297野川中洲北遺跡(小金井新橋左岸あたり) 《地図

Img_9296説明板

Img_9303西武多摩川線・二枚橋

二枚橋の伝説

Img_9309二枚橋の坂 『小金井市の坂②』 《地図

北上して東小金井駅に向かった。

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2019年1月12日 (土)

田柄川緑道

2019年1月11日

成増駅(東武東上線)・・・川越街道(国道254号)・成増坂上(小次兵衛久保坂上)・・・氷川神社・・・光が丘公園・・ひびき橋・・秋の陽公園・田柄川水源・・田柄川緑道・・・前神明橋跡・・・(東武啓志線跡あたり)・・・田柄天祖神社・・・阿弥陀堂・・・愛宕神社・・・田柄川緑道・愛宕橋跡・・・東田柄橋・・・大松橋・・・(地下鉄有楽町線)・・・(東武啓志線交差地点あたり)・・・仲之台橋跡・・新興橋跡・(国道254号)・・・大堰橋跡・・・徳川綱吉御殿跡碑・・・棚橋歩道橋(富士街道(環八通り))交差地点・棚橋跡・・・(東武啓志線交差地点あたり)・・・下宿橋跡・・・(国道254号)・高徳橋跡・・・金乗橋跡・・・渡戸橋跡・東本村庚申塔・・・横寺橋跡・・円明院・・・円明橋跡・・今神橋跡・・・宮元橋跡・・・仲一橋跡・・・金越橋跡・・・(板橋区)・・城北中央公園・桜川緑道・・・石神井川合流地点・桜橋・・・茂呂遺跡・・・栗原橋(石神井川)・・・栗原遺跡竪穴住居跡・・・桜川御嶽神社・・・国道254号・五本ケヤキ・・・上板南口銀座・・・(旧川越街道)・・・上板橋駅(東武東上線)

  【ル-ト地図

 練馬区の光が丘を水源として東方向に流れ、板橋区の城北中央公園の東南側で石神井川に注いでいた田柄川跡の緑道を行く。

Img_8956成増坂(成増交差点から坂下方向)

坂上から東に小次兵衛久保坂が下り、さらに東に帳元の坂が上って行く川越街道

Img_8959氷川神社

昭和7年赤塚氷川神社を勧請して地元町会の鎮守とした。

Img_8966光が丘公園

樹林の下は貯水池になっていて、溜まった雨水は田柄川(暗渠)から石神井川へと流れる。

Img_8970説明図

バードサンクチュアリには平日は入れず。ひびき橋を渡って田柄川の水源の秋の陽公園に向かう。

Img_8982水屋から湧き水が流れ落ちている。 《地図

ここを田柄川(緑道)歩きの起点とし、板橋区の城北中央公園の先の石神井川との合流地点の桜橋を終点として歩く。

Img_8985水の流れが見えるのは公園内だけ。水田地帯だったことを偲ばせる田んぼが作られている。

Img_8991田柄川幹線埋設位置石標」(正面下)

この下に暗渠となった田柄川の流れがあるということだろう。正面の長屋門風の建物をくぐって行く。

Img_8994田柄川緑道が始まる。《地図

Img_9000前神明橋跡(右に木柱が立つ)

この先で緑道から離れ北の寺社に寄る。田柄川の北側50mくらいに並行して、上板橋駅と駐留米軍住居のグランドハイツ(現光が丘公園)を結ぶ東武啓志線が走っていたようだが、その痕跡は残らずか。

Img_9003田柄天祖神社

右の柵内の水神宮碑は田柄用水記念碑(明治26年・練馬村玉川上水分水紀念碑)で、玉川上水分水事情が記され、明治初めの当地における分水の苦心を伝えている。

Img_9007阿弥陀堂 《地図

豊島八十八ヶ所霊場42番札所

Img_9012愛宕神社

例大祭での金魚市は今でも開かれているようだ。

Img_9020東田柄橋跡

田柄川水位状況標(正面)は、-4.7mを標示している。このところ雨は降らず、暗渠にも水はほとんど流れていないか。

Img_9025東武啓志線交差地点あたり 《地図

Img_9028新興橋跡で国道254号(現川越街道)を横切る。

Img_9035徳川綱吉御殿跡之碑(右の貨幣形の円盤) 《地図

寛文年間(1661~72)に、後に江戸幕府第5代将軍となる徳川綱吉がこの地を鷹場とし、宿泊所として「鷹狩御殿」を建てた。将軍となって「生類憐みの令」を出す前の話。
また綱吉が脚気に悩んで練馬村へ転地療養した時の御殿がここで、病のつれづれに栽培させたのが練馬大根の起こりだともいう。『練馬の地名今むかし

Img_9041棚橋歩道橋で富士街道(ふじ大山道・環八通り)を越える。

Img_9045棚橋の親柱が残る。

Img_9044説明板

「富士大山道の橋」とある。

Img_9055「あやとり像」

高徳橋跡を渡った所。

Img_9059瀬戸橋跡

右は東本村庚申塔(貞享2年(1685))の祠で、庚申塔の右の笠付き石塔(宝暦2年(1752))の左側面には「たなし道」(田無道)と刻まれているそうだ。

Img_9068円明院

Img_9065説明板

Img_9067血の道地蔵(いぼ地蔵・明治25年)

山門の左前

Img_9069三面八臂(はっぴ)馬頭観音(寛政6年(1794))

山門の右前

板橋区に入り城北中央公園の東側沿いを行く。

Img_9083桜川緑道となる。

板橋区内の田柄川は桜川と呼ばれ、板橋区桜川地区から下流を桜川緑道というそうだ。

Img_9088桜橋(石神井川) 《地図

Img_9091石神井川(上流方向)

右から田柄川が流れ込むのだが、流れていない。ここを田柄川緑道歩きの終点とした。

石神井川右岸を上流に向かう。

Img_9101茂呂遺跡 《地図

Img_9093説明板

Img_9108栗原遺跡の復元竪穴住居 《地図

日当り満点で冬でも暖かそうで住み心地がよさそうだ。

Img_9105説明板

Img_9110御嶽神社 《地図

Img_9109説明板

Img_9114狼型狛犬(嘉永7年(1854))

狼というより狐顔、馬顔で迫力がないか。

Img_9116五本ケヤキ 《地図

Img_9117説明板

Img_9120旧川越街道(川越方向)を横切って上板橋駅に出た。 《地図

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