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2019年1月19日 (土)

稲付川を歩く

2019年1月17日

中板橋駅(東武東上線)・・・向屋敷橋(石神井川)・・・久保田橋・・・山中橋(鎌倉街道中の道)・・稲付川跡・・・即得寺・日曜寺・・・智清寺・・・(国道17号)・・・旧中山道交差地点(板橋宿上宿)・・・帝京高校・・・姥ヶ橋延命地蔵・姥ヶ橋交差点(十条・板橋道交差地点(環七通り))・・・遊鯉園の坂下・水車の坂下・・・清水坂下・日光御成道(岩槻街道)交差地点・・・(JR埼京線・JR京浜東北線)・・・(大日本印刷敷地)・・・(稲田小学校)・・・北本通り・北町橋跡・・(開渠)・・・(隅田川合流地点)・・・新神谷橋(隅田川)・・・北本通り・・・志茂駅(東京メトロ南北線)

  【ル-ト地図

 石神井川の板橋区の向屋敷橋付近で取水し、北区へと流れて隅田川に合流する稲付川を歩く。ほとんどの区間が暗渠で、北本通りから隅田川までのわずかな区間だけが開渠となっている。
 稲付の名のつく所は赤羽に、稲付城址(太田道灌)・稲付公園(野間清治の旧別邸跡)・稲付中学校(卓球の新星、木原美悠選手)などがある。

Img_9754向屋敷橋から石神井川(下流方向) 《地図

この橋の少し下流左岸に取水口の根付堰があったようだ。

Img_9752久保田橋の上

本物です。カメラを意識しておつにすましているか。

山中橋(鎌倉街道中の道)の北側から稲付川跡の道筋をたどる。

Img_9759稲付川跡の道 《地図

Img_9765即得寺

慶長13年(1608)、松浦党の流れをくむ松浦肥前守入道順覚により越後国(現新潟市)に創建された。昭和40年に当地に移転した。

Img_9770石橋(日曜寺前) 《地図

「日曜」の由来は何か? 工事中で雑然としている。本尊の愛染明王が藍染に通じることから、染色業の人々の信仰が篤かったそうだ。
石橋は稲付川(中用水)に架かっていたもので、親柱に「神田東松下町 濱田」・「昭和二年五月改修」などと刻まれている。神田の染色業者の寄進だろうか。

Img_9774石橋(智清寺山門内)

正徳4年(1714)に中用水(上郷七か村用水・稲付川)に架けられた橋。明治5年の水争いの時には板橋の農民たちが当寺に立てこもったという。

Img_9773説明板

Img_9779国道16号(中山道)をくぐる。

Img_9780稲付川跡の道は旧中山道の板橋宿を横切る。 《地図

Img_9786旧中山道を横切った所。

少し北側に縁切榎がある。

Img_9792蛇行跡の道筋 

右は帝京高校

Img_9795このあたりは少し上っている。

Img_9797川跡の公園か? 《地図

Img_9799このあたりは工事中

Img_9801姥ヶ橋陸橋下で十条・板橋道交差地点(環七通り)を横切る。

姥ヶ橋延命地蔵が鎮座する交差点だ。

Img_9806歩道橋を北側に下りると川跡の道が続く。《地図

Img_9810住宅の間の道となる。

Img_9812道案内の猫ちゃん

マンホールの下からは水音が聞こえる。

Img_9818遊鯉園の坂(右へ)と水車の坂(左へ)の坂下の谷の道だ。 『北区の坂③』 《地図

Img_9825清水坂下で日光御成道(岩槻街道)を横切る。《地図

JR埼京線などの高架下から大日本印刷赤羽工場(工事中)の敷地内を流れていたのだろう。

Img_9835稲田小学校の敷地内の流路跡か?(歩道橋から) 《地図

Img_9836稲田小学校を抜けた川跡

Img_9839神谷三丁目第3アパート内を通って行く。 

Img_9842車は通れない川跡の道 《地図

Img_9843北本通りを横切るとやっと開渠となる。

Img_9845北町橋の跡が残っている。《地図

Img_9847隅田川の間が開渠で水はあるが流れてなく、淀んで溜まっている感じだ。

川沿いは歩けず隅田川との合流地点までは行けない。

大きく南に新神谷橋まで迂回する。

Img_9851新神谷橋から隅田川上流方向 《地図

隅田川沿いも歩けないようで、ここから合流地点あたりを遠望して稲付川跡歩きの終点とした。

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