さいたま市の坂⑤
2019年1月24日・25日
大宮駅(JR京浜東北線)・・・(旧中山道)・・・氷川神社参道・・・堀の内橋(見沼代用水西縁)・・・新橋(芝川)・おかま坂・・・見沼弁財天宗像神社・・大正坂・・・神明神社①・・・(芝川)・・・北袋橋(見沼代用水西縁)・・・北袋天神社・・・旧中山道・高台橋跡・お女郎地蔵・火の玉不動・・(さいたま新都心駅)・・・神明神社②・・・(北与野駅(JR埼京線))・・・赤山街道・・・台の坂・・・赤山橋(鴻沼川)・石橋供養塔・・・一山神社・・・円乗院・・御嶽神社①・・与野公園(銭洗弁天・天祖神社)・・本町坂・・・津島神社・・・庚申堂・・・さいたま芸術劇場・・・円福寺・・・(新大宮バイパス)・上峰交差点・庚申塔道標・・・諏訪坂・・諏訪神社・・・(新大宮バイパス)・・・里見通り・・・妙行寺・・・(埼京線)・・・鈴谷坂・・・里見橋(鴻沼川)・・・(鴻沼排水)・・・二度栗坂・・・大戸氷川神社・庚申坂・・庚申塔祠・・大戸不動堂・・・御嶽神社②・・大戸のお聖さま・・貝塚坂・・稲荷社・・大戸貝塚・・大戸地蔵堂・・・稲荷坂・・・別所沼・別所沼弁財天・・・(旧中山道)・・調神社・・浦和第一女子高校・・あひる坂・・・浦和駅(JR京浜東北線)
【ル-ト地図】
社殿までは1kmほどある。
6行目に「おかま坂」がある。
芝川(新橋から上流方向)
おかま坂(坂上方向) 新橋から東へ上る坂 《地図》
由来伝説:『ある春うららの日、狩に遠出した徳川三代将軍家光の一行が見沼の渡船場に着くと、”おかま蛙”たちが大声で元気よく鳴いていた。その声を聴いた家光公は大勢の敵に囲まれているような気がして舟から下りることができないでいた。するとお供の大久保彦左衛門が進み出て、「これは蛙たちが将軍の来訪を喜んで歓迎の声を上げているのでございます」と言い、蛙たちに向かって、「ご苦労、ご苦労、もう分かったぞ。その方たちも宿に下がって休むがよい」と命ずると、蛙たちは立ち消すように去って行った。家光は喜んで、「あっぱれ彦左衛門」と褒めて、この渡しを「おかまの渡し」と名づけ、渡船運上金御免としたという。以来、この渡しから上る坂を「おかま坂」というようになった』(「片柳のむかし」(大宮市立片柳公民館)の伝説「おかま坂」を少し改作」
あまり面白くない話だ。そもそも”おかま蛙”とはどういう蛙なのか?
竜神伝説は『芝川を歩く②』に記載。
大正坂(坂上方向) 南に緩やかに上る坂。 《地図》
坂の途中に「大正坂」バス停がある。
神明神社① 《地図》
右岸(正面)は大宮南部下水処理センター、遠方は埼玉新都心のビル街。
下流の橋を渡って首都高埼玉新都心線の下の道を南西に向かう。
北袋天神社 《地図》
お女郎地蔵・火の玉不動 《地図》
高台橋あたりの旧中山道
台の坂(坂下方向) 西へ赤山橋方向へ下る赤山街道(赤山通り) 《地図》
右の植込みに坂標が立つ。
赤山橋(鴻沼川)・石橋供養塔(享保11年(1726))
赤山街道を進み、子育地蔵・甲子供養塔道標の所で南に入る。
「一山」は人名。与野七福神の恵比須神。左は大クスノ木
前はシラカシの大木
与野七福神の大黒天。境内は写真撮影禁止だと。
与野七福神の弁財天
県内で3番目の公園として明治10年に開園した。
銭を洗っている人は見かけなかったが。
与野七福神の寿老神
本町坂を下る。 《地図》
津島神社 《地図》
庚申堂(昭和7年建立) 《地図》
道路の分岐にあり、夜には明かりが灯されるそうだ。堂内でおじさんたち?が寄り合い中で、庚申塔は見られず。
与野七福神の布袋尊。七福神巡りのようになってきたか。
庚申塔道標など(上峰交差点) 《地図》
背の高い庚申塔(宝永8年(1711))は道標になっていて台座の左側面に「これより 江戸みち」・右側面に「これより 加う志うみち」(「甲州みち」だろう)とある。もとはもう少し南西の交差点あたりにあったらしい。その前の庚申塔(寛政12年(1800)・3つ並んだ真ん中)も道標になっていて「右 大山・・」で、「大山みち」だろう。その後ろは閻魔大王塔(文化14年(1817))、一番前は崩れかかった年代不明の庚申塔。
諏訪坂を下る。 《地図》
坂下近くの右側に諏訪神社がある。
「モクコク」は本堂裏にあるようだが、見逃したようだ。
ここも妙行寺の敷地内
鈴谷坂(坂上方向) 鈴谷小学校の北側を緩やかに西に上る坂。《地図》
昭文社の都市地図「さいたま市」では、もう一本北側の道に「鈴谷坂」の表示があるが、傾斜はもっと緩い。
右の電柱の植込みの中に坂標がある。
里見橋(鴻沼川)から東へ中里交差点へ上る坂。《地図》
諸国を巡錫中の弘法大師が、この地で栗の実を採ってくれた子供の善行を喜び、一年に二度、栗の実を結ばせたと伝えられる地。坂の途中の北側に二度栗山弘法尊院がある。
大戸氷川神社の北側を西へ下る坂。途中の右側に庚申塔の祠がある。
右は馬頭観音の祠。ここは個人の宅地内だ。
坂名由来の庚申塔の祠 《地図》
大戸不動堂 《地図》
大戸不動堂の境内
御神体は男根の金精様だ。
貝塚坂(坂下方向) 《地図》
大戸バス停の交差点から東に下る坂。交差点からは西に「お聖さま」の方へも下って行く。近くに大戸貝塚がある。
この家の屋敷神か。
稲荷坂(坂下方向) 南に下る坂。 《地図》
稲荷社は見当たらなかったが。
東に向かい旧中山道を横切り、調神社を通り、浦和第一女子高校前に出る。あひる坂(北方向) 浦和一女前から北に少し下って上る坂。 《地図》
あひるのように、にぎやかにお喋りしながら登下校する女学生たちの様子からこう呼ばれているとか。
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