我孫子・柏散歩①
2019年2月1日
北柏駅(JR常磐線)・・・根戸城跡・・・船戸の森(船戸緑地)・・武者小路実篤屋敷跡・・・水神社・・・根戸古墳公園・・・手賀沼公園・・・天神坂・・三樹荘・天神山緑地・嘉納治五郎別荘跡・・・大光寺・・香取神社①・・・楚人冠公園・・・志賀直哉邸宅・・・金八稲荷神社・・・旧村川別荘・・・子ノ神大黒天・子の神古墳群・・・水の館・・・千勝神社・・・鳥の博物館・・・山階鳥類研究所・・・香取神社②・香取神社古墳群・・・水神山古墳・・・桃山公園・前原古墳跡・・・八幡神社・・・滝前広場・・・滝前橋・・・小暮橋(JR成田線)・・・天王台駅(JR常磐線)
【ル-ト地図】
手賀沼北岸の台地上は古代には古墳群が手賀沼を見下ろし、明治から大正期にかけては多くの文人墨客が住み、「東の鎌倉」と呼ばれていた。今日は北岸を西から東へたどり、次回は手賀大橋を渡って柏市に入り、古墳群跡や平将門ゆかり地を訪ねて東武野田線まで南下する。
根戸城跡方向(前方の台地、奥の台地は船戸の森) 《地図》
昨夜の雪が残っている。
現在地に設置の説明板
ここを上った西側に金塚古墳があるのだろう。
この先はボーイスカウトの野営地で立ち入れない。
先ほどの「現在地」に設置のもの。
「出土品」
船戸の森(船戸緑地)
実篤は当地から→「新しき村」(宮崎県)→「新しき村」建設(埼玉県毛呂山町)→調布市と移り住んだ。
左は湧き水
根戸古墳公園 《地図》(白山古墳公園となっているが白山古墳群は白山中学校の南東にあった。)
もとは前方後円墳4基、円墳2基があった。雪が葺石(ふきいし)代わりだ。
20年ほど前に2、3回、「手賀沼エコマラソン」に参加したことがある。
「鳥の博物館」に展示の写真
血脇先生謝恩之碑(手賀沼公園内)
我孫子出身の歯科医学者だが、こんな馬鹿でかい石碑を建てることもあるまいに。
バーナード・リーチ氏の碑(手賀沼公園)
天神坂上の三樹荘に窯場があった。
天神坂を上る。 《地図》
左が三樹荘跡(現村山邸)、坂上右の天神山緑地が嘉納治五郎別荘跡。
三樹荘(柳宗悦屋敷跡)
柳宗悦は嘉納治五郎の甥
嘉納治五郎別荘跡
NHKの大河ドラマ「いだてん」で嘉納治五郎先生は活躍中だ。
嘉納がこの地に別荘を設けたことで甥の柳宗悦が結婚後に我孫子へ移り住み、その後に志賀直哉や武者小路実篤ら「白樺派」の文人たちが移り住むきっかけになった。
富士山もこんなにくっきり?
晴れていても富士山は見えない。
ケヤキの大木は、大正12年に苗木を50本植栽したのが成育したものだそうだ。
句碑(正面)「筑波見ゆ冬晴の洪いなる空に」 ここから筑波山も見えたのだ。朝日新聞の「天声人語」を造語・命名したのは杉村楚人冠という。
北側に楚人冠記念館もある。
昔の週刊誌の芸能人(愛憎・スキャンダル?)相関図を思い出した。
男連中はどうでもいいが、女性たちは大正ロマンを感じさせる美形揃いか?
少し手前の向い側に白樺文学館がある。
金八稲荷神社 《地図》
住宅の間の鳥居もない殺風景な社で、雪が残っていて寒々しい。詳細不明な稲荷社だが、祭神は武田鉄矢でないのは確か。でも、「マルちゃんの赤いきつねと緑のたぬき」を宣伝していたからひょっとしたら・・・・。
水戸街道の我孫子宿本陣の離れを移築、改装。
現在は5基の円墳と前方後円墳1基が残っているというが、墳形もはっきりせず消滅に近い状態のようだ。
展望台がある。無料だった。
手賀川へと続いている。
「千勝」とは縁起がいい。勝負事にご利益ありと思ったが、そうではないようだ。
ここの鳥の剥製標本などは見ごたえがある。ここも拙者は無料だった。
大正15年捕獲された剥製
参考:「あびこ電脳考古博物館」
左右に香取神社古墳群(円墳2基・方墳1基)の2基の古墳。ここからの手賀沼の眺めは今はない。
全長約69mの前方後円墳で手賀沼周辺では最大の古墳。やっと古墳らしい形が残る古墳に出会った。出土品の「ガラス小玉」
前原古墳跡(桃山公園内)あたりから手賀沼
下は水生植物園
西久保古墳のある日立総合経営研究所内には入れず。
滝前広場近くから手賀沼 《地図》
滝前不動堂は八幡神社の東方にある。ここを今回の終点として天王台駅に向かった。
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