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2019年2月14日 (木)

宗吾街道

2019年2月5日・7日

成田駅(JR成田線)・・成田街道・・・一本松跡交差点・馬頭観音道標・宗吾街道分岐地点・・・成田日赤病院・・・(京成本線)・・・日赤成田病院交差点・桜地蔵祠・国道464号・・・公津の杜公園・・大袋尋常小学校跡・・・地蔵祠・・・道祖神社・・・地蔵祠・・・大経寺・・・宗吾霊堂・・・稲荷神社(古墳?)・・・宗吾・飯仲古墳群あたり・・・宗吾参道駅(京成本線)・・(2/7)・・宗吾霊堂前交差点・宗吾街道(国道464号)・・・麻賀多神社・・超林寺・・・宗吾旧宅・・義民ロード・・御手洗井戸・・・江川第一橋(江川)・・・池袋用水堰跡・池袋橋(江川)・・・初井戸橋(江川)・花井地蔵・・・国道464号・・愛宕神社・・・弘法大師祠・・・甚兵衛公園(水神社・甚兵衛供養堂・甚兵衛の渡し跡)・・・根山神社・鷲宮神社・・・(成田スカイアクセス線)・宗吾街道(県道291号)・・・甚兵衛大橋(印旛沼)・・(印西市)・・・ぽっくり駒地蔵・・・境田橋(松虫川)・・・浅間神社・・・湖西尋常小学校跡・・・杉自塚・・・長屋門・・・百庚申塔・松虫寺・松虫姫神社・・・(成田スカイアクセス線)・・松虫姫公園(牛むぐり池)・・・印旛日本医大駅(成田スカイアクセス線)

 【ル-ト地図

 叛逆者の元祖・平将門の次は義民の代表・元締めの佐倉惣五郎だ。英雄として崇められ、怨霊として祟って恐れられる共通点はあるだろう。
 成田街道の一本松跡交差点から宗吾街道に入り、佐倉惣五郎を祀る宗吾霊堂に寄り、甚兵衛の渡し跡の甚兵衛大橋を渡って印西市に入り、松虫川の所で南に入り、松虫姫伝説の地を訪ねる。むろんメインは松虫姫だ。

Img_0717一本松跡交差点 《地図

ここで成田街道から分かれ右折するのが宗吾街道。向かい側に一本松跡碑と何代目かの若い松と馬頭観音道標が立つ。

Img_0718馬頭観音(安政5年(1858)・一本松跡碑の左)

右側面は道標で、「宗吾霊神道 酒々井町通りぬけ」

成田日赤病院の北側を通り、京成本線を越える。

Img_0730桜地蔵 《地図

かつては大きな桜の木の下にあったという。子育て、悪疫退散にご利益あり。

Img_0732桜地蔵

Img_0734宗吾街道(国道464号)を直進する。

宗吾霊堂まで1.5kmとは張り合いがないが、霊堂は通過地点、チェックポイントに過ぎないから。

Img_0738大袋尋常小学校跡碑 《地図

左側は公津の杜公園だがこちら側からは入れないようだ。

Img_0739説明板

Img_0742公園内は調整池になっている。

Img_0741地蔵さんがポツンと。

Img_0746道祖神(社) 《地図

ちゃんとりっぱな鳥居がある。

Img_0752ここにも地蔵の祠

Img_0756大経寺 《地図

右は明和2年(1765)の題目塔。背後に土俵があり、その先が五社神社というが見落とした。

Img_0759銀杏の大木がそびえ、本堂の前には狛犬が鎮座する。神仏習合の名残かと思いきやまだ新しく、平成12年の寄進だそうだ。

Img_0767宗吾霊堂(東勝寺)参道・山門

閉まっている店もあり、参拝もおばちゃん連中だけでまばらだ。平日のこともあるだろうか。

Img_0786 大本堂

義民・佐倉惣五郎の霊を祀る宗吾霊堂。

Img_0781御一代記館

Img_0780霊宝殿

まだ宗吾街道歩きの先は長いが、今日はここまでとし宗吾参道駅に向かう。

Img_0789稲荷神社古墳? 《地図

これも宗吾・飯仲古墳群に入るのだろうか?

Img_0794宗吾・飯仲古墳群あたり? 《地図

宗吾参道駅に向かうのだが、京成本線のトンネル上を通り過ぎてかなり東へ進んでしまった。

Img_0795ここを下って駅に出た。

ここから2月7日

Img_1003宗吾霊堂の表参道を行く。《地図

宗吾霊堂前交差点で宗吾街道(国道464号)に入る。

Img_0996麻賀多神社の森

Img_0981麻賀多神社 《地図

Img_0982説明板

Img_0986大杉

樹齢千三百年の東日本一の大杉というが。

Img_0990祭礼

Img_0976超林寺

Img_0974説明板

Img_0969宗吾旧宅

工事車の向こうに道案内板がある。うっかり見落としそうになった。

ここから国道から離れ、「義民ロード」に入る。

Img_0968急坂を下る。

新しく舗装・改修された道ようだ。「宗吾坂」とでも呼んだらどうか。

Img_0964宗吾旧宅 《地図

宅内を見学、説明していただく。

Img_0966椿井(台方七井)

惣五郎が家族との水盃に使った井戸とか。

Img_0965説明板

Img_0919義民ロード

Img_0961御手洗井戸(台方七井)

麻賀多神社の祭神事にこの水を使うというが、あまり清らかではないか。

江川第一橋から江川沿いを行く。

Img_0953池袋用水堰跡(北須賀溝) 《地図》(池袋橋の所)

台方ほか五区持ち、江川の水流を堰き止め駒形、北須賀に廻し水するための堰跡。

Img_0949初井戸橋(江川)

渡った所に花井地蔵の祠

Img_0945花井地蔵(文政10年(1827))

Img_0941義民ロードを北に向かに、途中で左折して宗吾街道(国道464号)に戻る。

Img_0926愛宕神社 《地図

急な石段上の祠に「浅間大権現」の石塔(右)が祀られている。

国道は車の往来が多く、歩道もなく歩きづらい。

Img_0906甚兵衛公園(甚兵衛の森・水神の森) 《地図

江戸に直訴に向かう佐倉惣五郎のために掟を破って渡し舟を出し、印旛沼に身を投じた渡し守の名にちなむ。

Img_0917説明板

Img_0916水神社

Img_0912甚兵衛供養堂

Img_0913甚兵衛の渡し跡あたり 《地図

このあたりは埋め立てられている。

Img_0898根山神社

祭神は牛頭天王(素戔嗚尊)、明治42年楫波神社を合祀。奥の台地に鷲宮がある。

Img_0900鷲宮神社への石段

細く急で手摺もなく上りづらい。

Img_0902小祠内に「鷲宮神社」の石塔が立っているのみ。

Img_0892印旛沼はもやっている。

JR武蔵野線も霧の影響でのろのろ運転で1時間半近くも予定が狂った。

Img_0890甚兵衛大橋を渡って行く。

甚兵衛の渡し」の渡しは1967年この橋の完成で廃された。つい最近?まで渡し船はあったのだ。

Img_0886成田スカイアクセス線方向

成田市から印西市に入る。

Img_0875宗吾街道は県道291号となって続く。

車は多くないが歩道がないのはつらい。

Img_0871小祠 《地図

Img_0870「ぽっくり駒地蔵」だった。

「未知の世や 連れて行きゃんせ ほとけ道 ぽっくりぽっくり 逝くが極楽」だとよ。

松虫川の手前で左折し、南に松虫姫ゆかりの地を訪ねる。

Img_0863松虫川(境田橋から印旛沼方向) 《地図

松虫川は松虫姫公園の牛むぐり池から印旛沼へ流れているようだ。このあたりの地名も松虫。

Img_0855浅間神社の木立

Img_0858浅間神社 《地図

ここも急な石段を上ったが小さな祠だった。

Img_0854湖西尋常小学校跡(明治20年開校) 《地図

現在は「いんば学舎・松虫

Img_0849さっきまでとは違う静かな道を行く。

Img_0845杉自塚・庚申塔祠

Img_0844杉自塚(正面)

松虫姫は病が癒えて都に帰ったが、乳母の杉自はこの地に残り、里人たちに尽くして慕われたとう。左右に庚申塔群(これも百庚申塔か)

松虫姫伝説」(松虫寺寺伝):略すると「聖武天皇の姫君が不治の病にかかった。夢枕に立ったお告げにより長旅の末、この地の薬師堂にたどり着き、祈願したところすっかり病は癒えた。姫君は都に戻ったが、乳母(杉自)はこの地にとどまり、姫君を乗せて来た牛は身体が弱ってしまい、とても姫君を乗せて都に帰ることができないので悲しみの末に近くの池に自らを沈めてしまった。これが”牛むぐり池”である」(我ながら身も蓋もない書き方だが)、姫君というのがあの「不破内親王」とは興ざめか? 心の病は癒えなかったのかも。

Img_0839説明板

Img_0833長屋門の旧家

Img_0832百庚申塔

Img_0831松虫寺地図

Img_0811説明板

Img_0821本堂

右は枝垂桜

Img_0823「木造薬師如来坐像(1体)、木造薬師如来立像(6体)(七仏薬師)」(国重文)

Img_0822鋳銅鰐口」(市指定文化財)

Img_0824鋳銅孔雀文磬」(市指定文化財)

Img_0826松虫姫神社

Img_0817周辺図

成田スカイアクセス線のそばに松虫城跡がある。

Img_0800松虫姫公園地図

Img_0807牛むぐり池

Img_0805調節池になっている。

Usimuguriike牛に乗る松虫姫

Img_0798印旛日本医大駅

当初の計画では「印旛松虫駅」だった。展望台があるが、通常一般公開はされていないそうだ。

Img_0797味気ない某?流医大の駅名よりも「松虫姫駅」でよかったのに。

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