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2019年3月30日 (土)

銚子街道④

2019年3月27日

銚子街道④』に記載

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2019年3月28日 (木)

銚子街道③

2019年3月25日

  『銚子街道③』に記載

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2019年3月24日 (日)

銚子街道②

2019年3月22日
  『銚子街道②』に記載

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2019年3月22日 (金)

利根町散歩②

2019年3月18日
  『利根町散歩②』に記載

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2019年3月21日 (木)

利根町散歩①

2019年3月15日

  『利根町散歩①』に記載

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2019年3月20日 (水)

横浜坂道散歩(磯子区)

2019年3月13日

  『横浜坂道散歩(磯子区)』に記載

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2019年3月17日 (日)

足尾銅山と田中正造

2019年3月19日

  『足尾銅山と田中正造』に記載

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2019年3月14日 (木)

東京坂道散歩(本郷界隈)

2019年3月9日

根津駅(地下鉄千代田線)・・・①弥生坂・・弥生式土器発掘ゆかりの地碑・・・②暗闇坂・・弥生美術館・竹久夢二美術館・・・(本郷通り)・・・求道会館・・・徳田秋声旧宅・・・蓋平館別荘跡(石川啄木旧居跡)・・③新坂・・・④菊坂・・⑤胸突坂・・・⑥梨木坂・・・菊坂・・火伏稲荷神社・・伊勢屋質店跡・・樋口一葉旧居跡・・・⑦鐙坂・・金田一京助旧居跡・・・・⑧炭団坂・坪内逍遥旧居(春逎舎)跡・・旧諸井恒平宅・・・⑨本妙寺坂・・真砂遺跡・・・(菊富士ホテル跡・赤心館跡・・・本妙寺旧跡・・・長泉寺・・・菊坂・・⑩金魚坂・・・⑪見返り坂・⑫見送り坂(中山道)・・かねやす・・・桜木神社・・・喜之床跡(啄木旧居跡)・・・本郷弓町のクスノキ・・・文京ふるさと歴史館・・⑬東富坂上・・⑭旧東富坂・・・⑮新坂(外記坂)・・・出世稲荷神社・・・⑯壱岐坂下・・⑰旧壱岐坂・・・金刀比羅宮・水道橋稲荷神社・(高松藩下屋敷跡)・・⑱金比羅坂・・・昌清寺・・・興安寺・・・⑲忠弥坂・・・宝生能楽堂・・・(対馬藩宗家中屋敷跡)・・・無名の坂・・・⑳建部坂・・・㉑お茶の水坂・・・済生学舎発祥地碑・・㉒富士見坂・・・本郷給水所公苑・・・三念寺・・・(本郷通り)・・・本郷座(春木座)跡・・・水道歴史館・・・㉓油坂・・・お茶の水橋(神田川)・・・御茶ノ水駅(JR総武線)

    【ル-ト地図

Img_2041弥生坂を上る。

Img_2046弥生式土器発掘ゆかりの地碑(弥生坂の坂上近く)

江戸時代はこの地は水戸藩の中屋敷で、明治5年、町家ができて向ヶ丘弥生町と名づけられた。 明治17年、ここの貝塚から発見された土器は、町名をとり弥生式土器と命名された。

Img_2047暗闇坂(坂下方向)

江戸時代は、加賀屋敷の北裏側(現・東大)と片側寺町の間の坂で、樹木の生い茂った薄暗い寂しい坂だったようだが、今は陽光が眩しい明るい坂だ。坂の途中の左側に弥生美術館・竹久夢二美術館がある。

Img_2049弥生美術館・竹久夢二美術館

弥生坂の坂上を進み、本郷通り(中山道)を横切る。

Img_2063求道会館 《地図

Img_2060説明板

Img_2085徳田秋声旧宅 《地図

Img_2066説明板

Img_2069蓋平館別荘跡(太栄館) 《地図

右は石川啄木の「東海の小島の磯の白砂に われ泣きぬれて 蟹とたはむる」の歌碑。啄木の故郷の渋民村は『奥州街道(盛岡城下→渋民宿→好摩駅』で訪れた。

Img_2067説明板

Img_2070新坂を下る。

文京区にある6つの新坂の一つ。

Img_2072説明板

Img_2074菊坂 本郷通りまで上る長い坂。

菊畑があり菊花を作る者が多く住んでいた。『ぶんきょうの坂道』

Img_2076胸突坂を上る。

昔はこの急坂を菊坂と呼んでいた。区内に胸突坂は3つある。

Img_2078鳳明館台町別館 《地図

向い側が本館

Img_2082梨木坂を下って菊坂の途中に出る。

Img_2083説明板

Img_2084火伏稲荷神社 《地図》(菊坂の途中)

Img_2085_2伊勢屋質店跡

「此の夜さらに伊勢屋のもとに走りて預けおきたるを出し、ふたたび売りに出さんとするなどいともあわただし」(「一葉日記」・下谷竜泉寺への引越しの準備)
下谷竜泉寺の一葉の旧居跡は、『東京散歩(台東区①

Img_2086説明板

Img_2087樋口一葉旧居跡

井戸は当時はつるべ井戸だったか。ここは表通りの菊坂の裏側の道を入った低地だ。司馬遼太郎は「街道をゆく」(本郷界隈)の中で、「一葉は明治二十六年三月、二十二歳のときの日記に、このあたりの地形を一行あまりで表現している。 ”我が家は、細道一つ隔て上(うえ)通りの商人どもが勝手とむかい合い居たり。” 文中、上通りというのは、菊坂台の通りのことである。通りの商家は、お尻を谷にむけているということであろう。」、と書いている。『一葉日記 上巻』の204頁。 さすが一葉の表現力は見事だし、”商人ども”と書くところにも、貧乏すれども一葉の自負が感じられるか。やせ我慢かも知れないが。

Img_2088鐙坂(あぶみざか)を上る。

大田区にも鐙坂、「唐津街道④」には鎧坂(よろいざか)がある。坂上の左側が金田一京助旧居跡。

Img_2089説明板

Img_2090説明板

Img_2149炭団坂

左の建物が坪内逍遥旧居(春逎舎(はるのや))跡。故郷の中山道太田宿の美濃太田駅前には逍遥の銅像が立っている。『中山道(太田宿→加納宿)

Img_2094説明板

Img_2150説明板

Img_2098諸井恒平宅 《地図

Img_2100本妙寺坂を下って上る。

Img_2101説明板(真砂遺跡・坂の途中)

Img_2111向い側の坂から本妙寺坂方向

左に説明板が2つ。

Img_2102説明板

振袖火事の火元の諸説には「本妙寺火元引き受け説」もある。

Img_2103説明板

Img_2107長泉寺

東隣りが本妙寺の旧跡で、その南側(本郷5-5)に啄木が下宿した赤心館菊富士ホテルがあった。『江戸切絵図
豊島区に移転した本妙寺は『東京散歩(豊島区)』に記載。

Img_2116金魚坂

坂の途中に金魚の卸問屋、坂上に喫茶店「金魚坂}がある。

Img_2118見返り坂から見送り坂中山道

今は坂と呼べるほどの傾斜はない。

Img_2119説明板

Img_2121かねやす(本郷三丁目交差点)

いつ来てもシャッターは閉まっている。閉店したのだろう。

Img_3825説明板

Img_3826説明板の上

Img_2125桜木神社

Img_2131喜之床跡(啄木旧居跡)

建物は明治村に移築・保存されているが、今も理髪店は健在だ。

Img_2129説明板

Img_2138本郷弓町のクスノキ地図

Img_2148文京ふるさと歴史館

Img_2145東富坂(右)・旧東富坂(直進)

小石川の富坂の東にある坂。鳶坂が旧名。真砂町へ上る坂なので真砂坂の別名がある。坂の北側は江戸時代松平右京亮の中屋敷があり、「右京山(右京ケ原)」と呼ばれ、小説『姿三四郎』の舞台となった。『ぶんきょうの坂道』

Img_2156旧東富坂

別名を鳶坂、飛坂。鳶が多かったので鳶坂、それが転じて富坂。春日町交差点の所は昔、二ケ谷と呼ばれた。谷を飛び越えて両方向い合っている坂で飛び坂といわれた。『ぶんきょうの坂道』 ちょうど地下鉄丸ノ内線が通って行く。

Img_2157新坂②

白山通りへ下る石段坂。

Img_2158説明板

Img_2159出世稲荷神社 《地図

春日局の出世にちなむ神社。

壱岐坂下を横切る。

Img_2166旧壱岐坂(壱岐殿坂)

小笠原壱岐守の下屋敷があった。

Img_2170金刀比羅宮(東京分社)

Img_2172金比羅坂を上る。

Img_2177昌清寺

徳川忠長ゆかりの寺

Img_2176説明板

Img_2178忠弥坂

丸橋忠弥の墓は宿坂下の金乗院にある。『豊島区の坂②

左下の都立工芸高校の敷地は松平讃岐守の屋敷跡、それ以前は対馬藩宗家中屋敷だったようだ。『江戸切絵図』(水戸殿の左下)

Img_2180説明板

Img_2183宝生能楽堂

現代風の建物だった。

Img_2187無名の急坂 

Img_2189建部坂を下る。

昔はこのあたりは初音の森といわれ、見晴らしもよかったのだろう。

Img_2191説明板

Img_2192お茶の水坂に出る。

Img_2195済生学舎発祥地碑(順天堂大の前)

明治15年に湯島の現東京ガーデンパレスの地へ移転した。『中山道(日本橋→戸田の渡し跡)』に記載。

Img_2194説明板

Img_2198富士見坂を上って振り返るが。

この坂は真南に向いているが、江戸時代には高い建物もなく、西横の方向に富士山がお茶の水の谷を越えてよく見えたのであろう。『ぶんきょうの坂道』

東京(23区)の富士見坂

Img_2205本郷給水所公苑

中央はカルメン像

本郷通りを横切る。

Img_2209本郷座(春木座)跡 《地図

Img_2208説明板

Img_2217東京都水道歴史館

Img_2218油坂を下る。

別名を揚場坂。神田川の堀端に舟をつけて荷物の揚げおろしする場所があり、そこに通ずる坂を揚場道坂といい、後に揚場坂となった。『ぶんきょうの坂道』 揚場が油に転じたのか。これが今日の最後の坂だ。

Img_2219神田川を行く神田川クルーズ

好天の土曜日でずいぶん遊覧客が乗っている。花見の頃はかき入れ時だろう。

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2019年3月13日 (水)

東京坂道散歩(湯島界隈)

2019年3月12日

 『東京坂道散歩(湯島界隈)』に記載

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2019年3月 9日 (土)

龍ヶ崎散歩

2019年3月2日・8日

竜ケ崎駅(関東鉄道竜ケ崎線)・・・来迎院・・・馴馬城跡・・・日枝神社・・・歴史民俗資料館・・・文化会館・・・愛宕神社・・・(大正堀川)・・・道祖神社①・・竜ケ崎一高・・・般若院・・・伏見稲荷神社・・・高田権現社・・・頼政神社・・頼政通り・・渋栗卵塔跡・・・竹駒稲荷神社・・・八坂神社・・旧諸岡家煉瓦門・・・寒山竹・・・大統寺・・・旧小野瀬家店舗・・・道祖神社②・・・龍泉寺・・・医王院・・・城南橋(江川)・・・直鮒橋・・・要蔵寺・・・直鮒大師・・・高砂橋・・・別雷神社・・・(江川)・・・花光大師・・・並木道祖神・・・米薬師堂・・竜ケ崎駅・・・水門水神宮・・・姫宮稲荷神社・・・論処橋(論処排水)・・・天満宮・・・道祖神社③・・・須間神社・・・正願寺・・・風呂屋神社・・・旧北文門小学校・・・阿弥陀寺・・・大杉神社・・・小貝川・・旧小貝川・・・小祠・・・矢口家長屋門・・・大師祠・・・(旧小貝川)・・・沖須橋・・・八坂神社・・厳島神社・・稲荷神社・・・(県道45号)・・・竜ケ崎駅

  【ル-ト地図

Img_1735関東鉄道竜ケ崎線(竜ケ崎駅)

路線の全長4.5km、佐貫駅-入地駅-竜ケ崎駅の3駅だけ。

 

Img_1759昭和40年12月まで走っていた4号蒸気機関車

龍ヶ崎市歴史民俗資料館の前庭に展示。

Img_1758説明板

Img_1780旧駅舎

 

Img_1918現在の駅舎

 

Img_1744多宝塔(来迎院)

 

Img_1746説明板

 

Img_1741馴馬(なれうま)城跡 《地図

 

Img_1750堀切跡

 

Img_1786説明板(歴史民俗資料館の敷地内に設置)

 

Img_1787縄張図

 

Img_1752日枝神社 《地図

このあたりは樹木に囲まれた静かな別天地だ。

 

Img_1763歴史民俗資料館

農家の「まで屋」(納屋)と旧商店舗

 

Img_1769_2仙台領柱

 

Img_1772説明板

 

Img_1811愛宕神社 《地図

寛永18年(1641年)、伊達政宗の子の忠宗の創建という。隣の愛宕中学校を含んだ丘陵地は、前方後円墳などの愛宕山古墳群で、明治37年に男女の人物埴輪が1体づつ出土したそうだ。

 

Img_1793石段下の石塔は道標を兼ねている。

猿田彦大神塔(右)の右側面には、「龍ヶ崎 成田山 道」・左側面には、「おなばけ つちうら 道」(女化 土浦)、
青面金剛庚申塔(中・天保7年(1836))の左側面には、「おかみ つちうら やたべ つくば」(岡見・土浦・谷田部・筑波」、
十三夜供養塔(左)の正面には、「右ハ ○○みち 左ハ つちうら道」か。

 

Img_1806スダジイの大木(推定樹齢400年以上)

社殿の右後ろにもある。

 

Img_1807由緒

 

Img_1812大正堀川 《地図

大正時代に掘られた用水路?

 

Img_1813龍ヶ崎の竜か。

 

Img_1816道祖神社 《地図

 

Img_1820般若院

本堂裏手のシダレ桜

 

Img_1823伏見稲荷社

鳥居は傾き倒れそうだ。今は信仰も篤からず、管理も十分ではないようだ。

 

Img_1825危うい神社だが、母狐は子狐をしっかりと守っている。

 

Img_1828高田権現社 《地図

龍ヶ崎 西の風物語』の9頁

 

Img_1829由緒

 

Img_1833頼政神社 《地図

分かりづらい所にある小さな祠社だ。平家打倒の夢破れた源頼政は自害する際に家臣の下河辺行吉に、自分の首を東国へ運んで葬るように命じた。
鎌倉時代になって下河辺が一族の守護神として、頼政神社を建てたと伝えられているとか。それにしても小さ過ぎやしないか。(高崎市の「頼政神社」・古河市の「頼政神社」)
明治初期には立派な社殿があり、昭和期まで社や鳥居、木立があって歌を詠む人や、芸事をたしなむ人々なども多く参拝に訪れていたという。『龍ヶ崎 西の風物語』の8頁

 

Img_1838渋栗卵塔(しぶくりらんとう)跡 《地図》(墓地)

龍ケ崎開拓の最初の領主下河辺一族の墓跡とされているが幕末頃から大統寺より分かれ、民家の墓地となっている。一説には”しもこうべ”が訛って変化し、”しぶくり”になったとか。かつて卵塔(卵形の仏塔墓)があったと推測されるが、現在は一基も無い。『龍ヶ崎 西の風物語』の21頁

 

Img_1847竹駒稲荷神社 《地図

神木の大クスノキ(推定樹齢250年)の下に社殿がある。ここも分かりにくい所だ。『龍ヶ崎 西の風物語』の18頁。
(宮城県岩沼市の竹駒(稲荷)神社

 

Img_1848ここも小さな社殿だが、手厚く祀られているようだ。

 

Img_1850昔風の雑貨屋?

 

Img_1855八坂神社 ・「本殿

祇園祭最終日の夕刻、根町の撞舞通りで、伝統芸能の「撞舞」が行われる。

 

Img_1854欅(けやき)

 

Img_1858旧諸岡家煉瓦門・塀  《地図

 

Img_1859説明板

 

Img_1860寒山竹 《地図》?

当家は無住のようだ。

 

Img_1870旧小野瀬家店舗 《地図

 


小野瀬家の向かい側あたりにあるという藤右衛門稲荷を探すが見当たらず。

Img_1872道祖神社② 《地図

鳥居があるから神社と呼ぼう。

 

Img_1876龍泉寺

安産・子育て・出生・開運・除災の観音様として広く信仰を集め、「龍ヶ崎観音」として親しまれている。

 

Img_1881医王院

伊達家は薬師如来の信者で、龍ケ崎の東西の護りとして西の米町薬師堂(竜ケ崎駅前)、東の砂町薬師堂(医王院)を定めたという。
左に「蓼太(りょうた)句碑」が立つ。

 

Img_1879蓼太句碑

「たましひの入れものひとつ種ふくべ」

 

Img_1886城南橋から江川(上流方向) 《地図

牛久沼から河内町まで流れる、全長10kmほどの用水河川。ここは龍ヶ崎城跡(龍ヶ崎二高の所)の「城南」だ。

 

Img_1894直鮒(すうぶな)大師 《地図

龍ヶ崎 西の風物語』の17頁

 

Img_1898別雷神社

龍ヶ崎 西の風物語』の15頁

 

Img_1902花光(はなみつ)大師 《地図》あたり

盲目で生れたお光(みつ)という女の子が成長してこの地域に花を植えたことに由来する名という。女人の大師は珍しいか。『龍ヶ崎 西の風物語』の19頁

 

Img_1905並木道祖神 《地図》あたり

龍ヶ崎 西の風物語』の10頁

 

Img_1921米薬師堂

難病の娘に米三粒を含んだ霊水を飲ませ、秘文を唱えると娘が快癒したことから米の薬師様として信仰されていったという。右は享保10年(1725)建立の延命地蔵。『龍ヶ崎 西の風物語』の3頁

 

Img_2040水門(みずもん)水神宮 《地図

民家の敷地内のようで近づきにくい。江川の対岸から祠の裏側を遥拝した。

龍ヶ崎 西の風物語』の13頁

 

Img_1930姫宮稲荷神社 《地図

社殿はなく小さな石祠のみ。

龍ヶ崎 西の風物語』の20頁

 

Img_1935論処橋から論処排水(下流方向) 《地図

農業用水の水争いの水論があったところ。

龍ヶ崎 西の風物語』の24頁

 

Img_1941天満宮 《地図

 

Img_1943道祖神社③

 

Img_1946田園地帯を行く。

 

Img_1954須間神社 《地図

利根町の蛟もう神社の分社。本殿は正面の覆屋の中にある。手前は二十三夜供養塔(天保2年?(1831))

 

Img_1959正願寺

 

Img_1965風呂屋神社地図

面白い名前で期待していたが、なんだが殺風景の感じだ。風呂屋の由来は?

 

Img_1975阿弥陀寺山門

阿弥陀如来三尊像

 

Img_1979旧家

ここを大杉神社と間違え、門をくぐろうとしてしまった。

 

Img_1981大杉神社(左)・雷神宮(右) 《地図

 

Img_1993小貝川(下流方向)

ここから利根川まで2.5kmほどで、ここは取手市との境あたり。

 

Img_1998旧小貝川(上流方向) 《地図

 

Img_2004旧家

 

Img_2006矢口家長屋門地図》あたり

 

Img_2010人道橋を渡る。 《地図

 

Img_2014上流方向

鴨がスイスイ泳いでいる。

 

Img_2016対岸に高須稲荷の鳥居が見えるが、ここから遥拝のみ。 《地図

 

Img_2021沖須橋から旧小貝川(上流方向)

 

Img_2023八坂神社

 

Img_2026厳島神社

 

Img_2033稲荷神社 《地図

地図に表示はないが三社のうちで、境内は一番広く社殿も立派だ。

県道4号を横切り、論処橋を渡って竜ケ崎駅に向かった。

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