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2019年3月 9日 (土)

龍ヶ崎散歩

2019年3月2日・8日

竜ケ崎駅(関東鉄道竜ケ崎線)・・・来迎院・・・馴馬城跡・・・日枝神社・・・歴史民俗資料館・・・文化会館・・・愛宕神社・・・(大正堀川)・・・道祖神社①・・竜ケ崎一高・・・般若院・・・伏見稲荷神社・・・高田権現社・・・頼政神社・・頼政通り・・渋栗卵塔跡・・・竹駒稲荷神社・・・八坂神社・・旧諸岡家煉瓦門・・・寒山竹・・・大統寺・・・旧小野瀬家店舗・・・道祖神社②・・・龍泉寺・・・医王院・・・城南橋(江川)・・・直鮒橋・・・要蔵寺・・・直鮒大師・・・高砂橋・・・別雷神社・・・(江川)・・・花光大師・・・並木道祖神・・・米薬師堂・・竜ケ崎駅・・・水門水神宮・・・姫宮稲荷神社・・・論処橋(論処排水)・・・天満宮・・・道祖神社③・・・須間神社・・・正願寺・・・風呂屋神社・・・旧北文門小学校・・・阿弥陀寺・・・大杉神社・・・小貝川・・旧小貝川・・・小祠・・・矢口家長屋門・・・大師祠・・・(旧小貝川)・・・沖須橋・・・八坂神社・・厳島神社・・稲荷神社・・・(県道45号)・・・竜ケ崎駅

  【ル-ト地図

Img_1735関東鉄道竜ケ崎線(竜ケ崎駅)

路線の全長4.5km、佐貫駅-入地駅-竜ケ崎駅の3駅だけ。

 

Img_1759昭和40年12月まで走っていた4号蒸気機関車

龍ヶ崎市歴史民俗資料館の前庭に展示。

Img_1758説明板

Img_1780旧駅舎

 

Img_1918現在の駅舎

 

Img_1744多宝塔(来迎院)

 

Img_1746説明板

 

Img_1741馴馬(なれうま)城跡 《地図

 

Img_1750堀切跡

 

Img_1786説明板(歴史民俗資料館の敷地内に設置)

 

Img_1787縄張図

 

Img_1752日枝神社 《地図

このあたりは樹木に囲まれた静かな別天地だ。

 

Img_1763歴史民俗資料館

農家の「まで屋」(納屋)と旧商店舗

 

Img_1769_2仙台領柱

 

Img_1772説明板

 

Img_1811愛宕神社 《地図

寛永18年(1641年)、伊達政宗の子の忠宗の創建という。隣の愛宕中学校を含んだ丘陵地は、前方後円墳などの愛宕山古墳群で、明治37年に男女の人物埴輪が1体づつ出土したそうだ。

 

Img_1793石段下の石塔は道標を兼ねている。

猿田彦大神塔(右)の右側面には、「龍ヶ崎 成田山 道」・左側面には、「おなばけ つちうら 道」(女化 土浦)、
青面金剛庚申塔(中・天保7年(1836))の左側面には、「おかみ つちうら やたべ つくば」(岡見・土浦・谷田部・筑波」、
十三夜供養塔(左)の正面には、「右ハ ○○みち 左ハ つちうら道」か。

 

Img_1806スダジイの大木(推定樹齢400年以上)

社殿の右後ろにもある。

 

Img_1807由緒

 

Img_1812大正堀川 《地図

大正時代に掘られた用水路?

 

Img_1813龍ヶ崎の竜か。

 

Img_1816道祖神社 《地図

 

Img_1820般若院

本堂裏手のシダレ桜

 

Img_1823伏見稲荷社

鳥居は傾き倒れそうだ。今は信仰も篤からず、管理も十分ではないようだ。

 

Img_1825危うい神社だが、母狐は子狐をしっかりと守っている。

 

Img_1828高田権現社 《地図

龍ヶ崎 西の風物語』の9頁

 

Img_1829由緒

 

Img_1833頼政神社 《地図

分かりづらい所にある小さな祠社だ。平家打倒の夢破れた源頼政は自害する際に家臣の下河辺行吉に、自分の首を東国へ運んで葬るように命じた。
鎌倉時代になって下河辺が一族の守護神として、頼政神社を建てたと伝えられているとか。それにしても小さ過ぎやしないか。(高崎市の「頼政神社」・古河市の「頼政神社」)
明治初期には立派な社殿があり、昭和期まで社や鳥居、木立があって歌を詠む人や、芸事をたしなむ人々なども多く参拝に訪れていたという。『龍ヶ崎 西の風物語』の8頁

 

Img_1838渋栗卵塔(しぶくりらんとう)跡 《地図》(墓地)

龍ケ崎開拓の最初の領主下河辺一族の墓跡とされているが幕末頃から大統寺より分かれ、民家の墓地となっている。一説には”しもこうべ”が訛って変化し、”しぶくり”になったとか。かつて卵塔(卵形の仏塔墓)があったと推測されるが、現在は一基も無い。『龍ヶ崎 西の風物語』の21頁

 

Img_1847竹駒稲荷神社 《地図

神木の大クスノキ(推定樹齢250年)の下に社殿がある。ここも分かりにくい所だ。『龍ヶ崎 西の風物語』の18頁。
(宮城県岩沼市の竹駒(稲荷)神社

 

Img_1848ここも小さな社殿だが、手厚く祀られているようだ。

 

Img_1850昔風の雑貨屋?

 

Img_1855八坂神社 ・「本殿

祇園祭最終日の夕刻、根町の撞舞通りで、伝統芸能の「撞舞」が行われる。

 

Img_1854欅(けやき)

 

Img_1858旧諸岡家煉瓦門・塀  《地図

 

Img_1859説明板

 

Img_1860寒山竹 《地図》?

当家は無住のようだ。

 

Img_1870旧小野瀬家店舗 《地図

 


小野瀬家の向かい側あたりにあるという藤右衛門稲荷を探すが見当たらず。

Img_1872道祖神社② 《地図

鳥居があるから神社と呼ぼう。

 

Img_1876龍泉寺

安産・子育て・出生・開運・除災の観音様として広く信仰を集め、「龍ヶ崎観音」として親しまれている。

 

Img_1881医王院

伊達家は薬師如来の信者で、龍ケ崎の東西の護りとして西の米町薬師堂(竜ケ崎駅前)、東の砂町薬師堂(医王院)を定めたという。
左に「蓼太(りょうた)句碑」が立つ。

 

Img_1879蓼太句碑

「たましひの入れものひとつ種ふくべ」

 

Img_1886城南橋から江川(上流方向) 《地図

牛久沼から河内町まで流れる、全長10kmほどの用水河川。ここは龍ヶ崎城跡(龍ヶ崎二高の所)の「城南」だ。

 

Img_1894直鮒(すうぶな)大師 《地図

龍ヶ崎 西の風物語』の17頁

 

Img_1898別雷神社

龍ヶ崎 西の風物語』の15頁

 

Img_1902花光(はなみつ)大師 《地図》あたり

盲目で生れたお光(みつ)という女の子が成長してこの地域に花を植えたことに由来する名という。女人の大師は珍しいか。『龍ヶ崎 西の風物語』の19頁

 

Img_1905並木道祖神 《地図》あたり

龍ヶ崎 西の風物語』の10頁

 

Img_1921米薬師堂

難病の娘に米三粒を含んだ霊水を飲ませ、秘文を唱えると娘が快癒したことから米の薬師様として信仰されていったという。右は享保10年(1725)建立の延命地蔵。『龍ヶ崎 西の風物語』の3頁

 

Img_2040水門(みずもん)水神宮 《地図

民家の敷地内のようで近づきにくい。江川の対岸から祠の裏側を遥拝した。

龍ヶ崎 西の風物語』の13頁

 

Img_1930姫宮稲荷神社 《地図

社殿はなく小さな石祠のみ。

龍ヶ崎 西の風物語』の20頁

 

Img_1935論処橋から論処排水(下流方向) 《地図

農業用水の水争いの水論があったところ。

龍ヶ崎 西の風物語』の24頁

 

Img_1941天満宮 《地図

 

Img_1943道祖神社③

 

Img_1946田園地帯を行く。

 

Img_1954須間神社 《地図

利根町の蛟もう神社の分社。本殿は正面の覆屋の中にある。手前は二十三夜供養塔(天保2年?(1831))

 

Img_1959正願寺

 

Img_1965風呂屋神社地図

面白い名前で期待していたが、なんだが殺風景の感じだ。風呂屋の由来は?

 

Img_1975阿弥陀寺山門

阿弥陀如来三尊像

 

Img_1979旧家

ここを大杉神社と間違え、門をくぐろうとしてしまった。

 

Img_1981大杉神社(左)・雷神宮(右) 《地図

 

Img_1993小貝川(下流方向)

ここから利根川まで2.5kmほどで、ここは取手市との境あたり。

 

Img_1998旧小貝川(上流方向) 《地図

 

Img_2004旧家

 

Img_2006矢口家長屋門地図》あたり

 

Img_2010人道橋を渡る。 《地図

 

Img_2014上流方向

鴨がスイスイ泳いでいる。

 

Img_2016対岸に高須稲荷の鳥居が見えるが、ここから遥拝のみ。 《地図

 

Img_2021沖須橋から旧小貝川(上流方向)

 

Img_2023八坂神社

 

Img_2026厳島神社

 

Img_2033稲荷神社 《地図

地図に表示はないが三社のうちで、境内は一番広く社殿も立派だ。

県道4号を横切り、論処橋を渡って竜ケ崎駅に向かった。

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