« 我孫子散歩③ | トップページ | 長久保道① »

2019年10月25日 (金)

下総葛飾小金道

2019年10月23日

三郷駅(JR武蔵野線)・・・桜稲荷神社・・流山橋(江戸川)・・・一茶双樹記念館・・杜のアトリエ黎明・・光明院・・赤城神社・・流山寺・・・(神明堀)・・・死人坂・・東福寺墓地・千仏堂・・(つくばエクスプレス線)・・東福寺・・・雷神社・・・新横須賀橋(坂川)・・・女躰神社・・・正福寺・・・横須賀橋(新坂川)・(流鉄流山線)・・・馬屋敷緑地・・・神明神社・・・小金城址(大谷口歴史公園)・・・大勝院・・・常真寺・・・流山ガード(JR常磐線)・・・八坂神社・・・水戸街道道標・八坂神社跡碑・・本土寺道標・水戸街道小金宿・・小金町道路元標・・東漸寺・・本陣跡(大塚家)・・旅館玉屋跡・・一月寺・・永妻可長居宅跡・・(国道6号(水戸街道))・旧水戸街道・・・常行寺・・和尚坂・・・(JR武蔵野線)・・大坂・・・蘇羽鷹神社・国道6号・・・一里塚跡・・道標(八ヶ崎交差点)・旧水戸街道・江戸見坂・・馬橋弁財天厳島神社・・子育地蔵・・萬満寺・・王子神社・・栢日庵立砂旧居跡・・馬橋(長津橋)・・・馬橋駅(JR常磐線)

 小林一茶も歩いた小金道を、流山から水戸街道の小金宿まで行き、さらに水戸街道を一茶ゆかりの地、馬橋まで行く。

 【ル-ト地図

Img_5800桜稲荷神社

桜の木が3本ほどあるようだが、神社の由緒などは分からない。

 

Img_5803江戸川(流山橋から下流方向)

台風19号の大雨からもう10日も経っているが、河川敷の水はまだ引いていない。正面は武蔵野線の江戸川橋梁

 

Img_5841一茶双樹記念館 「説明板

「下総葛飾小金道絵図」を買って、南の水戸街道の馬橋までいざ出発だ。

一茶は寄寓地のここ流山から、北の布施街道沿いの守谷の西林寺へも9度も訪れて句会も開いている。

 

Img_5837杜のアトリエ黎明

 

Img_5834 説明板

 

Img_5822 光明院 「説明板

 

Img_5830 一茶と双樹の連句碑

 

Img_5829 説明板

 

Img_5832 双樹の墓

小林一茶の故郷と晩年の地、柏原は『北国街道⑥』に記載。土蔵暮らしの不幸な晩年だった。

 

Img_5831 説明板

 

Img_5809 赤城神社の大しめ縄

 

Img_5816 説明板

 

Img_5812 赤城神社

流山の地名の発祥伝説の神社。

 

Img_5814 むくろじ

 

Img_5810 説明板

「ムクロジは三年みがいても黒い」という諺は聞いたことがなかった。

 

Nagareyamadera 流山寺

流山七福神の大黒天

 

Img_5846 神明堀(上流方向)

 

Img_5851 流鉄流山線

このあたりは小金道から少しはずれている。

 

Img_5861 死人坂を上って千仏堂へ。

坂名の由来は「流山の坂①

 

Img_5857 千仏堂 「説明板

阿弥陀如来立像附千体阿弥陀如来立像

 

Img_5863 死人坂方向

東福寺の裏参道石段下から。坂下あたりの地下をつくばエクスプレス線が通っている。

 

Img_5872 東福寺

「俵藤太(藤原秀郷)百足退治の図」(流山市指定有形民俗文化財)がある。「江戸川八十八ヶ所」の1番札所

 

Img_5874 中門

 

Metubusikamo 中門の鴨居にある鴨の彫刻

流山の民話④ 「目つぶしの鴨」 彫刻とはいえ鴨の目に釘を打つとは。動物愛護団体が見たら何というか。

 

Img_5876雷神社

正月に「おびしゃ行事」が行われる。

 

Img_5879_20191024155401

新横須賀橋(坂川上流方向)

 

Img_5881_20191024155401 女躰神社

創立年代は不詳だが古来より横須賀部落の鎮守。

 

Img_5883_20191024155401 正福寺

 Img_5885_20191024155401新坂川 (横須賀橋から上流方向)

(旧)坂川は新横須賀橋

Img_5884_20191024155401流鉄流山線の踏切を渡る。

Img_5890 馬屋敷緑地

小金城の馬屋敷があったのか。

Img_5891馬屋敷緑地から神明神社に上る坂

馬坂か神明坂と呼ぼうか。

Img_5892 神明神社

小金城の鎮守として城主の高城氏が天文年間(1532~54)に馬屋敷の地に創建したのが始めという。

Img_5893 小金城址(大谷口歴史公園)

小金城址駅もあるのに、なぜ小金城址公園にしないのだろう。大谷口城の別名はあるが。馬屋敷緑地を含むこのあたり一帯が小金城の広大な城域だった。

Img_5896 金杉口跡

Img_5897  説明板

Img_5898 畝堀と障子堀を結ぶ土塁の下

Img_5901 障子堀

Img_5899 説明板

 

Img_5900  

 

Img_5906 土塁

Img_5904 説明板

Img_5910畝堀

畝跡は残っていない。

Img_5908 説明板

Img_5909畝がある。

Img_5923 大勝院

Img_5921 由緒碑

「大谷口城の城郭の遺構の殆どを、東急不動産株式会社の手によって破壊されてしまい・・・」とある。

 

 Img_5932 流山ガードをくぐる。

Img_5934 日本鉄道時代のレンガのトンネル(上を通る常磐線の橋脚)

Img_5939 八坂神社へ上る坂

左上を常磐線か通る。

Img_5941 八坂神社

もとはこの先の水戸街道沿いに建っていたようだ。旧社地(水戸街道道標の所)に石標が立っている。

水戸街道道標・小金宿~江戸見坂・萬満寺までは、『水戸街道(松戸宿→我孫子宿)』(逆方向に歩いている)・『松戸市の坂②』に記載。『松戸散歩

Img_6036 栢日庵(大川)立砂居宅跡

東葛地方の俳諧人として有名で、一茶から爺と慕われ彼のよき理解者、庇護者だった。萬満寺に立砂(?~寛政11年(1799))の墓がある。

この先の水戸街道は馬橋(長津川)を渡って松戸宿へと続いて行く。

 

|

« 我孫子散歩③ | トップページ | 長久保道① »

旅行・地域」カテゴリの記事

コメント

この記事へのコメントは終了しました。