下総葛飾小金道
2019年10月23日
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小林一茶も歩いた小金道を、流山から水戸街道の小金宿まで行き、さらに水戸街道を一茶ゆかりの地、馬橋まで行く。
【ル-ト地図】
桜稲荷神社
桜の木が3本ほどあるようだが、神社の由緒などは分からない。
台風19号の大雨からもう10日も経っているが、河川敷の水はまだ引いていない。正面は武蔵野線の江戸川橋梁
「下総葛飾小金道絵図」を買って、南の水戸街道の馬橋までいざ出発だ。
一茶は寄寓地のここ流山から、北の布施街道沿いの守谷の西林寺へも9度も訪れて句会も開いている。
杜のアトリエ黎明
小林一茶の故郷と晩年の地、柏原は『北国街道⑥』に記載。土蔵暮らしの不幸な晩年だった。
流山の地名の発祥伝説の神社。
「ムクロジは三年みがいても黒い」という諺は聞いたことがなかった。
流山七福神の大黒天
神明堀(上流方向)
このあたりは小金道から少しはずれている。
坂名の由来は「流山の坂①」
東福寺の裏参道石段下から。坂下あたりの地下をつくばエクスプレス線が通っている。
「俵藤太(藤原秀郷)百足退治の図」(流山市指定有形民俗文化財)がある。「江戸川八十八ヶ所」の1番札所
中門の鴨居にある鴨の彫刻
流山の民話④ 「目つぶしの鴨」 彫刻とはいえ鴨の目に釘を打つとは。動物愛護団体が見たら何というか。
正月に「おびしゃ行事」が行われる。
新横須賀橋(坂川上流方向)
女躰神社
創立年代は不詳だが古来より横須賀部落の鎮守。
新坂川 (横須賀橋から上流方向)
(旧)坂川は新横須賀橋
小金城の馬屋敷があったのか。
馬屋敷緑地から神明神社に上る坂
馬坂か神明坂と呼ぼうか。
小金城の鎮守として城主の高城氏が天文年間(1532~54)に馬屋敷の地に創建したのが始めという。
小金城址(大谷口歴史公園)
小金城址駅もあるのに、なぜ小金城址公園にしないのだろう。大谷口城の別名はあるが。馬屋敷緑地を含むこのあたり一帯が小金城の広大な城域だった。
畝跡は残っていない。
畝がある。
「大谷口城の城郭の遺構の殆どを、東急不動産株式会社の手によって破壊されてしまい・・・」とある。
日本鉄道時代のレンガのトンネル(上を通る常磐線の橋脚)
左上を常磐線か通る。
もとはこの先の水戸街道沿いに建っていたようだ。旧社地(水戸街道道標の所)に石標が立っている。
水戸街道道標・小金宿~江戸見坂・萬満寺までは、『水戸街道(松戸宿→我孫子宿)』(逆方向に歩いている)・『松戸市の坂②』に記載。『松戸散歩』
東葛地方の俳諧人として有名で、一茶から爺と慕われ彼のよき理解者、庇護者だった。萬満寺に立砂(?~寛政11年(1799))の墓がある。
この先の水戸街道は馬橋(長津川)を渡って松戸宿へと続いて行く。
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