将門散歩(さいたま市・鴻巣市)
2020年5月26日
東浦和駅(JR武蔵野線)・・・井沼方公園・・・明神社・・・東浦和駅(JR武蔵野線・京浜東北線)→大宮駅・・・神明橋(鴻沼排水)・・・将門館跡(大平公園)・・・駒形神社・・・大宮駅(JR高崎線)→鴻巣駅・・・大野神社・・・(伝)源経基館跡・城山・・・馬頭観音(2基)・・・滝馬室冠水橋・・・甚兵衛稲荷神社・・・川幅日本一の標柱(御成橋・荒川)・・・滝馬室氷川神社・・・阿弥陀堂・・・馬室陸橋・・・?堂・・・(北塚古墳)・・・常勝寺・・・庚申塔・馬頭観音・・・馬頭観音(2基)・・・野宮神社・・・稲荷神社・・・鴻巣駅
調整池のようだ。河津桜も植えられていて、来年はきっと花見もできるだろう。
社殿は鳥居と斜めに建っている。将門の家来が戦に敗れて落ち延び、この地の国谷家にかくまわれた。この縁で将門の末裔に当たる奥州相馬氏が祀った相馬小高神社から分霊を当地に勧請したという。
東浦和駅から大宮駅に向かう。
「大宮二十景」の「将門とダイダラボッチの大平公園」
建物の間で窮屈そう、それとも三方をがっちりと守られた要害の地に鎮座するか? 鎮座といっても社殿はなく「駒形神社」の石碑があるのみだが。将門が乗っていた白馬を祀ったと伝え、付近の畑からは白いサツマイモが採れ、白馬の変身といわれたとか。。
ここは5年前の『鴻沼川③』で歩いているのだが、すっかり忘れている。
大宮駅から鴻巣駅に向かう。
天慶元年(938)に、源仕が社を造営したことに始まるという。 源経基が葦毛の馬を奉納したともいう。源仕の箕田源氏ゆかりの所は、『中山道(上尾宿→鴻巣宿)』に記載。
『将門記』の源経基が妻子を連れて避難した「狹服山」(さふくやま)の候補地の一つ。
細かすぎて読みづらい。
観音像と文字の2基。
麦畑の向こうは御成橋。
年に数回、台風で冠水し通行止めになるそうだ。車も通っていたようだが、現在はどうか?
正面は御成橋
こちらは裏参道だろう。記念石碑によれば、慶長11年(1606)に加藤甚左衛門が創祀し、宝暦3年(1753)に子孫の勘兵衛が、「正一位勘兵衛稲荷大明神」の神璽を授かったようだ。
日本一の川幅標柱(御成橋)
ここから630m上流が川幅日本一(2537m)というから、滝馬室冠水橋の上流200mあたりだ。「御成」とは当地へたびたび鷹狩に来た徳川家康にちなむという。
坂上田村麻呂の悪竜(大蛇)退治に由来する神事で、将門でも百足(ムカデ)退治の藤原秀郷でもない。
左前は馬頭観音(寛政7年(1795))、左の樹林の中に北塚古墳があるのだが、何度も行ったり来たりしたが入口が分らず、近づけなかった。
「的祭」の説明板の悪竜(大蛇)が巻きついたという桜の巨木(蛇桜)を探したが、見当たらなかった。 このあたりの「サブ山」を「狭服山」とする説もあるが、荒川に近く起伏もなく、今は「山」という感じではない。北方の(伝)源経基館あたりの方がふさわしいのでは。ちなみに「狭服山」は、①大蔵館跡・大蔵神社(嵐山町)、②杉山城址(嵐山町)、③松山城址(東松山市)、④将軍塚(所沢市)などの説もある。
寄り道しながら鴻巣駅に向かう。
両者とも文化2年(1805)の造立。この先にも馬頭観音が2基並んでいる。「原馬室の獅子舞・棒術」
地蔵さん・馬頭観音・古木・鳥居
これで今日の予定を終了し、鴻巣駅に向かった。
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