将門散歩(佐倉市・酒々井町・市川市)
2020年5月28日
大佐倉駅(京成本線)・・・麻賀多神社・・・大佐倉八幡神社・・・将門山大明神・口ノ宮神社・・・桔梗塚・・・大佐倉八幡神社参道・・・吉祥寺・・・根古谷の双体道祖神・・弁天社・・・根古谷の館・・・妙見神社・・本佐倉城址・・・道標・・宮坂新道標石・・(京成本線ガード)・・・勝胤寺・・宝珠院・大佐倉小学校跡・・・住善寺・・・大佐倉駅(京成本線)→京成八幡駅・・・不動院・・・白幡天神社・・・浄言寺・・御代院・・・菅野停留場設置紀念碑・・菅野駅(京成本線)
小さな駅で、京成線の駅では最も乗降人員が少ないというが特急も停まる。どうも「大佐倉」と「本佐倉」を取り間違えやすい。
佐倉市には麻賀多神社が11社もあるようだ。左の馬頭観音の祠の前のスダジイは樹齢150年以上で佐倉市の保存樹。
危険なので利用しないように、との掲示板が架かっている。
この道は参道ではないだろう。
将門の父の平良将(良持)が居館を構えた地ともいう。この神社の創祀は不明だが、明応3年(1494)に本佐倉城主千葉勝胤から、弘治3年(1557)には千葉胤富から田地が寄進されたと伝え、本佐倉城の鎮守のひとつであったと考えられている。本殿は佐倉市の指定文化財。
樹齢170年以上のシイ、スギなどで佐倉市の保存樹。
将門と義民の佐倉惣五郎を祀る。ここ将門山は将門が館を構えた地という。鳥居の前にあるという佐倉藩初代藩主堀田正亮が植えたマテバシイを探したが、どうも見当たらない。帰ってから調べたら枯れてしまったようで、2代目の若木が植えられているそうだ。運よくこの若木の写真は撮ってあった。
堀田正亮が植えたマテバシイの2代目だろう。
道標(右下)
京成本線ガードをくぐる。
大佐倉駅から京成八幡駅に向かう。タイミングよく特急に乗れたのだが、勝田台駅の手前の踏切で人身事故で数十分停車、やっと動いたと思ったら勝田台駅で運転中止で降ろされてしまった。後続電車もかなり遅れたが何とか京成八幡駅にたどり着いた。 本尊の不動明王は、天慶2年(939)、将門の乱平定のため寛朝僧正が、成田山の不動明王と同木同作のものを、この地に安置したと伝えられている。 菅原道真と将門は怨霊同士の間柄。また道真の子・三郎景行の景行の館(学問所)で、将門の弟・将平が学問に励んだという縁もある。常総市(茨城県)には三郎天神社もある。 晩年に近くに住んでいた。露伴の葬儀はここで執り行われた。 『平将門』(青空文庫)、将門の怨霊の登場する『帝都物語』でも活躍している。谷中墓地のそばにも居宅跡がある。『将門散歩(台東・千代田・新宿・中野)』 将門調伏に功績をたて、将門とその将兵を生涯弔うために、この地に留まった菅野夫妻を祀った祠。祠内に墓標を安置する。 このあたりにはノッポな松が何本もそびえている。
菅野停留場設置紀念道標(大正5年)(京成線の踏切前)
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