将門散歩(つくばみらい市・守谷市)
2020年5月24日
新守谷駅(関東鉄道常総線)・・・道標?・・・禅福寺・・筒戸城址・・・妙見八幡神社・御出子城址あたり・・・つくばエクスプレス総合基地・・・永泉寺・・・満天星通り・・天の川公園・・星の広場・将門並木(松並木公園)・・・(松並西交差点)・・・海老沢踏切(関東鉄道常総線)・・・土塔森林公園・・・長龍寺・・・(つくばエクスプレス線)・・・(幸福の路)・・・(鈴塚交差点)・・馬頭観音・道標・・・日枝神社・鈴塚・・・(五反田川)・・・?清水・・・天満宮・・・成田不動石碑(お化け石)・日光大権現・・海禅寺・・・(羽中川)・・興世王の分城あたり・・今城橋(羽中川)・・・乙子地区・石神神社・・・古山の砦跡あたり(小山地区)・・・郷州小学校(郷州街道・桔梗ヶ原跡あたり)・・・郷州文化財公園・山の神祠・・・羽黒神社・・・南守谷駅(関東鉄道常総線)
【地図】
(参考:『平将門伝説』(守谷市)・参照:『将門散歩』)一輛だが乗客も一人ぐらいで、まるで貸切電車のようだ。
承平元年(931)に平将門の創建と伝える。妙見菩薩が将門に矢を授ける場面を描いた掛け軸、将門が深く尊崇した十一面観音像を安置するという。
「御出子」(おんでし)は将門に縁のあるこのあたりの地名。
筒戸城跡の濠跡あたり
御出子城址あたり?
将門とこの地の女性(車御前?(土豪・中村庄司の娘))との子どもで、「若松」と名づけたという。その子は立派な風采をしていたので、将門の叔父の平良文が「あぁ、御出子」といい、これが地名になったという伝承が残る。
平良文の建立と伝える。社殿は小さいが三春桜の大木が見事だ。
つくばエクスプレス総合基地沿いを通り、つくばみらい市から守谷市に入る。
将門が亡んだ後、その家族や生き残った者たちが将門や影武者の土偶をこの地に祀ったことに始まる寺と伝える。
「聖徳太子立像」(守谷市文化財№4)・「沼崎山畧縁起」(文化財№13)には、将門が自分に似せて作った土偶を安置し、堂宇を建てて代々これを守ってきたことが記されている。
永泉寺から松並木公園(将門並木)までの間に、ドウダンツツジ(満天星)が植えられているコミュニティ道路。
アキニレを水に映して、反転した北斗七星の形に植栽している。将門が信仰した妙見菩薩は北極星、北斗七星の神格化された姿で、将門の後裔を称する千葉氏にも縁がある。
松並木公園(将門並木)「説明板」
守谷から北上する松並木で、内裏道や将門並木と呼ばれている。「説明板」には将門の名はない。ここの松も戦時中に松根油を採るために伐採されたそうだ。
将門並木を南下し、「松並」西交差点を右折し、関東鉄道常総線の踏切を渡って行く。
派手な車両が撮れた。左の車の運転席の女性から声がかかった。
「うまく撮れました?」、「撮れたよ」、(嬉しそうに)「バッチリ? よかった!」、こっちも何だか嬉しい気分になった。短い会話だが人と話すのは何か月ぶり?か。これも悪病神のコロナ大魔王をあやつる将門の祟りかも。
将門が守谷城主の時に建てたという。将門の位牌を伝える。
「禁制文書」(文化財№9)・「徳川家康寄進状」(文化財№10)
「守谷八景」の①「長龍寺の晩鐘」
ほかは② 守谷城城山台回顧 ③ 守谷城大手門二本松 ④ 守谷沼の朝霞 ⑤ 河獺弁天の夕照 ⑥ 西林寺の遺跡 ⑦ 八坂神社の蝉時雨 ⑧ 石神の松翠色、だそうだ。
ウオーキングコースになっている。
鈴塚(すずか)交差点を渡って行く。
馬頭観音観世音碑(右)
左の低い石柱は道標で、「←大野村に至る」(昭和6年)だそうだ。
承平天慶の乱の際、将門が兵を挙げる前に、藤原純友がはるばる将門の元を訪れ、この地に大鈴を埋めて塚をつくり、互いに戦の勝利を祈ったとか。比叡山にも似たような話の将門岩、純友岩がある。【Map】
前方が天満宮の森
成田山の調伏により、藤原秀郷に首を討ち取られた将門の無念の恨みが籠る不動明王の石碑?
「その昔 人騒がせた お化け石」(「守谷ふるさとかるた」)、「人騒がせた」顛末は、「高野のお化け石」(「守谷の七不思議」)で。
「海禅寺縁起」(文化財№12)によると将門が紀州の高野山を真似て建立したという。
七騎塚
将門と七人の影武者の供養のために建てられた塔(墓)という。右端(写真が切れてしまった)が将門の塔のようだ。
推定樹齢は約250年
将門はこのあたりの高野(地名)に興世王の分城を建てて、今城(いまんじょ)と名づけた。今造られた城という意味で、高野城のことをいい、この地域の人々は昔から今城と呼んでいる。 正面右奥が「今城(いまんじょう)橋」
将門が守谷に城を建てたとき抜け穴を掘った。その抜け穴の出口を「落とし口」といい、それが「乙口」(おとくち)→乙子(おとご)に変化して地名になったという。
この前には石神様の石棒(男根の金精様)が直立している。
関東鉄道常総線を越えて、小山地区、みずき野地区に入る。
将門の老臣・増田監物がこの地に砦を構え「古山」と称していたという。
藤原秀郷の娘で将門を裏切った愛妾の桔梗が殺されたという伝承地。(「花の咲かない桔梗」(「守谷の七不思議」)
このあたりには愛宕から上高井を経て山王に達する郷州街道が通っていた。郷州小学校・郷州文化財公園などにその名が残る。
山の神の小祠と「原日本民族居住遺蹟」碑(鳥居の手前)があるだけの殺風景な公園で、期待外れ。
歩きの後半は古傷?の左ひざ痛が再発し、足を引きずり、小休止を繰り返しながらの坂道散歩となった。これも将門の祟りというべきか。
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コメント
よかったです。今後もよろしくお願いします。 坂道散歩
投稿: 狸上人様 | 2020年6月19日 (金) 07:43
いつもお世話になっております。
グーグル地図の件ですが、私は技術的なことは苦手でよく分かりません。いちおう「インターネット上の全員が検索、閲覧できます」となっているのですが。
地図の作成・共有方法に問題があるのかも知れませんが、調べてもよく分かりません。
申し訳ありません。 坂道散歩
投稿: 狸上人様 | 2020年6月16日 (火) 08:50
いつも楽しく読ませていただいています。復活おめでとうございます。最近地図を見ようとすると「Google My Maps へのアクセス権がありません。」というエラーが出て地図が見られません。お手数ですが対処方法について教えていただければ幸いです。
投稿: 狸上人 | 2020年6月15日 (月) 17:47