結城街道①(水戸城下→赤塚駅)
2020年6月8日
水戸駅(JR常磐線)・・・水戸街道との追分(結城街道起点)・・・水門橋(桜川)・水浜電車軌道敷跡・・・五本松踏切(JR常磐線)・・・国道51号・・・(JR水郡線)・・水戸学の道・・・柵町坂下門・・本城橋・・水戸城本丸跡・薬医門・・杉山門・杉山坂・・坂下稲荷神社・・・二中見晴台・・水戸城跡の大ジイ・・・水戸彰考館跡・二の丸展示館・・茨城師範学校跡・・大手門・・大手橋(県道232号)・・・弘道館・・・茨城県電気供給事業発祥の地記念碑・・・(水神宮稲荷神社)・・・水府橋(那珂川)・・・三の丸小学校・銀杏坂・大銀杏・・銀杏坂(新)・・水戸東照宮鳥居・・・三の丸濠跡・・・会沢正志斎旧宅・・・黄門さんおしゃべりパーク・・・虚空蔵坂・・虚空神社・・・紀州堀緑地・・鈴坂・・・千波西谷公園・・・千人供養地蔵・・・(県道342号)・・・偕楽園駅(常磐線)・・・常磐神社・義烈館・東湖神社・・・偕楽園御成門通り・・・御成門・・・好文亭表門・・・茨城県立歴史館・旧水海道小学校本館・・・偕楽園北口交差点・結城街道・・・沼津ヶ沢不動尊・・・東原跨線橋(JR常磐線)・新沢渡橋(沢渡川)・・・常磐大学・・・小祠・馬頭観音・・・水戸街道踏切(JR常磐線)・・・赤塚駅(JR常磐線)
水戸街道の終点近くで北に分かれ、水戸城下から西へ、日光東往還の結城宿を通り、日光街道の小山宿へ通ずる結城街道を行く。今日は水戸城下の散策で時間を費やし、結城街道歩きは少ししか進まなかった。
【ル-ト地図】
水戸街道は右折してハミングロード513をしばらく行くと終点となる。結城街道は直進して桜川を渡る。
水門(みずもん)橋から桜川(上流方向)
水浜(すいひん)電車軌道敷跡
昭和41年に廃線となった。
JR常磐線の五本松踏切を渡り結城街道から離れ、「水戸学の道」に入り水戸城下を散策する。
水戸学の道 左に説明板
本城橋を渡って水戸城本丸跡に入る。
説明板(水戸城)ここは水戸一高の敷地内だ。
この先の校内は立入禁止。
「二中」は水戸第二中学校のこと。
那珂川を渡る水郡線
樹齢約400年の2株のスダジイ
我専用の御成道のようだ。
昭和20年8月2日の水戸空襲で焼失した。
ここも水戸第二中学校
ここは茨城大付属幼稚園
下は県道232号
明治8年(1875)、フランス将軍ルコンテの撮影。ルコンテとはどんな人物か?
来館者控えの間で、「尊攘」は徳川斉昭の命で能筆家の藩医が書いた。
左近桜(右)と徳川斉昭手植えの黒松 (ともに3代目)
館内と庭をじっくり見学、散策した。ずっと我一人だった。弘道館を出て水府橋(那珂川)まで足を延ばす。
茨城県電気供給事業発祥の地記念碑 ここは東電の変電所の前
水神宮稲荷神社を探したが、地図の位置あたりは工事中で近づけなかった。
水府橋から那珂川(上流方向)三の丸小学校のスローガンらしい。「怒」でなくてよかった。
水戸空襲で黒焦げになり枯木状態になったが、逞しい生命力で復活再生した。樹齢約300年というから黄門さんの時代にはまだ生えていなかった?
水戸東照宮(権現さん)の鳥居
北堀と南堀の間にある。
会沢正志斎旧宅跡
南町交差点で左折し、街道沿いから離れ寄り道する。
黄門さんおしゃべりパーク ここは黄門さん一人だけだ。
虚空蔵坂を下る。(写真はうっかり取り損なった)
虚空神社 意外と小さな祠だけだった。この神社と虚空蔵坂、鈴坂については、「レファレンス事例詳細」(水戸中央図書館)に詳しい。かつてここにあった水戸城の外堀「紀州堀」を整備したもの。
けっこうな急坂だ。ここは以前は釜神町で今は備前町。
昭和28年(1953年)に建設されて、現在は入居者の募集は停止になっているというが、現住者もいないような感じだが。
台石に「千人供養」とある。供え花と雑草花に囲まれ穏やかな顔をしている。
この先の県道342号をくぐって偕楽園駅沿いを進む。
「御田植祭り」は終わったのだろうか?
徳川光圀・徳川斉昭を祀る。
藤田東湖を祀る。安政の大地震で母親を守って梁の下敷きとなって死去したそうだ。「尊攘」・「忠」よりも「孝」を実践したのは偉い。他人を誉められるような身ではないが。
常磐稲荷神社前
何年の台風24号?
前が「浪華の梅」
「水戸家には七人の黄門がおられました。」とある。
常磐神社を出て、偕楽園御成門通りを進む。
偕楽園御成門 「散策マップ」 門内には梅林が広がっている。本来の偕楽園の正面入り口
今日は休館日
擬洋風建築の校舎は各地にある。
やっと結城街道に戻り左折して行く。
天明の大飢饉の頃、那珂川岸で不動明王像が見つかり、八幡神社に安置した。幕末の水戸藩の天狗党、諸生党の権力抗争で、寺社などの焼討ちが相次いだ。不動明王像は泉町の小泉平兵衛に預けられ、明治になって当地に堂を建て安置したという。『みとぶら』より
東原跨線橋(JR常磐線)を越え、新沢渡橋を渡って行く。見所はなく足早に進む。
新沢渡橋から沢渡川(下流方向) 双葉台第1調整池を源流として桜川へ流れて行く。このあたりは「姫子」という地名だが、由来が分からない。
水戸街道踏切を渡って常磐線の北側に出て赤塚駅まで進んだ。
常磐線の鈍行は途中から高校生たちが乗ってきて、少し密状態?だった。
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