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2020年6月17日 (水)

結城街道①(水戸城下→赤塚駅)

2020年6月8日

水戸駅(JR常磐線)・・・水戸街道との追分(結城街道起点)・・・水門橋(桜川)・水浜電車軌道敷跡・・・五本松踏切(JR常磐線)・・・国道51号・・・(JR水郡線)・・水戸学の道・・・柵町坂下門・・本城橋・・水戸城本丸跡・薬医門・・杉山門・杉山坂・・坂下稲荷神社・・・二中見晴台・・水戸城跡の大ジイ・・・水戸彰考館跡・二の丸展示館・・茨城師範学校跡・・大手門・・大手橋(県道232号)・・・弘道館・・・茨城県電気供給事業発祥の地記念碑・・・(水神宮稲荷神社)・・・水府橋(那珂川)・・・三の丸小学校・銀杏坂・大銀杏・・銀杏坂(新)・・水戸東照宮鳥居・・・三の丸濠跡・・・会沢正志斎旧宅・・・黄門さんおしゃべりパーク・・・虚空蔵坂・・虚空神社・・・紀州堀緑地・・鈴坂・・・千波西谷公園・・・千人供養地蔵・・・(県道342号)・・・偕楽園駅(常磐線)・・・常磐神社・義烈館・東湖神社・・・偕楽園御成門通り・・・御成門・・・好文亭表門・・・茨城県立歴史館・旧水海道小学校本館・・・偕楽園北口交差点・結城街道・・・沼津ヶ沢不動尊・・・東原跨線橋(JR常磐線)・新沢渡橋(沢渡川)・・・常磐大学・・・小祠・馬頭観音・・・水戸街道踏切(JR常磐線)・・・赤塚駅(JR常磐線)

 水戸街道の終点近くで北に分かれ、水戸城下から西へ、日光東往還結城宿を通り、日光街道の小山宿へ通ずる結城街道を行く。今日は水戸城下の散策で時間を費やし、結城街道歩きは少ししか進まなかった。

  【ル-ト地図

Img_9073水戸駅前の黄門さんたち

 

Img_9074結城街道起点(水戸街道との追分)

水戸街道は右折してハミングロード513をしばらく行くと終点となる。結城街道は直進して桜川を渡る。

 

Img_9077水門(みずもん)橋から桜川(上流方向)

 

Img_9079水浜(すいひん)電車軌道敷跡

昭和41年に廃線となった。

 

JR常磐線の五本松踏切を渡り結城街道から離れ、「水戸学の道」に入り水戸城下を散策する。

Img_9086水戸学の道

左に説明板

 

Img_9089棚町坂下門

 

Img_9090説明板

 

Img_9091昔の写真

 

本城橋を渡って水戸城本丸跡に入る。

Img_9098説明板(水戸城)

 

Img_9105本丸跡・薬医門

ここは水戸一高の敷地内だ。

 

Img_9102説明板①

 

Img_9101説明板②

 

Img_9104門をくぐった所から

この先の校内は立入禁止。

 

Img_9108杉山門(正面)へ向かう。

 

Img_9111説明板

 

Img_9112杉山坂・杉山門

 

Img_9113説明板

 

Img_9114坂下方向

 

Img_9133坂下稲荷神社

 

Img_9120二中見晴台への門

「二中」は水戸第二中学校のこと。

 

Img_9130二中見晴台から

那珂川を渡る水郡線

 

Img_9126水戸城の大ジイ

樹齢約400年の2株のスダジイ

 

Img_9123説明板

 

Img_9136水戸学の道

我専用の御成道のようだ。

 

Img_9140三階櫓

昭和20年8月2日の水戸空襲で焼失した。

 

Img_9137説明板

 

Img_9156彰考館跡

ここも水戸第二中学校

 

Img_9152説明板

 

Img_9160茨城師範学校跡

ここは茨城大付属幼稚園

 

Img_9158説明板

 

Img_9161大手門をくぐって大手橋から弘道館へ向かう。

 

Img_9165大手橋

下は県道232号

 

Img_9177大手橋と弘道館正門(右上)の写真

明治8年(1875)、フランス将軍ルコンテの撮影。ルコンテとはどんな人物か?

 

Img_9207正門

 

Img_9206説明板(正門)

 

Img_9175正門写真

 

Img_9172説明板(弘道館)

 

Img_9204弘道館

 

Img_9179諸役会所

来館者控えの間で、「尊攘」は徳川斉昭の命で能筆家の藩医が書いた。

 

Img_9197左近桜(右)と徳川斉昭手植えの黒松 (ともに3代目)

 

館内と庭をじっくり見学、散策した。ずっと我一人だった。弘道館を出て水府橋(那珂川)まで足を延ばす。

Img_9220茨城県電気供給事業発祥の地記念碑

ここは東電の変電所の前

 

水神宮稲荷神社を探したが、地図の位置あたりは工事中で近づけなかった。

Img_9211水府橋から那珂川(上流方向)

 

Img_9227銀杏坂上

三の丸小学校のスローガンらしい。「怒」でなくてよかった。

 

Img_9228坂下方向

 

Img_9231坂下にそびえる大銀杏

 

Img_9235説明板

 

Img_9238大銀杏

水戸空襲で黒焦げになり枯木状態になったが、逞しい生命力で復活再生した。樹齢約300年というから黄門さんの時代にはまだ生えていなかった?

 

Img_9237水戸空襲後の銀杏の無残な姿

 

Img_9240新銀杏坂(国道50号)を上る。

 

Img_9241水戸東照宮(権現さん)の鳥居

 

Img_9250三の丸中堀跡

北堀と南堀の間にある。

 

Img_9248位置図(下が北)

 

Img_9242説明板①

 

Img_9243説明板②

 

Img_9253みんな半分屋根の下の日影を歩いている。

 

Img_9256会沢正志斎旧宅跡

 

Img_9254説明板

 

南町交差点で左折し、街道沿いから離れ寄り道する。

Img_9258黄門さんおしゃべりパーク

ここは黄門さん一人だけだ。

 

Img_9262紀州堀緑地が右下に続いている。

 

虚空蔵坂を下る。(写真はうっかり取り損なった)

Img_9264虚空神社

意外と小さな祠だけだった。この神社と虚空蔵坂、鈴坂については、「レファレンス事例詳細」(水戸中央図書館)に詳しい。

 

Img_9267紀州堀緑地

かつてここにあった水戸城の外堀「紀州堀」を整備したもの。

 

Img_9266緑地図

 

Img_9270鈴坂を上る。

けっこうな急坂だ。ここは以前は釜神町で今は備前町。

 

Img_9273県営釜神町アパート

昭和28年(1953年)に建設されて、現在は入居者の募集は停止になっているというが、現住者もいないような感じだが。

 

Img_9277地蔵さん(大正7年)

台石に「千人供養」とある。供え花と雑草花に囲まれ穏やかな顔をしている。

 

この先の県道342号をくぐって偕楽園駅沿いを進む。

Img_9282御田(常磐神社)

「御田植祭り」は終わったのだろうか?

 

Img_9285常磐神社大鳥居

 

Img_9287境内図

 

Img_9288常磐神社

徳川光圀・徳川斉昭を祀る。

 

Img_9286説明板

 

Img_9291東湖神社

藤田東湖を祀る。安政の大地震で母親を守って梁の下敷きとなって死去したそうだ。「尊攘」・「忠」よりも「孝」を実践したのは偉い。他人を誉められるような身ではないが。

 

Img_9292説明板

 

Img_9295楠の切り株

常磐稲荷神社前

 

Img_9294説明板

何年の台風24号?

 

Img_9306火薬壺

 

Img_9305説明板

 

Img_9300義烈館

前が「浪華の梅」

 

Img_9301説明板

「水戸家には七人の黄門がおられました。」とある。

 

Img_9307クスノキ

 

常磐神社を出て、偕楽園御成門通りを進む。

Img_9313偕楽園御成門

 「散策マップ」 門内には梅林が広がっている。

 

Img_9318好文亭表門

本来の偕楽園の正面入り口

 

Img_9334茨城県立歴史館

今日は休館日

 

Img_9330旧水海道小学校(歴史館敷地内)

擬洋風建築の校舎は各地にある。

 

Img_9332説明板

 

Img_9336偕楽園北口交差点

やっと結城街道に戻り左折して行く。

 

Img_9339沼津ヶ沢不動尊

天明の大飢饉の頃、那珂川岸で不動明王像が見つかり、八幡神社に安置した。幕末の水戸藩の天狗党、諸生党の権力抗争で、寺社などの焼討ちが相次いだ。不動明王像は泉町の小泉平兵衛に預けられ、明治になって当地に堂を建て安置したという。『みとぶら』より

 

東原跨線橋(JR常磐線)を越え、新沢渡橋を渡って行く。見所はなく足早に進む。

Img_9349新沢渡橋から沢渡川(下流方向)

双葉台第1調整池を源流として桜川へ流れて行く。

 

Img_9354左に祠、先の空き地に頭が三角にとんがった馬頭観音

このあたりは「姫子」という地名だが、由来が分からない。

 

水戸街道踏切を渡って常磐線の北側に出て赤塚駅まで進んだ。

Img_9359赤塚駅

常磐線の鈍行は途中から高校生たちが乗ってきて、少し密状態?だった。

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