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2020年6月29日 (月)

結城街道⑤(岩瀬駅→下館駅)

2020年6月24日

岩瀬駅(JR水戸線)・・・日比谷稲荷神社・・・岩瀬の水子地蔵尊・・・旧国道50号・・・鍬田神社・・・勝善神塔・・・(桜川)・・・元禄橋(長方排水路)・・・(北関東自動車道)・・・県道216号・・・星の宮公園・明治天皇岩瀬星ノ宮御野立所・星宮神社・・・長屋門①・・・丹宮稲荷神社・八坂神社・・・明治天皇岩瀬中和泉行在所・・長屋門②・・長屋門③・・長屋門④・・・道標・延命観世音堂(中泉観音堂)・・・上野沼・・・国道50号・・・(筑西市)・・・新治廃寺跡・(新治郡衙跡)・・久地楽神社・・・久地楽橋(観音川)・・・長屋門⑤・・・長屋門⑥・・・門井交差点・旧道・・・門井神社・・・地蔵祠・・・国道50号・・・旧道・・・道標?・・二十三夜塔・・・横塚西交差点・県道7号・・・常盤橋(小貝川)・・・勤行橋(五行川)・・・極楽寺・・・三峰神社・金井薬師堂・・・城山八幡神社・下館城跡・・・板谷波山記念館・・・田中稲荷神社・・・アルテリオ(しもだて美術館)・・・田中稲荷愛宕神社・・・羽黒坂・・羽黒神社・愛宕神社・・巽坂・タツミ二十三夜尊地蔵尊・・下館駅(関東鉄道常総線)

  【ル-ト地図

 Img_9878日比谷稲荷神社

由緒等は分からず。右に大きな聖徳太子塔が立つ。

 

Img_9882馬頭尊と地蔵の覆い屋の向こう側に岩瀬の水子地蔵尊の小祠がある。

 

Img_9887岩瀬の水子地蔵尊

しゃがんで覗き込まないと拝めない。

 

Img_9890鍬田神社

 

Img_9895桜川

 

北関東自動車道をくぐり、しばらくして国道50号から右へ県道216号に入る。

Img_9908星宮神社鳥居

ここは星の宮公園で、鳥居の左に「明治天皇岩瀬星ノ宮御野立所」標石が立つ。社殿は西側奥にあるのか?

 

Img_9917長屋門①

 

Img_9919丹宮稲荷神社・八坂神社

 

Img_9921丹宮(たんご?)稲荷神社(右)・八坂神社(左)

丹宮稲荷神社は慶安(1648~51)の頃、笠間藩主・井上河内守正利の命により行われた、上野沼から高い土地を堀抜いて低い所へ用水を流す、「逆さ堀」の難工事の責任者の海老原丹後を祀るという。鳥居の後ろに山桜の大木がそびえる。『茨城県の桜

 

Img_9925明治天皇岩瀬中和泉行在所

 

Img_9929説明板

 

Img_9931長屋門②

 

Img_9932長屋門③

 

Img_9934長屋門④

 

Img_9945延命観世音堂(中泉観音堂)

江戸時代、観音畠という所から移し祀られたという。昔は7月25日の夏祭りは随分と賑やかで、老婆たちによる百万遍念仏講なども堂内でしばしば行われていたという。左の電柱の下に道標がある。

 

Img_9942道標

「左 下館結城」・「右 谷田貝真岡」などと刻む。

 

Img_9939延命観世音塔(弘化3年(1846))

女人講中の建立

 

 道標に従い「左 下館結城」方向に進む。

Img_9957上野沼

江戸時代初期(1650年頃)に灌漑用として作られた人工沼。

 

Img_9954黒鳥

鳴き声をあげて近づいてきた。餌をねだっているのか。

 

Img_9952子連れの写真

子どもは白っぽい。

 

 国道50号に出てダンプの爆風に逆らって進んで、筑西市に入る。

Img_9963新治(にいはり)廃寺跡

整備・保存状態は良いとは言えない。基石が「平親塚」といわれていた。その中央塚の地蔵の碑には、「将門南無阿弥陀仏為将門菩提也」と刻まれていたという。 『将門散歩

 

Img_9964説明板

 

Img_9965伽藍配置図

 

Img_9968西塔跡

 

Img_9969東塔跡

 

Img_9970講堂跡

国道の南側が新治郡衙跡(大化の改新以後に設けられた郡役所の跡)で、上野原瓦窯もあった。

 

Img_9974久地楽神社

ここもちょっと荒れて寂れた感じだ。由緒などは分からず。

 

Img_9976観音川(久地楽橋から)

「一級河川終点(国道50号)」の標識が立つ。

 

Img_9979長屋門⑤


Img_9984旧家の門

 

Img_9985長屋門⑥

 

Img_9987門井交差点を直進して旧道に入る。

 

Img_9991門井神社

 

Img_9994地蔵祠

 

 国道50号に出る。

Img_0001城跡の櫓?

レストラン坂東太郎だった。

 

 左に旧道に入る。

Img_0006用水路?沿いの旧道を進む。

 この先で右折して行く。

 

Img_0010道標?

 

Img_0011二十三夜塔

 

 横塚西交差点で県道7号に出る。

Img_0018常盤橋から小貝川(下流方向)

 

Img_0025勤行橋から五行川(勤行川)(上流方向)

小貝川の支流。

 

 街道から離れ下館の町を散策する。

Img_0027古い家並み①

金井町交差点から北に三峰神社へ通ずる旧金井町筋。

 

Img_0029

 

Img_0030

 

Img_0035

 金井町交差点を西に進む街道沿いには荒川家住宅(国登録文化財)がある。

 

Img_0038三峰神社

 

Img_0040愛嬌のある狼犬

 

Img_0041金井薬師堂

藤原秀郷が金銅の十二神将を奉納したと伝える。(実際には平貞盛が奉納したとも) 大ケヤキは根元から幹が空洞になっている。

 

Img_0044説明板

 

Img_0051下館城跡・城山八幡神社

天慶3年(940)、藤原秀郷が上館(久下田城)・中館(伊佐城)・下館(下館城)を築いたのが始まりという。

 

Img_0048説明板

 

Img_0047城域図

 

Img_0059説明板(八幡神社)

本殿(筑西市指定文化財)

 

Img_0061板谷波山記念館

陶芸家としては初めて文化勲章を受章した板谷波山の生家跡の市立の記念館。「波山」は「筑波山」に因むそうだ。

 

Img_0063田中稲荷神社

平将門の夢の中に稲魂姫命が現れ、反逆を責めて改心しなければ家を滅ぼすと告げた。将門は近臣と諮ってこの社を修復したという伝承もある。

 

Img_0065説明板

 

Img_0069アルテリオ(地域交流センター)

3階がしもだて美術館

 

Img_0075田中稲荷愛宕神社

ここが田中稲荷神社の旧地。

 

Img_0073ここは白狐だ。

 

Img_0076羽黒坂を上る。

大正時代に拓かれた坂。

 

Img_0077説明板

別名の役場坂の由来が書かれていない。

 

Img_0080羽黒神社

本殿(県指定文化財)

 

Img_0082説明板

 

Img_0088大ケヤキ

 

Img_0092愛宕神社拝殿

羽黒神社の旧拝殿を移築。「木像愛宕明神立像」(県指定文化財)

 

Img_0089説明板

 

Img_0098羽黒坂(坂下方向)

 

Img_0099坂上の旧商店

 

Img_0100結城街道は右折して行くが今日はここまでとし、巽坂を下って下館駅に向かう。

 

Img_0110巽坂(坂下方向)

明治22年の下館駅誕生の際に作られた「巽」(辰巳・南東)の方向に下る坂。

 

Img_0107説明板

 

Img_0102タツミ二十三夜尊地蔵尊(巽坂の途中)

漢字の「巽」の方が有難みが有りそうだが。由来などは分からず。

 

Img_0112坂上方向

駅前だというのにここもシャッター通り商店街になってしまったか。

 

Img_0114セラミックミュージアム「海の幸」」(下館駅前)

青木繁は明治38年8月に筑西市川島に滞在し、地元住民をモデルに神話を題材とした作品を制作したそうだ。

 

Img_0116下館駅

下妻街道でここまで来たことがあるが、その先は進んでいない。

 

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