市原市(千葉県)散歩①
2020年6月4日
姉ヶ崎駅(JR内房線)・・(房総往還)・・・妙教寺・・・(久留里街道)・・・姉埼神社・・釈迦山古墳・・・ぼらぎ坂・・・宝蔵寺・・・姉崎天神山古墳・菅原神社・・・円能寺・・・鶴窪古墳・・・堰頭古墳・・・六孫王原古墳・・・川間橋(椎津川)・・・椎津稲荷山古墳・稲荷神社・・・鶴牧藩陣屋跡(鶴牧城跡)・藩校修来館跡・・大手橋(椎津川)・・・姉崎陣屋跡・稲荷神社・・・姉ヶ崎駅
市原市は古代の上海上国の国造や豪族の古墳群の地で、王賜銘鉄剣を出土した稲荷台1号古墳もある。 律令制下の上総国府では上総介として、平将門の祖父・高望王、叔父・平良兼や、「更級日記」の父親の菅原孝標も活躍した。平将門の伝承地も多い。 「大根は練馬に限る」、ではない。「世界に誇る」とはたいした自信だ。
房総往還を横切る。
ここは五井で房総往還と分かれた久留里道。木更津で房総往還と分かれる久留里道は歩いた。
ここから163段の石段を上る。石段下には長寿の霊泉が湧いているようだ。
天慶3年(940)、朱雀天皇から平将門追討の祈願が寄せられ、刀剣一振が奉納された。
釈迦山古墳(姉埼神社境内)
坂名の由来は、①姉埼神社で行われていた流鏑馬(やぶさめ)に使われる「鏑矢(かぶらや)」が転化し「ぼらぎ」となった。 ②この坂に「祠(ほこら)」がありそれが転化した。
坂の途中で右折し、東方向に進む。 姉崎天神山古墳への標柱が立つ。
4世紀後半の築造と考えられる全長119m(復元値130m)の前方後円墳。
雑草に覆われた前方部の上。背後の後円部は高くなっている。
6世紀後半の築造と考えられる全長60mの前方後円墳
後円部は前方部よりかなり低く小さい感じだ。
全長46mの前方後方墳、7世紀初頭の築造というが、林に覆われ、不法投棄禁止の看板が立っているだけで説明板などはなく、中には入れない。
7世紀後半の築造と考えられている全長45mの前方後方墳。ここは墳形が残っている。「六孫王」原とは平将門討伐軍の源経基にちなむ地名か。
対岸は姉崎保健福祉センター「アネッサ」
「房総の古墳を歩く」には載っていない。石枕が出土した伝承があるそうだ。この下あたりが集落遺跡の椎津茶ノ木遺跡か?
直径40m、高さ5mの円墳というが、前方後円墳のようにも見える? その先には庚申塔などの覆屋がある。
庚申塔(左端・享保4年(1719))・地蔵(寒念仏講中・右端・宝暦7年(1757))など




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