結城街道⑥(下館駅→日光街道合流地点)
2020年6月29日
下館駅(JR水戸線)・・・巽坂・・・妙西寺・加波山事件志士の墓・・・江戸坂・・北向地蔵尊・・水戸街道踏切(真岡鉄道)・・・神明宮・・・(国道294号常総バイパス)・・・外塚橋(大谷川)・・・(国道50号)・・・(国道50号下館バイパス)・・・稲荷神社①・・・馬頭尊・・・二十三夜塔・・・(JR水戸線踏切)・・・(江連用水)・・・稲荷神社②・・山倉神社・・・熊野神社・・・地蔵尊祠・・・天満宮・・・延命寺・・・川島橋(鬼怒川)・・・(結城市)・・・(田川)・・・(東結城駅)・・・第一水戸街道踏切(JR水戸線)・・・旧山川街道踏切(JR水戸線)・・人手観音堂・・・結城宿・・結城政勝御影堂・・阿弥陀寺・・雷稲荷神社・釈迦堂・・日光東往還合流地点・・追分道標・日光東往還分岐地点・県道264号・・西町橋(吉田用水)・・・五助稲荷神社・・・小田林北交差点(新国道4号バイパス)・・(西仁連川)・(小山市)・和談坂・・・中久喜城跡・・・番館坂?・・・(愛宕神社)・・・陸橋(JR東北本線)・・日光街道合流地点・日光街道(県道265号)・・・小山駅(JR東北本線)
【ル-ト地図】
十一屋煎餅店(巽坂の途中)
明治28年創業の手焼きせんべい店。まだ9時前で開店前。
開基の「水谷夫人妙西大姉画像」
加波山事件志士の墓(妙西寺門前)
坂上から江戸は望めないが。
奥州からの旅人は奥州街道と喜連川で分かれ、下妻街道で下館城下まで来たのだろう。
水戸街道踏切で真岡鉄道を渡る。水戸街道は結城街道でもある。
「しんめいさま」と呼ばれている。貞享3年(1686)の再建の際に植えられたと思われる2本のケヤキがそびえる。
外塚橋から大谷(おおや)川(下流方向)
小貝川に合流して行く。
稲荷神社の後ろ側
「三十七八年後」とは?
ここは左に行く。
享保7年(1722)の地蔵は老化が甚だしく延命寺に移された。地蔵さんも老化するのだ。
前に大木がそびえ、境内にはしだれ桜の古木(写真右奥)。
樹齢300年以上 『茨城県の桜』
花は咲いていないが桜の精に守られているようだ。
これがさっきの地蔵祠から移された享保7年造立の地蔵さんか? たぶん違うだろう。
鬼怒川の土手を左折して川島橋を渡ろうと思ったが、橋へは上れず引き返し天満宮の南側の川島交差点から川島橋へ出た。(【ル-ト地図】のようには歩けない。)
この先で結城市に入る。
『結城百選』の62東結城駅の南側を過ぎて行く。
人手観音堂(結城百選)
「木造観音菩薩立像」(人手の観音様)
結城政勝木像
ここにあるとは思わなかったが、金網張りの扉からのぞいて写真を撮ったら写っていた。だが明治時代の再建だった。
結城宿は『結城市の坂』・『日光東往還』にも記載。
増田遷晁文人碑(明治8年・「市指定文化財の23」)
「八九間 空で雨ふる 柳かな」(芭蕉)ここを左折して行き、㈱武勇(酒店)の先で日光東往還と合流し右折する。
石灯籠の追分道標(毘沙門堂前)
ここの木町交差点で日光東往還と分れ、左折して行く。「向 水戸海道」
「右 小山 左 さかい」
県道264号を西に向かう。 南方は緑道公園になっているようだ。
五助はこのあたりの字名。江戸時代までは鉄砲馬場跡と思われ、大正時代までは草競馬が行われていたそうだ。
新国道4号バイパスをくぐり、西仁連川を渡る。
西仁連木川(上流方向)
坂東市で飯沼川に合流するようだ。小山市に入った。 今は傾斜は緩い、平凡な県道の坂だが由緒ある坂なのだ。
和談坂の結城晴朝も後年ここに隠居し、終焉の地とも伝わる。城域はJR水戸線で南北に分断されている。(上空からの写真)
昔からある坂名なのか? 「洋めし家番館坂」の名だけなのか?
いい加減疲れてきた。社殿は少し離れている。車道を渡るのも面倒だし遥拝で済ます。
上は新幹線、下はJR線。ここを渡れば日光街道との合流地点はすぐだ。
日光街道合流地点
ここを結城街道歩きの終点とし、左折して小山駅に向かった。
最近のコメント