密厳院(子育てイチョウ) 「説明板」
後三年の役の際には対岸の下妻街道(奥州古道)を、
八幡太郎義家に従い鎌倉権五郎景政は奥州へと向かった。
境内に景政の子孫一族の墓がある。
大イチョウは推定樹齢800年以上という。「説明板」
安養院
左は樹齢約600年の「厄除け大銀杏」で、
以前は樹高28mもあり、銀杏も一石三斗も実ったという。
昭和57年の台風で被害を受け、10mの高さに切り詰められた。
「三郷七福神」の弁財天
説明板・案内板もなく調べても詳細不詳。
本当にここに城?があったのか。
2023年11月4日
彦成橋(二郷半領用水路)・・香取神社(彦川戸)・・二郷半領中川揚水機場水路・・(東京外環道)・・女体神社(彦野)・・密蔵院・・子之神社(彦倉)・・天満宮(上口)・・彦江神社・・共和橋(中川)・・(八潮市)・・稲荷社・・中川土手(右岸)・・八潮水門・八潮排水機場・幸の宮橋(綾瀬川放水路)・八条さくら堤・・潮郷橋(中川)・・吉川道・・彦名関跡・・慈眼寺(三郷七福神の大黒天)・・彦成橋(二郷半領用水路)
1階は「みやおか幼稚園」、今日も快晴の青空だ。
11月に入っても強い日差しで気温も高い。
木陰がありがたい。左は彦川戸の香取神社。当地は中世には河関の彦名関が設置されていて、千葉県佐原の香取神宮の支配下におかれていたことから、 中世に創建したものと考えられる。
彦名関跡 「説明板」
当地は中世には利根川(中川)水運の要衝として栄えていた。
下総国一宮の香取神宮の支配下にあり、河関が置かれ関銭を徴収し、 香取神宮の運営にあてられていた。その後、応永2 6年(1419)の時点では、彦名関は鶴岡八幡宮の支配下に移っている。
密蔵院
松本城主石川伯耆守数正の家臣下館祐胤が出家し、 数正の菩提を弔うために慶長7年(1602)創建したという。「どうする家康」でおなじみの、あの
石川数正が三郷に縁があろうとは。
土手でくつろぐ羊とヤギ
八潮水門
左から綾瀬川放水路が中川に注ぐ。正面奥は潮郷橋
2023年11月5日彦富橋(二郷半領用水路)・・・けやき通り(吉川市)・・・吉川道・・・新中川水管橋(中川)・・・(越谷市)・
下妻街道・・伊南理神社・・・千疋幹線排水路・・・(草加市)・・東漸寺・・・そうか公園・・
八条用水・・・温水プール跡・・・中川土手・・柿木の渡し跡・・・(八潮市)・・・入谷落樋管・・・八条の渡し跡・八条橋(中川)
土地区画整理事業で二郷半領用水路沿いの田んぼは崩された。
けやき通り(吉川市)
ここもなんとなく寂しい感じだ。
2023年11月8日新三郷駅跨線橋(JR武蔵野線)・・・彦成川・・・半田公園野球場・・・ユリノキ通り・・・稲荷社・・・丹後橋(
大場川)・・庚申塔?・・・江戸川土手(海から28km地点)・・・前間の渡し跡・・・三郷流山橋(江戸川・三郷流山有料道路)・・・東京パブテスト教会・・・新田用水路・・・前間稲荷神社・・・
光福院・・・妙乗寺・・・大場川・・・仁蔵天神社・・仁蔵橋(大場川)・・・仁蔵稲荷神社・・・(常磐自動車道)・・・新三郷駅
前間の渡し跡(右に標柱) 「
説明板」
江戸時代からの渡船場、対岸(流山市)の矢河原(やっから)の渡し跡からは流れがよく見える。『
諏訪道』の最初に記載。
左は協立病院、正面は
三郷流山橋(有料道路)で、
今月の26日が開通式、歩道は無料。
開通前で無車・無人、 歩道もけっこう広い。
仁蔵稲荷神社
2023年11月10日
二郷半領用水路・・・(吉川市)・・道庭おさんぽ休憩所・・・宗眼寺・・・香取御嶽神社(中曽根)・・・蕎高神社(高久)・・・蕎高神社(高富)・・・清浄寺・・・熊野山神社・・・(吉川駅・JR武蔵野線)・・・いちょう通り・・吉川天然温泉ゆあみ跡・・・香取神社(保)・・・延命寺・・下妻街道と赤山街道(越谷道)の分岐点(吉川交番前交差点)・・・芳川神社・・・糀家・・・智勝院・・・鷲神社・・・日蔵院・・・(吉川駅)・・・木売公園・・・二郷半領用水路
道庭おさんぽ休憩所
Googleマップに記載があるが、表示も何もない。そもそもここは送電線下の三郷市と吉川市の境の グリーンベルトで立ち入り禁止だが。
春には中川の土手までの両側の桜が見事だ。
宗眼寺は「中川両岸新六阿弥陀」の左岸(東岸)の寺
「
吉川道」に記載。(蕎高神社(高久)・蕎高神社(高富)も)
香取神社(保)
保は平安期の小荘園による称とみられる。 後世、この保が一地方を称する地名となって荘園郷保と並び称されるようになった。
「
吉川の地名・町名のおこり」
芳川神社文治3年(1187)に土着神を氏神諏訪神社として吉川氏が再興。
裏手を下妻街道(古奥州道)が通る。
延命寺のそばの吉川交番前交差点が
下妻街道と
赤山街道(越谷道)の分岐点。
延命寺には「左こしがや 江戸道」と刻まれた庚申塔道標がある。『赤山街道(越谷道①)』に記載。
2023年11月16日
南流山駅(JR武蔵野線)…妙晃寺‥神明堀…木区地区調整池…豊受神社…流山街道…(松戸市)…金蔵院…神明堀樋門・坂川放水路…松戸水門・江戸川…稲荷神社(主水新田)…稲荷神社(七右衛門新田)…つくばエクスプレス…(流山市)…観音寺・香取神社(木)…幸房の渡し跡(江戸川)…中央公園…南流山駅
神明堀を坂川放水路まで南下し、江戸川左岸近くを幸房の渡し跡あたりまで北上する。
木地区右岸調整池
稲荷神社(七右衛門新田)
「江戸川八十八ヶ所霊場」75番の
大師堂がある。
つくばエクスプレスをくぐる。
幸房の渡し跡(江戸川)
標柱の説明文「「岩野木の渡し」、「七右衛門新田の渡し」、「幸房の渡し」と様々な名称がある。江戸川の渡しは千葉側と埼玉側の地名を交互につけたが、自分側の地名で呼ぶ事が多い。」幸房は対岸の三郷市
馬頭観音十九夜塔(天保5年(1834))
日光街道を歩いた時は気づかなかった。反対側を歩いていたのだろう。帰って調べたら葛西用水を歩いた時に見つけていた。正面が馬頭観音像、右側面に「天保 五年…」左側面に「十九夜塔‥」
樹高25m、推定樹齢300年以上
旧伊原村の鎮守社
稲荷神社(川柳町)
昭和43年(1968)の創建といい、現代的なお堂だ。
「坂道散歩MAP」
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