2016年3月24日 (木)

高針街道

2016年3月8日

高岳駅(地下鉄桜通線)・・・貞祖院・・・室寺観音院・・佐野屋の辻(代官町交差点)・善光寺街道(下街道)分岐地点・・・自然院・・・情妙寺・・・(桜通り)・・・広小路通り・・・千種橋(JR中央線)・・・高牟神社①・・・光正院・・・塩付街道交差地点・・・光明寺・・・菊坂上・・・月見坂上・・・城山八幡宮・末森城跡・旧昭和塾堂・・・東山公園・・・星ヶ丘交差点・・・西山口東交差点・旧道・・・三徳龍神社・・・高針橋(植田川)・・(名古屋第二環状道)・・・東勝寺・・・済松寺・・・高帝龍王神・・・高牟神社②・・・蓮教寺・・・信濃馬の宿跡・・・梅森坂交差点・・・(日進市)・・・石兼交差点・・旧道・・・庚申塔祠・・・神明神社・・・岩崎城跡公園・岩崎城古墳・岩崎城歴史記念館・・・大向川(岩崎川)・・・白山交差点・・・法輪寺・・・白山宮・白山古墳・・・龍谷寺・・・藤島城址碑・・・米野木神明社・・本亮院・・・米野木東交差点・飯田街道合流地点・・・新米野木橋(天白川)・・・米野木駅(名鉄豊田線)

 名古屋城下と旧高針村を結んだ高針街道を、善光寺街道との分岐地点から高針(たかばり)を過ぎて飯田街道との合流地点まで歩く。江戸時代から明治の中頃までは、三河や信州との交易のための中馬が通った道でもある。

  【ル-ト地図

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Img_3005説明板(月見坂の坂上近くに設置)

坂下の田代小学校の角にもある。

Img_29413月の上旬だが連日の20度越えで、大寒桜・寒緋桜も見頃だ。『オオカンザクラの並木道

市内でいち早くお花見ができる名所で、ちょうど通勤時で写真を撮っている人もいる。

Img_2944貞祖院

Img_2942説明板

佐野屋の辻(代官町交差点)を東進する。札の辻から佐野屋の辻までは、『善光寺街道①』に記載

Img_2949建中寺地図

尾張徳川家歴代の菩提寺

Img_2959自然院 《地図

「花道千秋流家元」の標石

Img_2961情妙寺

Img_2962説明板

南に進み、桜通り(国道19号)を横切り、広小路通り(県道60号)に出てJR中央線を千種橋で越える。

Img_2974高牟(たかむ)神社① 《地図

延喜式にも記載されている古社。「牟」は古代の武器の鉾(ほこ)で、尾張物部氏の武器庫が神社になったと伝えられる。境内には元古井、古井ノ坂の地名の由来の古井戸がある。

Img_2967説明板

Img_2969説明板

塩付街道との交差地点を過ぎ、千種区役所の南側を通り、菊坂上から月見坂の坂上近くに出る。

Img_3007月見坂上

このあたりは、『名古屋市の坂②』で歩いている。

Img_3014城山八幡宮末盛城跡) 《地図

Img_3015説明板

Img_3016空堀跡

Img_3023昭和塾堂

末森(盛)城二の丸跡

Img_3021説明板

Img_3030東山公園沿いを進む。

星ヶ丘交差点で右折し、西山口東交差点で左に旧道に入り、すぐに県道に出る。

Img_3042三徳龍神社 《地図

このあたりは池跡のようで低くなっている。昭和の初め頃、安良霊神という人が龍のお告げを聞いて、龍神を祀ればこの地区は繁栄するというので、地元の人たちが祠を建てたのが始まりで、昭和43年に三徳龍神社となったそうだ。

高針橋(植田川)を渡り、名古屋第二環状道をくぐって行く。

Img_3050東勝寺

創始は不詳、往時は伝忠坊と称し天台宗に属していたが、天正3年(1575)、高針城主の弟、加藤勘右衛門(藤原信眤)が顕如上人に帰依し、祐伝と号して屋敷内に伝忠坊を移し東照寺と改号(のち東勝寺と改める)したという。現在の本堂は天明7年(1787年)の再建。左は市の保存樹クロマツ。諸病に効く灸でも有名だそうだ。
東方400mあたりが高針城跡のようだ。

高針地区を散策する。

Img_3053済松寺

創始は不詳で無住の時代が多く、瑞松院として称していたが享保3年(1718)に済松寺と改めた。その後、また無住となったが、知多郡大府の鷹羽知観尼が移り住み再興した(尼僧寺の開基)。
現在の本堂・庫裏は大正10年の再建。本尊の十一面観音は秘仏で33年ごとに開帳される。歴代の庵主は村の娘を集め、お針・茶道・華道を教えていた。その後、農繁期託児所を経て保育園を開設した。

Img_3055高帝龍王神 《地図

Img_3057由緒碑

Img_3060高牟神社②

高針の氏神。創始は不詳だが延喜式内の神社と伝える。昭和25年までは八幡社と呼ばれていた。現在の社殿は平成8年の再建。春岱師作の狛犬一対が社宝として残る。境内には牧野池の掘削者勝野太郎左衛門を祀る敬徳殿(護国社)、「おまんと」(御馬塔)で使われる「大鳥毛馬標及び馬具」の保存庫がある。

Img_3064蓮教寺

現在の本堂は宝暦8年(1758)の建立。山門は本堂の50年程後の建立で、無地の総けやき造りで細かい装飾もほどこされている。

Img_3063由緒

高針街道に戻る。

Img_3070信濃の馬宿跡 《地図

高針を東西に走る旧道は「中馬街道」と呼ばれ三河や信州との交易路だった。その馬と馬方が宿泊した宿・馬小屋跡。中馬は馬方一人で馬数頭をあやつり信濃と名古屋の間をそれぞれの産物を運搬して往復した。明治の中頃まで続いたそうだ。

梅森坂交差点の先で日進市に入り、石兼交差点で旧道に入る。《地図

Img_3093庚申塔祠

新しい庚申塔が祀ってある。このあたりは小高い新しい住宅街になっている。

Img_3097神明神社 《地図

社殿も新しい

Img_3100石仏の保存屋(神明神社参道脇)

屋内に3段に小石仏がきちんと並べられている。このあたりの宅地の造成の際に集められた石仏たちか?

Img_3109岩崎城跡(模擬天守) 《地図

岩崎は尾張、三河間を往来する街道の要衝地で、国境付近を守る織田信秀(信長の父)の支城だった。土塁跡からは6世紀前半頃の円墳も発見されている。

Img_3111説明碑

Img_3136白山宮

石段右脇に円墳の白山古墳がある。

Img_3145龍谷寺山門

鐘楼門で仁王門

Img_3151藤島城址

街道右側の藤島町の田んぼの脇に碑のみが立っている。

日進東中学校の南側を通って行く。

Img_3154米野木(こめのぎ)神明社 《地図

近年、日進市で唯一、馬塔(おまんと)が復活したそうだ。

Img_3165飯田街道合流地点(米野木東交差点) 《地図

ここを高針街道歩きの終点とし、南に米野木駅に向かった。

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