2023年12月14日 (木)

坂道散歩(2023年11月~)追加分

足立坂東三十三観音(南部)巡り①

北葛飾郡新四国八十八ヶ所巡り⑦

北葛飾郡新四国八十八ヶ所巡り⑥

北葛飾郡新四国八十八ヶ所巡り⑤

My郷散歩(桜・3/30・4/8・10日)

北葛飾郡新四国八十八ヶ所巡り④

北葛飾郡新四国八十八ヶ所巡り③

北葛飾郡新四国八十八ヶ所巡り②

北葛飾郡新四国八十八ヶ所巡り①

足立百不動巡り⑮

足立十二薬師巡り(北)②

足立十二薬師巡り(北)①

足立百不動巡り⑭

My郷散歩(柏・流山)

江戸川八十八ヶ所巡り⑥

My郷散歩(吉川市)

足立百不動巡り⑬

足立百不動巡り⑫

江戸川八十八ヶ所巡り⑤

江戸川八十八ヶ所巡り④

江戸川八十八ヶ所巡り③

江戸川八十八ヶ所巡り②

江戸川八十八ヶ所巡り①」

足立百不動巡り⑪

足立百不動巡り⑩

足立百不動巡り⑨

足立百不動巡り⑧

足立百不動巡り⑦

足立百不動巡り⑥

足立百不動巡り⑤

足立百不動巡り④

足立百不動巡り③

足立百不動巡り②

足立百不動巡り①

My郷散歩(ランニング初詣)③

新秩父三十四ヶ所霊場⑥

新秩父三十四ヶ所霊場⑤

My郷散歩(ランニング初詣)②

My郷散歩(ランニング初詣)

新秩父三十四ヶ所霊場④

新秩父三十四ヶ所霊場③

新秩父三十四ヶ所霊場②

新秩父三十四ヶ所霊場①

見沼散歩(氷川神社・大宮公園→西縁→与野駅)」

My郷散歩(柏散歩)⑨

見沼散歩(原市道→東縁→西縁→原市駅)」

My郷散歩(三郷七福神)

My郷散歩(三郷・八潮)

My郷散歩(三郷七河川)

見沼散歩(東縁・七里駅→東川口駅)

My郷散歩(柏散歩⑧)

My郷散歩(松戸・柏)

My郷散歩(松戸・鎌ヶ谷)

My郷散歩(松戸)

My郷散歩(松戸・市川)

木紀行

My郷散歩(三郷)

My郷散歩(流山)

My郷散歩(八潮市)

My郷散歩(松戸)

My郷散歩(松戸・流山)

大落古利根川・中川を歩く

柴又街道②

My郷散歩(松戸の稲荷巡り)

My郷散歩

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2023年12月10日 (日)

「歩いた坂」追加分

歩いた坂(3307~)

3308 夕焼けだんだん中金杉 千葉県松戸市
3309 安忠坂    〃
3310 刈込坂 千葉県柏市
3311 四郎兵衛坂    〃
3312 宮坂    〃
3313 駄賃坂    〃
3314 醬油壺坂 千葉県松戸市  
     
     
     

 

「坂道散歩MAP」 「霞川」 「残堀川」・ 「不老川」・「将門マップ」・「松戸街道・流山街道・利根運河大師」・「岩槻・川口散歩」・「船橋散歩」・「愛川町の坂」・「比企丘陵を歩く」・「結城街道・下妻街道(下館→奥州街道合流地点)」・「仙川を歩く」・「多古街道」・「長狭街道」・「大多喜街道」・「

 

 

 

 

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2023年11月22日 (水)

大落古利根川・中川を歩く

2023年11月22日

北越谷駅(東武伊勢崎線)…逆川(葛西用水)…古利根堰公園‥大落古利根川分岐地点‥寿橋(大落古利根川)…(松伏町)‥松伏河岸跡(民部河岸跡)・水神社(素丸句碑)…古利根川緑道…上赤岩排水機場…浅間神社(上赤岩香取神社)…赤岩河岸跡・赤岩渡し跡…ふれあい橋…赤岩排水門・中川合流地点・弥生橋(中川)…(吉川市)…武輝神社…二郷半領用水路・下八間排水路…東泉寺…小佐衛門前伏越(二郷半領用水路・木売落)…新川橋(中川)…木売排水樋管…下八間堀排水樋管…薬王寺…中川水道橋…新方川合流地点……元荒川合流地点…吉川橋(中川)‥下妻街道‥延命寺…稲荷神社(平沼)…芳川神社…鷲神社…吉川駅(JR武蔵野線)

葛西用水(逆川)を大落古利根川と分かれる古利根堰まで遡り、大落古利根川を中川との合流地点まで下り、中川左岸沿いを吉川駅まで行く。

地図

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正面が大落古利根川と分かれる古利根堰

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水神社(正面左が素丸句碑)・松伏河岸跡(民部河岸跡)「説明板」寿橋を渡って松伏町に入った所。句碑には「水おぼろ橋はから絵の人通り」

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  赤岩河岸跡・赤岩渡し跡 「説明板」「赤岩渡図(司馬江漢)

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ふれあい橋

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古利根川緑道の大木

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大落古利根川(右上から)と中川の合流地点(右から)

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武輝神社説明板

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東泉寺・クスノキ

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弥陀三尊種子板碑(永和4年(1378))(薬王寺) 「説明板

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新方川が右上から中川に合流。上は中川水道橋

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上から元荒川が中島橋をくぐって合流。

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2023年11月21日 (火)

柴又街道②

2023年11月21日

小岩駅(JR総武線)…昭和通り…水天宮…(柴又街道)…大鷲神社…鹿骨親水緑道…興農親水緑道…流堀親水はなのみち…本郷用水親水緑道…鹿見塚神社・鹿骨街道・・・篠崎公園…(京葉道路)‥(首都高7号)…東井堀親水緑道…(都営新宿線)…前川神社…旧江戸川…篠崎街道…瑞江駅(都営新宿線)

柴又街道①の続きです。

地図
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水天宮(昭和通りの南小岩8-7)
奥に小さな社がある。

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          美野森稲荷神社と合祀されている。

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味気ない車道は歩かずに、左右の江戸川区の親水緑道沿いを旧江戸川まで南下する。

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鹿骨親水緑道

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   餌をねだっているのか、鯉が口をパクパク開けて寄ってくる。

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流堀親水はなのみち
             確かに水が流れ落ちている。

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篠崎公園の遊歩道を行く。
   昔はテニスをしに、こんな遠くまでよく通ったものだ。

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2023年11月13日 (月)

My郷散歩(松戸の稲荷巡り)

2023年11月13日

新松戸駅(JR武蔵野線)…(幸谷駅・流鉄流山線)‥新松戸駅前大橋(新坂川)…けやき通リ…欅通橋(坂川)…大谷口新田稲荷神社①…稲荷大橋(坂川放水路)…九郎左衛門新田稲荷神社(旭町稲荷)②…坂川橋…三村新田稲荷神社③…川通稲荷神社④…稲荷橋(坂川橋)‥香取稲荷神社⑤・正真寺…仙田田中稲荷神社⑥…六間川‥鵜森稲荷神社‥円勝寺‥子育地蔵…女体神社…大乗院…子育地蔵…樋古根川江戸川の常夜灯‥納屋河岸跡…鮮魚街道…(坂川)…松戸神社…松先稲荷神社⑧根本天満宮…平根橋(新坂川)…小僧弁天…(JR常磐線・新京成電鉄)…岩山稲荷神社⑨…神明神社…松戸駅(JR常磐線)

地図

 


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九郎左衛門新田稲荷神社(旭町稲荷)②

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これは何か?坂川左岸沿いの遊歩道で、Googleマップの調整池・彫像「希望」のあたりだが。

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仙田田中稲荷神社⑥

西側の三郷市で樋野口稲荷神社を新たに祀っていることから、享保16年(1731)の江戸川開削以前は、三郷市東町附近から当地までを含む樋野口村の鎮守社が当社だったのではないかという。筑波山大権現の女体山を勧請している。

江戸期には隣の女体神社の別当寺と勤めていたといい、山号を「女体山」。クロマツとイチョウの大木が聳える。

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小僧弁天
小僧弁天の由来』は2つあるそうだ。(コツコツ歩き隊)

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岩山稲荷神社
確かに岩の多い小高いところに鎮座する。

 

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2023年11月12日 (日)

My郷散歩

三郷市とその周辺のウォーキング・ジョギング散歩です。

地図

 2023年10月31日~11月2日

第二大場川・・北郷小学校跡・・水路・・(吉川市)・・美南中央公園・吉川美南調節池・・美南一丁目第4公園・・調整池・・中曽根こ線橋(JR武蔵野線)・・吉川消防署南分署・・吉川市児童館ワンダーランド・・高久大橋(二郷半領用水路)・・吉川道・・密厳院(子育てイチョウ)・・観龍院・・新中川水管橋(中川)・・吉川道・・長福寺・・(三郷市)・・安養院(厄除けイチョウ)・・彦糸女体神社・・調整池(土地区画整理事業工事中)・・香取神社(彦音)・・香取神社(彦成)・・二郷半領用水路・・第二大場川・・駒形新橋・・延寿院跡・・駒形神社・・新三郷浄水場・・稲荷神社・・記念碑通り・・彦成橋(二郷半領用水路)・・香取神社(上彦名)・・八条橋(中川・八条の渡し跡)・・(二郷半領用水路)・・第二大場川・・采女女体神社・・新三郷駅(JR武蔵野線)・・道庭城跡?・・半田稲荷神社・・茶茶(和菓子屋)・・杉橋養鶏場・・万音寺・・新三郷駅跨線橋・・新三郷ららシティ2号調整池

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密厳院(子育てイチョウ) 「説明板
後三年の役の際には対岸の下妻街道(奥州古道)を、
八幡太郎義家に従い鎌倉権五郎景政は奥州へと向かった。

境内に景政の子孫一族の墓がある。
大イチョウは推定樹齢800年以上という。「説明板

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安養院 
左は樹齢約600年の「厄除け大銀杏」で、
以前は樹高28mもあり、銀杏も一石三斗も実ったという。
昭和57年の台風で被害を受け、10mの高さに切り詰められた。

三郷七福神」の弁財天

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香取神社(彦成)

 

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八条橋(中川・八条の渡し跡)
対岸には八条遺跡(八潮市)がある。
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道庭城跡?
説明板・案内板もなく調べても詳細不詳。
本当にここに城?があったのか。



2023年11月4日

彦成橋(二郷半領用水路)・・香取神社(彦川戸)・・二郷半領中川揚水機場水路・・(東京外環道)・・女体神社(彦野)・・密蔵院・・子之神社(彦倉)・・天満宮(上口)・・彦江神社・・共和橋(中川)・・(八潮市)・・稲荷社・・中川土手(右岸)・・八潮水門・八潮排水機場・幸の宮橋(綾瀬川放水路)・八条さくら堤・・潮郷橋(中川)・・吉川道・・彦名関跡・・慈眼寺(三郷七福神の大黒天)・・彦成橋(二郷半領用水路)
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1階は「みやおか幼稚園」、今日も快晴の青空だ。
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11月に入っても強い日差しで気温も高い。
木陰がありがたい。左は彦川戸の香取神社。当地は中世には河関の彦名関が設置されていて、千葉県佐原の香取神宮の支配下におかれていたことから、 中世に創建したものと考えられる。

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彦名関跡 「説明板
当地は中世には利根川(中川)水運の要衝として栄えていた。
下総国一宮の香取神宮の支配下にあり、河関が置かれ関銭を徴収し、 香取神宮の運営にあてられていた。その後、応永2 6年(1419)の時点では、彦名関は鶴岡八幡宮の支配下に移っている。

Img_2127 密蔵院
松本城主石川伯耆守数正の家臣下館祐胤が出家し、 数正の菩提を弔うために慶長7年(1602)創建したという。「どうする家康」でおなじみの、あの石川数正が三郷に縁があろうとは。
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土手でくつろぐ羊とヤギ

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八潮水門
左から綾瀬川放水路が中川に注ぐ。正面奥は潮郷橋

 

2023年11月5日

彦富橋(二郷半領用水路)・・・けやき通り(吉川市)・・・吉川道・・・新中川水管橋(中川)・・・(越谷市)・下妻街道・・伊南理神社・・・千疋幹線排水路・・・(草加市)・・東漸寺・・・そうか公園・・八条用水・・・温水プール跡・・・中川土手・・柿木の渡し跡・・・(八潮市)・・・入谷落樋管・・・八条の渡し跡・八条橋(中川)
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土地区画整理事業で二郷半領用水路沿いの田んぼは崩された。

 

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けやき通り(吉川市)
ここもなんとなく寂しい感じだ。
 
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伊南理神社 「説明板
隣りの墓地は利剣山東養寺

 

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そうか公園
連休最後の日で賑わっていた。

 

2023年11月8日

新三郷駅跨線橋(JR武蔵野線)・・・彦成川・・・半田公園野球場・・・ユリノキ通り・・・稲荷社・・・丹後橋(大場川)・・庚申塔?・・・江戸川土手(海から28km地点)・・・前間の渡し跡・・・三郷流山橋(江戸川・三郷流山有料道路)・・・東京パブテスト教会・・・新田用水路・・・前間稲荷神社・・・光福院・・・妙乗寺・・・大場川・・・仁蔵天神社・・仁蔵橋(大場川)・・・仁蔵稲荷神社・・・(常磐自動車道)・・・新三郷駅
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前間の渡し跡(右に標柱) 「説明板
江戸時代からの渡船場、対岸(流山市)の矢河原(やっから)の渡し跡からは流れがよく見える。『諏訪道』の最初に記載。
左は協立病院、正面は三郷流山橋(有料道路)で、
今月の26日が開通式、歩道は無料。
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開通前で無車・無人、 歩道もけっこう広い。
 
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東京パブテスト教会
質素で素朴な感じがいいねえ。

 

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仁蔵稲荷神社
2023年11月10日

二郷半領用水路・・・(吉川市)・・道庭おさんぽ休憩所・・・宗眼寺・・・香取御嶽神社(中曽根)・・・蕎高神社(高久)・・・蕎高神社(高富)・・・清浄寺・・・熊野山神社・・・(吉川駅・JR武蔵野線)・・・いちょう通り・・吉川天然温泉ゆあみ跡・・・香取神社(保)・・・延命寺・・下妻街道と赤山街道(越谷道)の分岐点(吉川交番前交差点)・・・芳川神社・・・糀家・・・智勝院・・・鷲神社・・・日蔵院・・・(吉川駅)・・・木売公園・・・二郷半領用水路
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道庭おさんぽ休憩所
Googleマップに記載があるが、表示も何もない。そもそもここは送電線下の三郷市と吉川市の境の グリーンベルトで立ち入り禁止だが。
春には中川の土手までの両側の桜が見事だ。

宗眼寺は「中川両岸新六阿弥陀」の左岸(東岸)の寺
吉川道」に記載。(蕎高神社(高久)・蕎高神社(高富)も)
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清浄寺(右)前の歩行者専用道路ではないようだ。
吉川駅南口の「なまずのモニュメント」から北口に出る。
駅前の「吉川天然温泉ゆあみ」は今年の1月31日に閉店した。
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香取神社(保)
保は平安期の小荘園による称とみられる。 後世、この保が一地方を称する地名となって荘園郷保と並び称されるようになった。
吉川の地名・町名のおこり
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芳川神社
文治3年(1187)に土着神を氏神諏訪神社として吉川氏が再興。
裏手を下妻街道(古奥州道)が通る。

延命寺のそばの吉川交番前交差点が下妻街道赤山街道(越谷道)の分岐点。
延命寺には「左こしがや 江戸道」と刻まれた庚申塔道標がある。『赤山街道(越谷道①)』に記載。

 

2023年11月16日 

南流山駅(JR武蔵野線)…妙晃寺‥神明堀…木区地区調整池…豊受神社…流山街道…(松戸市)…金蔵院…神明堀樋門・坂川放水路…松戸水門・江戸川…稲荷神社(主水新田)…稲荷神社(七右衛門新田)…つくばエクスプレス…(流山市)…観音寺・香取神社(木)…幸房の渡し跡(江戸川)…中央公園…南流山駅

 神明堀を坂川放水路まで南下し、江戸川左岸近くを幸房の渡し跡あたりまで北上する。
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木地区右岸調整池 
 

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江戸川八十八ヶ所霊場」71番の大師堂がある。

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稲荷神社(七右衛門新田)

「江戸川八十八ヶ所霊場」75番の大師堂がある。

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つくばエクスプレスをくぐる。

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「江戸川八十八ヶ所霊場」84番、「下総三十三ヶ所観音霊場」28番

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幸房の渡し跡(江戸川)
標柱の説明文「「岩野木の渡し」、「七右衛門新田の渡し」、「幸房の渡し」と様々な名称がある。江戸川の渡しは千葉側と埼玉側の地名を交互につけたが、自分側の地名で呼ぶ事が多い。」幸房は対岸の三郷市

2023年11月20日
南越谷駅(JR武蔵野線)…旧日光街道・馬頭観音十九夜塔…稲荷神社(登戸)…報土院(新六阿弥陀の3番)…谷古田河畔緑道…伊原橋(葛西用水)…成就院…田中家のクスノキ…久伊豆神社(川柳町)…稲荷神社(川柳町)…能持寺…八条用水新中川水管橋(中川)…吉川道…吉川駅(JR武蔵野線)

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馬頭観音十九夜塔(天保5年(1834))
日光街道を歩いた時は気づかなかった。反対側を歩いていたのだろう。帰って調べたら葛西用水を歩いた時に見つけていた。正面が馬頭観音像、右側面に「天保 五年…」左側面に「十九夜塔‥」

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田中家のクスノキ 「説明板
樹高25m、推定樹齢300年以上

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旧伊原村の鎮守社

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稲荷神社(川柳町)

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昭和43年(1968)の創建といい、現代的なお堂だ。

坂道散歩MAP

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2022年10月22日 (土)

JR京浜東北線を歩く①

JR京浜東北線を歩く①」に記載

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2022年6月20日 (月)

坂道散歩(2021年11月~2022年6月)追加分

以下の記事を追加しました。

坂道散歩(松戸市)

柴又街道①

松戸散歩(北小金地区)

大堀川

流鉄流山線

諏訪道

東武野田線(2)

東武野田線(1)

印西道②

印西道①

JR武蔵野線(2)

JR武蔵野線(1)

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2020年7月 2日 (木)

結城街道⑥(下館駅→日光街道合流地点)

2020年6月29日

下館駅(JR水戸線)・・・巽坂・・・妙西寺・加波山事件志士の墓・・・江戸坂・・北向地蔵尊・・水戸街道踏切(真岡鉄道)・・・神明宮・・・(国道294号常総バイパス)・・・外塚橋(大谷川)・・・(国道50号)・・・(国道50号下館バイパス)・・・稲荷神社①・・・馬頭尊・・・二十三夜塔・・・(JR水戸線踏切)・・・(江連用水)・・・稲荷神社②・・山倉神社・・・熊野神社・・・地蔵尊祠・・・天満宮・・・延命寺・・・川島橋(鬼怒川)・・・(結城市)・・・(田川)・・・(東結城駅)・・・第一水戸街道踏切(JR水戸線)・・・旧山川街道踏切(JR水戸線)・・人手観音堂・・・結城宿・・結城政勝御影堂・・阿弥陀寺・・雷稲荷神社・釈迦堂・・日光東往還合流地点・・追分道標・日光東往還分岐地点・県道264号・・西町橋(吉田用水)・・・五助稲荷神社・・・小田林北交差点(新国道4号バイパス)・・(西仁連川)・(小山市)・和談坂・・・中久喜城跡・・・番館坂?・・・(愛宕神社)・・・陸橋(JR東北本線)・・日光街道合流地点・日光街道(県道265号)・・・小山駅(JR東北本線)

  【ル-ト地図

Img_0118十一屋煎餅店(巽坂の途中)

明治28年創業の手焼きせんべい店。まだ9時前で開店前。

 

Img_0119妙西寺

開基の「水谷夫人妙西大姉画像

 

Img_0120説明板

 

Img_0121加波山事件志士の墓(妙西寺門前)

 

Img_0122説明板

 

Img_0125江戸坂を下る。

坂上から江戸は望めないが。

 

Img_0129坂標

 

Img_0128北向地蔵堂(江戸坂の途中)

 

Img_0126説明板

奥州からの旅人は奥州街道と喜連川で分かれ、下妻街道で下館城下まで来たのだろう。

 

Img_0127地蔵さんは二人

 

 水戸街道踏切で真岡鉄道を渡る。水戸街道は結城街道でもある。

Img_0136神明宮

「しんめいさま」と呼ばれている。貞享3年(1686)の再建の際に植えられたと思われる2本のケヤキがそびえる。

 

Img_0135説明板

 

Img_0146外塚橋から大谷(おおや)川(下流方向)

 小貝川に合流して行く。

 

Img_0148稲荷神社①

 

Img_0150旧家

 稲荷神社の後ろ側

 

Img_0153馬頭尊の立つ辻

 

Img_0155馬頭尊の上部

「三十七八年後」とは?

 

 ここは左に行く。
 

Img_0158左にJR水戸線が近づいて来た。この先で踏切を渡る。

 

Img_0163江連(えづれ)用水

 

Img_0165_20200630104901稲荷神社②

 

Img_0169_20200630105701山倉神社

 

Img_0170説明板

 

Img_0171拝殿

 

Img_0178熊野神社

 

Img_0182地蔵祠(右)

 

Img_0184地蔵(平成7年再建)

享保7年(1722)の地蔵は老化が甚だしく延命寺に移された。地蔵さんも老化するのだ。

 

Img_0202天満宮

 

Img_0200延命寺

前に大木がそびえ、境内にはしだれ桜の古木(写真右奥)。

 

Img_0190説明板

 

Img_0199しだれ桜

樹齢300年以上  『茨城県の桜

 

Img_0197中から

花は咲いていないが桜の精に守られているようだ。

 

Img_0196これがさっきの地蔵祠から移された享保7年造立の地蔵さんか?

たぶん違うだろう。

Img_0203旧道を鬼怒川へと進む。

鬼怒川の土手を左折して川島橋を渡ろうと思ったが、橋へは上れず引き返し天満宮の南側の川島交差点から川島橋へ出た。(【ル-ト地図】のようには歩けない。)

 

Img_0205川島橋

 

Img_0206鬼怒川(下流方向)

 

Img_0207旧家

 

 この先で結城市に入る。

Img_0210田川(下流方向)

結城百選』の62

 

 東結城駅の南側を過ぎて行く。

Img_0217人手観音堂(結城百選)

木造観音菩薩立像」(人手の観音様)

 

Img_0218説明板

 

Img_0221_20200630110601結城政勝御影堂

 

Img_0222_20200630110601結城政勝木像

ここにあるとは思わなかったが、金網張りの扉からのぞいて写真を撮ったら写っていた。だが明治時代の再建だった。

 

Img_0228阿弥陀寺

 

Img_0229曲がりくねった道を結城宿の中心部へ進む。

結城宿は『結城市の坂』・『日光東往還』にも記載。

 

Img_0236雷神社釈迦堂

 

Img_0232説明板

 

Img_0235増田遷晁文人碑(明治8年・「市指定文化財の23」)

「八九間 空で雨ふる 柳かな」(芭蕉)

 

Img_0238浦町まちかどパーク

ここを左折して行き、㈱武勇(酒店)の先で日光東往還と合流し右折する。

 

Img_0252石灯籠の追分道標(毘沙門堂前)

ここの木町交差点で日光東往還と分れ、左折して行く。

 

Img_0256道標(石灯籠の左の台石)

「向 水戸海道」 

 

Img_0257道標(右の台石)

「右 小山 左 さかい」

 

 県道264号を西に向かう。

Img_0263吉田用水(西町橋から)

南方は緑道公園になっているようだ。

 

Img_0264五助稲荷神社の赤鳥居

五助はこのあたりの字名。江戸時代までは鉄砲馬場跡と思われ、大正時代までは草競馬が行われていたそうだ。

 

Img_0268五助稲荷神社

 

新国道4号バイパスをくぐり、西仁連川を渡る。

Img_0275西仁連木川(上流方向)

坂東市で飯沼川に合流するようだ。

 

 小山市に入った。

Img_0276和談坂を上る。

今は傾斜は緩い、平凡な県道の坂だが由緒ある坂なのだ。

 

Img_0279坂標

 

Img_0278説明板

 

Img_0284中久喜城跡

和談坂の結城晴朝も後年ここに隠居し、終焉の地とも伝わる。城域はJR水戸線で南北に分断されている。(上空からの写真

 

Img_0286説明板

 

Img_0293番館坂

昔からある坂名なのか? 「洋めし家番館坂」の名だけなのか?

 

Img_0297長屋門

 

Img_0301愛宕神社参道

いい加減疲れてきた。社殿は少し離れている。車道を渡るのも面倒だし遥拝で済ます。

 

Img_0302陸橋

上は新幹線、下はJR線。ここを渡れば日光街道との合流地点はすぐだ。

 

Img_0305日光街道合流地点

 

 ここを結城街道歩きの終点とし、左折して小山駅に向かった。

Img_0306小山駅

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2020年6月29日 (月)

結城街道⑤(岩瀬駅→下館駅)

2020年6月24日

岩瀬駅(JR水戸線)・・・日比谷稲荷神社・・・岩瀬の水子地蔵尊・・・旧国道50号・・・鍬田神社・・・勝善神塔・・・(桜川)・・・元禄橋(長方排水路)・・・(北関東自動車道)・・・県道216号・・・星の宮公園・明治天皇岩瀬星ノ宮御野立所・星宮神社・・・長屋門①・・・丹宮稲荷神社・八坂神社・・・明治天皇岩瀬中和泉行在所・・長屋門②・・長屋門③・・長屋門④・・・道標・延命観世音堂(中泉観音堂)・・・上野沼・・・国道50号・・・(筑西市)・・・新治廃寺跡・(新治郡衙跡)・・久地楽神社・・・久地楽橋(観音川)・・・長屋門⑤・・・長屋門⑥・・・門井交差点・旧道・・・門井神社・・・地蔵祠・・・国道50号・・・旧道・・・道標?・・二十三夜塔・・・横塚西交差点・県道7号・・・常盤橋(小貝川)・・・勤行橋(五行川)・・・極楽寺・・・三峰神社・金井薬師堂・・・城山八幡神社・下館城跡・・・板谷波山記念館・・・田中稲荷神社・・・アルテリオ(しもだて美術館)・・・田中稲荷愛宕神社・・・羽黒坂・・羽黒神社・愛宕神社・・巽坂・タツミ二十三夜尊地蔵尊・・下館駅(関東鉄道常総線)

  【ル-ト地図

 Img_9878日比谷稲荷神社

由緒等は分からず。右に大きな聖徳太子塔が立つ。

 

Img_9882馬頭尊と地蔵の覆い屋の向こう側に岩瀬の水子地蔵尊の小祠がある。

 

Img_9887岩瀬の水子地蔵尊

しゃがんで覗き込まないと拝めない。

 

Img_9890鍬田神社

 

Img_9895桜川

 

北関東自動車道をくぐり、しばらくして国道50号から右へ県道216号に入る。

Img_9908星宮神社鳥居

ここは星の宮公園で、鳥居の左に「明治天皇岩瀬星ノ宮御野立所」標石が立つ。社殿は西側奥にあるのか?

 

Img_9917長屋門①

 

Img_9919丹宮稲荷神社・八坂神社

 

Img_9921丹宮(たんご?)稲荷神社(右)・八坂神社(左)

丹宮稲荷神社は慶安(1648~51)の頃、笠間藩主・井上河内守正利の命により行われた、上野沼から高い土地を堀抜いて低い所へ用水を流す、「逆さ堀」の難工事の責任者の海老原丹後を祀るという。鳥居の後ろに山桜の大木がそびえる。『茨城県の桜

 

Img_9925明治天皇岩瀬中和泉行在所

 

Img_9929説明板

 

Img_9931長屋門②

 

Img_9932長屋門③

 

Img_9934長屋門④

 

Img_9945延命観世音堂(中泉観音堂)

江戸時代、観音畠という所から移し祀られたという。昔は7月25日の夏祭りは随分と賑やかで、老婆たちによる百万遍念仏講なども堂内でしばしば行われていたという。左の電柱の下に道標がある。

 

Img_9942道標

「左 下館結城」・「右 谷田貝真岡」などと刻む。

 

Img_9939延命観世音塔(弘化3年(1846))

女人講中の建立

 

 道標に従い「左 下館結城」方向に進む。

Img_9957上野沼

江戸時代初期(1650年頃)に灌漑用として作られた人工沼。

 

Img_9954黒鳥

鳴き声をあげて近づいてきた。餌をねだっているのか。

 

Img_9952子連れの写真

子どもは白っぽい。

 

 国道50号に出てダンプの爆風に逆らって進んで、筑西市に入る。

Img_9963新治(にいはり)廃寺跡

整備・保存状態は良いとは言えない。基石が「平親塚」といわれていた。その中央塚の地蔵の碑には、「将門南無阿弥陀仏為将門菩提也」と刻まれていたという。 『将門散歩

 

Img_9964説明板

 

Img_9965伽藍配置図

 

Img_9968西塔跡

 

Img_9969東塔跡

 

Img_9970講堂跡

国道の南側が新治郡衙跡(大化の改新以後に設けられた郡役所の跡)で、上野原瓦窯もあった。

 

Img_9974久地楽神社

ここもちょっと荒れて寂れた感じだ。由緒などは分からず。

 

Img_9976観音川(久地楽橋から)

「一級河川終点(国道50号)」の標識が立つ。

 

Img_9979長屋門⑤


Img_9984旧家の門

 

Img_9985長屋門⑥

 

Img_9987門井交差点を直進して旧道に入る。

 

Img_9991門井神社

 

Img_9994地蔵祠

 

 国道50号に出る。

Img_0001城跡の櫓?

レストラン坂東太郎だった。

 

 左に旧道に入る。

Img_0006用水路?沿いの旧道を進む。

 この先で右折して行く。

 

Img_0010道標?

 

Img_0011二十三夜塔

 

 横塚西交差点で県道7号に出る。

Img_0018常盤橋から小貝川(下流方向)

 

Img_0025勤行橋から五行川(勤行川)(上流方向)

小貝川の支流。

 

 街道から離れ下館の町を散策する。

Img_0027古い家並み①

金井町交差点から北に三峰神社へ通ずる旧金井町筋。

 

Img_0029

 

Img_0030

 

Img_0035

 金井町交差点を西に進む街道沿いには荒川家住宅(国登録文化財)がある。

 

Img_0038三峰神社

 

Img_0040愛嬌のある狼犬

 

Img_0041金井薬師堂

藤原秀郷が金銅の十二神将を奉納したと伝える。(実際には平貞盛が奉納したとも) 大ケヤキは根元から幹が空洞になっている。

 

Img_0044説明板

 

Img_0051下館城跡・城山八幡神社

天慶3年(940)、藤原秀郷が上館(久下田城)・中館(伊佐城)・下館(下館城)を築いたのが始まりという。

 

Img_0048説明板

 

Img_0047城域図

 

Img_0059説明板(八幡神社)

本殿(筑西市指定文化財)

 

Img_0061板谷波山記念館

陶芸家としては初めて文化勲章を受章した板谷波山の生家跡の市立の記念館。「波山」は「筑波山」に因むそうだ。

 

Img_0063田中稲荷神社

平将門の夢の中に稲魂姫命が現れ、反逆を責めて改心しなければ家を滅ぼすと告げた。将門は近臣と諮ってこの社を修復したという伝承もある。

 

Img_0065説明板

 

Img_0069アルテリオ(地域交流センター)

3階がしもだて美術館

 

Img_0075田中稲荷愛宕神社

ここが田中稲荷神社の旧地。

 

Img_0073ここは白狐だ。

 

Img_0076羽黒坂を上る。

大正時代に拓かれた坂。

 

Img_0077説明板

別名の役場坂の由来が書かれていない。

 

Img_0080羽黒神社

本殿(県指定文化財)

 

Img_0082説明板

 

Img_0088大ケヤキ

 

Img_0092愛宕神社拝殿

羽黒神社の旧拝殿を移築。「木像愛宕明神立像」(県指定文化財)

 

Img_0089説明板

 

Img_0098羽黒坂(坂下方向)

 

Img_0099坂上の旧商店

 

Img_0100結城街道は右折して行くが今日はここまでとし、巽坂を下って下館駅に向かう。

 

Img_0110巽坂(坂下方向)

明治22年の下館駅誕生の際に作られた「巽」(辰巳・南東)の方向に下る坂。

 

Img_0107説明板

 

Img_0102タツミ二十三夜尊地蔵尊(巽坂の途中)

漢字の「巽」の方が有難みが有りそうだが。由来などは分からず。

 

Img_0112坂上方向

駅前だというのにここもシャッター通り商店街になってしまったか。

 

Img_0114セラミックミュージアム「海の幸」」(下館駅前)

青木繁は明治38年8月に筑西市川島に滞在し、地元住民をモデルに神話を題材とした作品を制作したそうだ。

 

Img_0116下館駅

下妻街道でここまで来たことがあるが、その先は進んでいない。

 

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