2019年2月14日 (木)

宗吾街道

2019年2月5日・7日

成田駅(JR成田線)・・成田街道・・・一本松跡交差点・馬頭観音道標・宗吾街道分岐地点・・・成田日赤病院・・・(京成本線)・・・日赤成田病院交差点・桜地蔵祠・国道464号・・・公津の杜公園・・大袋尋常小学校跡・・・地蔵祠・・・道祖神社・・・地蔵祠・・・大経寺・・・宗吾霊堂・・・稲荷神社(古墳?)・・・宗吾・飯仲古墳群あたり・・・宗吾参道駅(京成本線)・・(2/7)・・宗吾霊堂前交差点・宗吾街道(国道464号)・・・麻賀多神社・・超林寺・・・宗吾旧宅・・義民ロード・・御手洗井戸・・・江川第一橋(江川)・・・池袋用水堰跡・池袋橋(江川)・・・初井戸橋(江川)・花井地蔵・・・国道464号・・愛宕神社・・・弘法大師祠・・・甚兵衛公園(水神社・甚兵衛供養堂・甚兵衛の渡し跡)・・・根山神社・鷲宮神社・・・(成田スカイアクセス線)・宗吾街道(県道291号)・・・甚兵衛大橋(印旛沼)・・(印西市)・・・ぽっくり駒地蔵・・・境田橋(松虫川)・・・浅間神社・・・湖西尋常小学校跡・・・杉自塚・・・長屋門・・・百庚申塔・松虫寺・松虫姫神社・・・(成田スカイアクセス線)・・松虫姫公園(牛むぐり池)・・・印旛日本医大駅(成田スカイアクセス線)

 【ル-ト地図

 叛逆者の元祖・平将門の次は義民の代表・元締めの佐倉惣五郎だ。英雄として崇められ、怨霊として祟って恐れられる共通点はあるだろう。
 成田街道の一本松跡交差点から宗吾街道に入り、佐倉惣五郎を祀る宗吾霊堂に寄り、甚兵衛の渡し跡の甚兵衛大橋を渡って印西市に入り、松虫川の所で南に入り、松虫姫伝説の地を訪ねる。むろんメインは松虫姫だ。

Img_0717一本松跡交差点 《地図

ここで成田街道から分かれ右折するのが宗吾街道。向かい側に一本松跡碑と何代目かの若い松と馬頭観音道標が立つ。

Img_0718馬頭観音(安政5年(1858)・一本松跡碑の左)

右側面は道標で、「宗吾霊神道 酒々井町通りぬけ」

成田日赤病院の北側を通り、京成本線を越える。

Img_0730桜地蔵 《地図

かつては大きな桜の木の下にあったという。子育て、悪疫退散にご利益あり。

Img_0732桜地蔵

Img_0734宗吾街道(国道464号)を直進する。

宗吾霊堂まで1.5kmとは張り合いがないが、霊堂は通過地点、チェックポイントに過ぎないから。

Img_0738大袋尋常小学校跡碑 《地図

左側は公津の杜公園だがこちら側からは入れないようだ。

Img_0739説明板

Img_0742公園内は調整池になっている。

Img_0741地蔵さんがポツンと。

Img_0746道祖神(社) 《地図

ちゃんとりっぱな鳥居がある。

Img_0752ここにも地蔵の祠

Img_0756大経寺 《地図

右は明和2年(1765)の題目塔。背後に土俵があり、その先が五社神社というが見落とした。

Img_0759銀杏の大木がそびえ、本堂の前には狛犬が鎮座する。神仏習合の名残かと思いきやまだ新しく、平成12年の寄進だそうだ。

Img_0767宗吾霊堂(東勝寺)参道・山門

閉まっている店もあり、参拝もおばちゃん連中だけでまばらだ。平日のこともあるだろうか。

Img_0786大本堂

義民・佐倉惣五郎の霊を祀る宗吾霊堂。

Img_0781御一代記館

Img_0780霊宝殿

まだ宗吾街道歩きの先は長いが、今日はここまでとし宗吾参道駅に向かう。

Img_0789稲荷神社古墳? 《地図

これも宗吾・飯仲古墳群に入るのだろうか?

Img_0794宗吾・飯仲古墳群あたり? 《地図

宗吾参道駅に向かうのだが、京成本線のトンネル上を通り過ぎてかなり東へ進んでしまった。

Img_0795ここを下って駅に出た。

ここから2月7日

Img_1003宗吾霊堂の表参道を行く。《地図

宗吾霊堂前交差点で宗吾街道(国道464号)に入る。

Img_0996麻賀多神社の森

Img_0981麻賀多神社 《地図

Img_0982説明板

Img_0986大杉

樹齢千三百年の東日本一の大杉というが。

Img_0990祭礼

Img_0976超林寺

Img_0974説明板

Img_0969宗吾旧宅

工事車の向こうに道案内板がある。うっかり見落としそうになった。

ここから国道から離れ、「義民ロード」に入る。

Img_0968急坂を下る。

新しく舗装・改修された道ようだ。「宗吾坂」とでも呼んだらどうか。

Img_0964宗吾旧宅 《地図

宅内を見学、説明していただく。

Img_0966椿井(台方七井)

惣五郎が家族との水盃に使った井戸とか。

Img_0965説明板

Img_0919義民ロード

Img_0961御手洗井戸(台方七井)

麻賀多神社の祭神事にこの水を使うというが、あまり清らかではないか。

江川第一橋から江川沿いを行く。

Img_0953池袋用水堰跡(北須賀溝) 《地図》(池袋橋の所)

台方ほか五区持ち、江川の水流を堰き止め駒形、北須賀に廻し水するための堰跡。

Img_0949初井戸橋(江川)

渡った所に花井地蔵の祠

Img_0945花井地蔵(文政10年(1827))

Img_0941義民ロードを北に向かに、途中で左折して宗吾街道(国道464号)に戻る。

Img_0926愛宕神社 《地図

急な石段上の祠に「浅間大権現」の石塔(右)が祀られている。

国道は車の往来が多く、歩道もなく歩きづらい。

Img_0906甚兵衛公園(甚兵衛の森・水神の森) 《地図

江戸に直訴に向かう佐倉惣五郎のために掟を破って渡し舟を出し、印旛沼に身を投じた渡し守の名にちなむ。

Img_0917説明板

Img_0916水神社

Img_0912甚兵衛供養堂

Img_0913甚兵衛の渡し跡あたり 《地図

このあたりは埋め立てられている。

Img_0898根山神社

祭神は牛頭天王(素戔嗚尊)、明治42年楫波神社を合祀。奥の台地に鷲宮がある。

Img_0900鷲宮神社への石段

細く急で手摺もなく上りづらい。

Img_0902小祠内に「鷲宮神社」の石塔が立っているのみ。

Img_0892印旛沼はもやっている。

JR武蔵野線も霧の影響でのろのろ運転で1時間半近くも予定が狂った。

Img_0890甚兵衛大橋を渡って行く。

甚兵衛の渡し」の渡しは1967年この橋の完成で廃された。つい最近?まで渡し船はあったのだ。

Img_0886成田スカイアクセス線方向

成田市から印西市に入る。

Img_0875宗吾街道は県道291号となって続く。

車は多くないが歩道がないのはつらい。

Img_0871小祠 《地図

Img_0870「ぽっくり駒地蔵」だった。

「未知の世や 連れて行きゃんせ ほとけ道 ぽっくりぽっくり 逝くが極楽」だとよ。

松虫川の手前で左折し、南に松虫姫ゆかりの地を訪ねる。

Img_0863松虫川(境田橋から印旛沼方向) 《地図

松虫川は松虫姫公園の牛むぐり池から印旛沼へ流れているようだ。このあたりの地名も松虫。

Img_0855浅間神社の木立

Img_0858浅間神社 《地図

ここも急な石段を上ったが小さな祠だった。

Img_0854湖西尋常小学校跡(明治20年開校) 《地図

現在は「いんば学舎・松虫

Img_0849さっきまでとは違う静かな道を行く。

Img_0845杉自塚・庚申塔祠

Img_0844杉自塚(正面)

松虫姫は病が癒えて都に帰ったが、乳母の杉自はこの地に残り、里人たちに尽くして慕われたとう。左右に庚申塔群(これも百庚申塔か)

松虫姫伝説」(松虫寺寺伝):略すると「聖武天皇の姫君が不治の病にかかった。夢枕に立ったお告げにより長旅の末、この地の薬師堂にたどり着き、祈願したところすっかり病は癒えた。姫君は都に戻ったが、乳母(杉自)はこの地にとどまり、姫君を乗せて来た牛は身体が弱ってしまい、とても姫君を乗せて都に帰ることができないので悲しみの末に近くの池に自らを沈めてしまった。これが”牛むぐり池”である」(我ながら身も蓋もない書き方だが)、姫君というのがあの「不破内親王」とは興ざめか? 心の病は癒えなかったのかも。

Img_0839説明板

Img_0833長屋門の旧家

Img_0832百庚申塔

Img_0831松虫寺地図

Img_0811説明板

Img_0821本堂

右は枝垂桜

Img_0823「木造薬師如来坐像(1体)、木造薬師如来立像(6体)(七仏薬師)」(国重文)

Img_0822鋳銅鰐口」(市指定文化財)

Img_0824鋳銅孔雀文磬」(市指定文化財)

Img_0826松虫姫神社

Img_0817周辺図

成田スカイアクセス線のそばに松虫城跡がある。

Img_0800松虫姫公園地図

Img_0807牛むぐり池

Img_0805調節池になっている。

Usimuguriike牛に乗る松虫姫

Img_0798印旛日本医大駅

当初の計画では「印旛松虫駅」だった。展望台があるが、通常一般公開はされていないそうだ。

Img_0797味気ない某?流医大の駅名よりも「松虫姫駅」でよかったのに。

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2019年2月11日 (月)

将門散歩(坂東市)

2019年2月4日

愛宕駅(東武野田線)・バス→岩井局前バス停・・・岩井キリスト教会・・野口雨情歌碑・・・八坂神社・八坂公園・・将門文学碑・・・庚申塔道標・・・神明大神祠・・・国王神社・・・島広山・石井営所跡碑・・・延命寺(島の薬師)・・・石井の井戸碑・・・一言神社・・・八重の桜碑・・・藤田神社・・・高声寺・・・北山稲荷大明神・・・庚申塔祠・・・総合文化ホール「ベルフォーレ」・・・原口北バス停

  【ル-ト地図

 坂東市の中心地区の平将門ゆかりの地などを巡る。

Img_0592岩井局前バス停あたり

愛宕駅からバスで芽吹大橋(利根川)を渡り30分。坂東武者の古里は今も遥かなりか。20年ほど前に「いわい将門ハーフマラソン」に2度ほど参加したことがあるが、どこを走ったのかは全く記憶がない。

Img_0594野口雨情歌碑 《地図

「猿島岩井町 茶の芽が伸びりゃ 空に雲雀が さえつりかかる」で、野口雨情は北茨城市の出身。「猿島茶」(さしま茶)は坂東市の名産品。

Img_0599八坂神社

Img_0600由緒

Img_0603八坂公園

Img_0608平将門文学碑 《地図》?

これを見つけるのに苦労した。散歩中の人に聞いても分からず、公民館も休館日で聞けなかった。

Img_0604説明板

Img_0610庚申塔道標(安政2年(1855)) 《地図

(右面)「右ハ 久徒かけ つく者 」(沓掛 つくば)
(左面)「左ハ 於以ご 丹れ」(生子 仁連)らしい、
(台石正面)「江戸道」

Img_0618富士見の馬場 《地図

将門の軍馬の調練の施設、鎌倉時代には、豪族たちが戦場に出陣するために馬を飼い、その市場としても機能していたと伝わる。

Img_0623国王神社

将門の三女の如蔵尼が父の霊を祀ったのが始まりとされる。本殿、拝殿、将門座像は、江戸時代初期のものとされ、県指定文化財となっている。
将門の妹も奥州仙台にのがれ、比丘尼となって庵を結んだといい、比丘尼坂がある。『塩釜街道①

Img_0622説明板

Img_0625茅葺の社殿

Img_1199寄木造平将門木像(県指定文化財)

Img_0630島広山・石井営所跡 《地図

将門が関東一円を制覇するときに政治、経済、軍事の拠点とした。周辺には、重臣たちの居館、郎党の住居などが並び、兵たちの宿舎や食料庫、馬つなぎ場があったとされる。

Img_0644延命寺(島の薬師)

茅葺切妻造り、四脚門の山門

Img_0642石造太鼓橋・正面奥に本堂

Img_0635薬師堂

Img_0649石井の井戸跡 《地図

Img_0646説明板

Img_0652一言神社

石井の井戸の翁を祀ったとされる。

Img_0654九重の桜 《地図》?

Img_0655説明板

Img_0663白菜畑

坂東市の野菜

Img_0667藤田神社 《地図

この地の鎮守である諏訪神社に白山神社と天満社を合祀し、藤田神社と改称したという。

Img_0668なぜか向い側の住宅の間に地蔵

今日は暖かいのを通り越して暑いくらいだ。そばのマクドナルドで小休止兼軽昼食。

Img_0671高声寺

寺名の「高声」も将門伝説だ。

Img_0670境内

将門に関する説明板などは見当たらなかった。

南に北山古戦場跡ともいう北山稲荷神社へ向かう。

Img_0682手持ちの昭文社の地図では北山稲荷神社へは、この小さな橋を渡って左に入る道があるのだが見当たらない。ウロウロ行ったり来たりしたが、左の草に覆われているトンネルみたいな所が道跡だった。《地図

Img_0678捨てられている小さな車?

Img_0679この先は急坂となって送電塔で行き止まりとなった。引き返して大きく迂回する。

Img_0683北山稲荷大明神(正面奥)

Img_0685奥に小堂がある。

Img_0692右は「鎮魂 平将門公之碑」で左側に「終焉之地 遍田 北山古戦場」とある。『将門記』に、将門が最後に陣を張った地を「辛島郡(猿島郡)之北山」と記されているそうだ。この「北山」の候補はいくつかあり、その一つがここ辺(遍)田の北山稲荷神社あたりの地ということ。
左の石碑は平忠常の乱を平定した源頼信が、この地に建てた将門鎮魂の板碑のレプリカとかで、「天慶三庚子年 将門禅門位 二月十四日 長元辛未年 長征總土 鎮魂鬼神 源頼信」などと刻まれているようだ。

これで今日の予定地は終了した。まあ、坂東市の中心街の将門伝承地の一部だが。最後は将門騎馬像を見に行く。

Img_0695庚申塔の祠(道路の向かい側の祠) 《地図

北側の墓地を「庚申前墓地」というようだ。

Img_0698総合文化ホール「ベルフォーレ」の将門騎馬像

休館日であたりは静かだ。

Img_0703まだバスの時刻まで40分以上ある。下の芝生で寝ころんで将門に守られながら青い空を見上げ、暑いくらいの陽射しを受けながら、しばしくつろいだ。

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2019年2月 9日 (土)

我孫子・柏散歩②

2019年2月2日

天王台駅(JR常磐線)・・・手賀大橋(手賀沼)・・(柏市)・・・道の駅しょうなん・・・箕輪城跡あたり・・・船戸古墳群・・・阿弥陀様板碑・・・・香取神社①・・福満寺・・・車の前五輪塔・・・妙照寺・・・安房栖神社・・泉蔵寺・・・風早村道路元標・・・沼南の森・神明社・・・徳本名号塔・・・香取神社②・・・大津川・・・庚申塔群・・・高柳駅(東武野田線)

  【ル-ト地図

Img_0472手賀大橋から手賀沼

柏市に入る。富士山は見えず。

Img_0482箕輪城跡

手賀沼病院あたり一帯。土塁と空堀跡か。

Img_0490船戸古墳群 《地図

40基の古墳群というが私有地で立入禁止。東に箕輪古墳、その東が箕輪城跡。

Img_0494阿弥陀様板碑の祠 《地図

Img_0495説明板

Img_0499手賀沼城ではない。

Img_0503香取神社①(大井)

Img_0515福満寺山門

Img_0510「大井の七人影武者伝説の里」平将門大明神

北斗七星の妙見信仰にちなむ七人の影武者で、坂巻、石原、石戸、吉野、富瀬、久寺家、座間家の七家だそうだ。千葉市の千葉大医学部の構内には七騎影武者の墓ともされる七天王塚がある。『土気往還①』 影武者伝説はいくつもあるようだからこことは違う影武者だろう。

Img_0523本堂

手賀沼南岸の台地は、平将門山と呼ばれている景勝地で、手賀沼の眺望が、京の大津から琵琶湖を望む景色に似ていることから、将門が「大井の津」と名づけたといわれているそうだ。

Img_0525弁天池の氷の上でアイススケートを楽しむアヒル。

Img_0522平将門大明神の祠

これも将門伝説の「車の前五輪塔」を探すがなかなか見つからない。聞く人も見当たらずあきらめかけたがやっとたどりついた。

Img_0535この木立の中に車の前五輪塔がある。《地図》のあたり

Img_0532車の前五輪塔

室町時代初期の建立というから五輪塔そのものは将門の時代ではない。

Img_0530説明板

Img_0537車の前五輪塔から下って来た道を振り返る。

将門の時代からあまり変わっていない風景かも。

Img_0538妙照寺大杉

Img_0540説明板

Img_0548山門

Img_0544略縁起

Img_0551安房栖神社

Img_0552泉蔵寺

Img_0558風早村道路元標 《地図

沼南村→沼南町→柏市に編入(2005年)、ちょうど風早中学校のそばだ。

Img_0563神明社 《地図

Img_0561沼南の森

Img_0572徳本名号塔(文化15年(1818)) 《地図

Img_0577香取神社②(高柳)

Img_0582庚申塔群 《地図

ここは変則三叉路の真ん中で、交通事故防止の道祖神になっている。4基とも青面金剛像で、右から元禄10年(1697)、宝永4年(1707)、享保7年(1722)、昭和61年の建立。右端は道祖神(宝暦6年(1756))。右の後方奥に勢至菩薩(元禄8年)の祠がある。

Img_0591高柳駅(東武野田線)

この駅は初めてだ。もっとも船橋駅から柏駅間はあまり乗ったことがないが。

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2019年2月 6日 (水)

我孫子・柏散歩①

2019年2月1日

北柏駅(JR常磐線)・・・根戸城跡・・・船戸の森(船戸緑地)・・武者小路実篤屋敷跡・・・水神社・・・根戸古墳公園・・・手賀沼公園・・・天神坂・・三樹荘・天神山緑地・嘉納治五郎別荘跡・・・大光寺・・香取神社①・・・楚人冠公園・・・志賀直哉邸宅・・・金八稲荷神社・・・旧村川別荘・・・子ノ神大黒天・子の神古墳群・・・水の館・・・千勝神社・・・鳥の博物館・・・山階鳥類研究所・・・香取神社②・香取神社古墳群・・・水神山古墳・・・桃山公園・前原古墳跡・・・八幡神社・・・滝前広場・・・滝前橋・・・小暮橋(JR成田線)・・・天王台駅(JR常磐線)

  【ル-ト地図

 手賀沼北岸の台地上は古代には古墳群が手賀沼を見下ろし、明治から大正期にかけては多くの文人墨客が住み、「東の鎌倉」と呼ばれていた。今日は北岸を西から東へたどり、次回は手賀大橋を渡って柏市に入り、古墳群跡や平将門ゆかり地を訪ねて東武野田線まで南下する。

Img_0228根戸城跡方向(前方の台地、奥の台地は船戸の森) 《地図

昨夜の雪が残っている。

Img_0237城郭配置図

現在地に設置の説明板

Img_0229ここから登城した。

ここを上った西側に金塚古墳があるのだろう。

Img_0230空堀跡のような?

Img_0234主郭あたりか。

この先はボーイスカウトの野営地で立ち入れない。

Img_0241説明板

先ほどの「現在地」に設置のもの。

Img_0238根戸城跡

Img_0239金塚古墳

出土品

Img_0247船戸の森(船戸緑地)

Img_0255武者小路実篤屋敷跡 《地図

実篤は当地から→「新しき村」(宮崎県)→「新しき村」建設(埼玉県毛呂山町)→調布市と移り住んだ。

Img_0252説明板

Img_0258船戸の森の下の道を進む。

左は湧き水

Img_0261水神社 《地図

Img_0266根戸古墳公園 《地図》(白山古墳公園となっているが白山古墳群は白山中学校の南東にあった。)

Img_0265根戸船戸2号墳(前方後円墳)

もとは前方後円墳4基、円墳2基があった。雪が葺石(ふきいし)代わりだ。

Img_0264説明板

Img_0268左の台地が北風よけになって歩きやすい。

Img_0273手賀沼公園

20年ほど前に2、3回、「手賀沼エコマラソン」に参加したことがある。

Img_0274カモ・カワウ・ユリカモメなど野鳥の楽園だ。

Img_0388昭和30年頃までは泳げたそうだ。

「鳥の博物館」に展示の写真

Img_0389説明板

Img_0279血脇先生謝恩之碑(手賀沼公園内)

我孫子出身の歯科医学者だが、こんな馬鹿でかい石碑を建てることもあるまいに。

Img_0284バーナード・リーチ氏の碑(手賀沼公園)

天神坂上の三樹荘に窯場があった。

Img_0281説明板

Img_0287天神坂を上る。 《地図

左が三樹荘跡(現村山邸)、坂上右の天神山緑地が嘉納治五郎別荘跡。

Img_0288説明板

Img_0298坂上から

Img_0297三樹荘(柳宗悦屋敷跡)

柳宗悦は嘉納治五郎の甥

Img_0295説明板

Img_0301嘉納治五郎別荘跡

NHKの大河ドラマ「いだてん」で嘉納治五郎先生は活躍中だ。
嘉納がこの地に別荘を設けたことで甥の柳宗悦が結婚後に我孫子へ移り住み、その後に志賀直哉や武者小路実篤ら「白樺派」の文人たちが移り住むきっかけになった。

Img_0299説明板

Img_0303ここからの眺め(大正時代の写真絵葉書)

富士山もこんなにくっきり?

Img_0305現在の眺め

晴れていても富士山は見えない。

Img_0315香取神社① 《地図

ケヤキの大木は、大正12年に苗木を50本植栽したのが成育したものだそうだ。

Img_0323楚人冠公園(緑南作緑地) 《地図

句碑(正面)「筑波見ゆ冬晴の洪いなる空に」 ここから筑波山も見えたのだ。朝日新聞の「天声人語」を造語・命名したのは杉村楚人冠という。

Img_0318説明板

北側に楚人冠記念館もある。

Img_0335志賀直哉邸宅(緑雁明緑地) 《地図

尾道市奈良の新薬師寺近くにも旧宅がある。

Img_0331説明板

Img_0333白樺派と我孫子の文人の相関図

昔の週刊誌の芸能人(愛憎・スキャンダル?)相関図を思い出した。

Img_0327武者小路実篤邸の庭での写真(大正6年)

男連中はどうでもいいが、女性たちは大正ロマンを感じさせる美形揃いか?

少し手前の向い側に白樺文学館がある。

Img_0347金八稲荷神社 《地図

住宅の間の鳥居もない殺風景な社で、雪が残っていて寒々しい。詳細不明な稲荷社だが、祭神は武田鉄矢でないのは確か。でも、「マルちゃんの赤いきつねと緑のたぬき」を宣伝していたからひょっとしたら・・・・。

Img_0358旧村川別荘 《地図

Img_0357説明板

Img_0360母屋

水戸街道の我孫子宿本陣の離れを移築、改装。

Img_0363新館

Img_0365子ノ神大黒天  《地図

Img_0368子の神古墳群

現在は5基の円墳と前方後円墳1基が残っているというが、墳形もはっきりせず消滅に近い状態のようだ。 

Img_0366説明板

Img_0372水の館 《地図

展望台がある。無料だった。

Img_0382展望台から手賀沼東方向

手賀川へと続いている。

Img_0385手賀大橋、富士山方向

Img_0377千勝神社

「千勝」とは縁起がいい。勝負事にご利益ありと思ったが、そうではないようだ。 

Img_0380鳥の博物館

ここの鳥の剥製標本などは見ごたえがある。ここも拙者は無料だった。

Img_0398トキ

大正15年捕獲された剥製

Img_0396説明板

Img_0405ショウジョウトキ(上)・ホオアカトキ

Img_0379山階鳥類研究所

Img_0436東へ古墳群をたどる。

参考:「あびこ電脳考古博物館

Img_0416香取神社② 《地図

左右に香取神社古墳群(円墳2基・方墳1基)の2基の古墳。ここからの手賀沼の眺めは今はない。

Img_0418古墳(社殿の左側)

Img_0422この祠も古墳上か。

Img_0430水神山古墳(後円部上から前方部方向)

全長約69mの前方後円墳で手賀沼周辺では最大の古墳。やっと古墳らしい形が残る古墳に出会った。出土品の「ガラス小玉

Img_0434説明板

Img_0439前方部西南側から後円部方向(右)

Img_0446前原古墳跡(桃山公園内)あたりから手賀沼

Img_0442古墳はこんな感じで2基の方墳が手賀沼を見下ろしていた。

Img_0441説明板

Img_0448下は水生植物園

西久保古墳のある日立総合経営研究所内には入れず。

Img_0457八幡神社 《地図

Img_0461滝前広場近くから手賀沼 《地図

滝前不動堂は八幡神社の東方にある。ここを今回の終点として天王台駅に向かった。

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2019年1月30日 (水)

川口市の坂②

2019年1月29日

戸塚安行駅(埼玉高速鉄道)・・・(木花橋)・・稲荷社・・・(赤山街道交差地点)・・・持宝院・・・(東京外環道)・・・氷川公園・安行氷川神社・・・(山王社)・・・庚申塔・・庚申塔祠・・興禅院・・・矢倉稲荷社・・・神明社公園・・・島稲荷神社・・・赤堀用水・・・ふるさとの森入口・・・半縄坂・・・密蔵院・九重神社・・安行自然の森・・・平岡坂・・・安行原の蛇造り・・・金剛寺・・・(首都高川口線)・・・氷川神社(安行吉岡)・・・宝厳院・・慈林寺薬師堂・・・県道328号・・・本町二丁目交差点・・御成坂(日光御成道)・からくり時計(御成坂公園)・・吹上橋(見沼代用水東縁)・・・鳩ケ谷駅(埼玉高速鉄道)

  【ル-ト地図

Img_0085稲荷社 《地図

れっきとした「正一位」の社だが。

Img_0087植木の里 安行」のとおり、植木畑・園芸農家などが並んでいる。

花山下交差点で赤山街道(越谷道)を横切る。

Img_0089持宝院へ切通しの坂を上る。

この道は新しい道か、私有地内の道かも。

Img_0090持宝院 《地図

Img_0091安行八景」①

安行の3俳人の句碑と墓があるので俳句の寺と呼ばれているようだ。図らずも「安行八景」すべてを巡る坂道散歩となった。

東京外環道を渡る。

Img_0095安行氷川神社へ上る坂

Img_0099安行氷川神社

「安行八景」②の「ふるさと歩道安行氷川神社」

Img_0100由緒

この先、興禅院に向かうのだが途中で方向を誤って赤山城跡東の山王社の前あたりに出てしまった。(【ル-ト地図】は歩いたままを書いている)

Img_0107三猿庚申塔(年代不明) 《地図

少し手前にも露座の青面金剛庚申塔(享保2(1717))が立っている。

Img_0111興禅院

「安行八景」③の「野鳥の森興禅院と振興センター」

Img_0114鐘楼の向こうは蠟梅(ろうばい)

Img_0119矢倉稲荷社 《地図

Img_0125神明社・稲荷社 《地図

ここは神明社公園で神明院(宝厳院の末寺)の跡地ともいうようだ。

Img_0127島稲荷神社への坂を下る。 《地図

なかなか雰囲気のある坂だ。坂の名前はあるのだろうか?

Img_0129島稲荷神社

由緒など分からず。

Img_0133赤堀用水沿いを進む。《地図

Img_0136ふるさとの森入口

この中に割坂六兵衛坂がある。『川口市の坂①

Img_0138半縄坂(坂上方向) 《地図

南西方向に上る坂。

Img_0140坂下方向

Img_0148「半縄坂開鑿紀念」碑

九重神社の境内にある。

Img_0150九重神社

このあたりは久保山と呼ばれる丘陵地で、平将門が砦を築いたという伝説も残り、隣の密蔵院の本尊の延命地蔵菩薩は将門の念持仏の伝承を持つという。

Img_0151由緒

Img_0145密蔵院山門

「安行八景」④の「久保山と密蔵院」、川口七福神の大黒天。

Img_0146説明板

Img_0155平岡坂 《地図

安行小学校南交差点から南東に下る坂。右は八幡坂となって峯ヶ岡八幡神社へと続いている。

Img_0157坂下方向

坂上近くに「安行八景」⑤の「平岡坂のケヤキ並木」の表示板があるというが見当たらず。ケヤキ並木もなくなり取り外されたか?

Img_0162安行原の蛇造り 《地図

「安行八景」⑥の「蛇づくりと地蔵さん」で正面奥が地蔵、藁で造った蛇はやぐらの上に乗っている。

Img_0166蛇というより大わらじのようだ。

Img_0163説明板

北に金剛寺を目指すが、北西からの強風で歩きづらく、帽子は飛ばされるので手に持って進む。

Img_0184西風よけになってくれる。《地図》あたり

Img_0173金剛寺参道

「安行八景」⑦の「植木の開祖金剛寺」で、「安行苗木開発の祖」という吉田権之丞の墓があるが、「お灸の寺」として有名だ。

Img_0180説明板

Img_0177山門

Img_0179説明板

Img_0185氷川神社(安行吉岡) 《地図

Img_0186説明板(銅造懸仏)

Img_0189宝厳院仁王門

Img_0191説明板

Img_0207宝厳院本堂

Img_0190説明板

Img_0206慈林寺薬師堂

「安行八景」⑧

Img_0208宝厳院と慈林寺薬師堂の間を下って県道328号に出て、本町二丁目交差地点で日光御成道に出る。

Img_0216御成坂を下る。

御成坂公園のからくり時計は、15時の作動でまだ早過ぎた。鳩ケ谷市はなくなったから鳩は出ないで人形が出るか。

Img_0221吹上橋から見沼代用水東縁(上流方向) 《地図

Img_0223吹上橋を渡ったあたりから御成坂方向(明治25年頃)

橋の袂に火の見に半鐘が下がっている。

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2019年1月26日 (土)

さいたま市の坂⑤

2019年1月24日・25日

大宮駅(JR京浜東北線)・・・(旧中山道)・・・氷川神社参道・・・堀の内橋(見沼代用水西縁)・・・新橋(芝川)・おかま坂・・・見沼弁財天宗像神社・・大正坂・・・神明神社①・・・(芝川)・・・北袋橋(見沼代用水西縁)・・・北袋天神社・・・旧中山道・高台橋跡・お女郎地蔵・火の玉不動・・(さいたま新都心駅)・・・神明神社②・・・(北与野駅(JR埼京線))・・・赤山街道・・・台の坂・・・赤山橋(鴻沼川)・石橋供養塔・・・一山神社・・・円乗院・・御嶽神社①・・与野公園(銭洗弁天・天祖神社)・・本町坂・・・津島神社・・・庚申堂・・・さいたま芸術劇場・・・円福寺・・・(新大宮バイパス)・上峰交差点・庚申塔道標・・・諏訪坂・・諏訪神社・・・(新大宮バイパス)・・・里見通り・・・妙行寺・・・(埼京線)・・・鈴谷坂・・・里見橋(鴻沼川)・・・(鴻沼排水)・・・二度栗坂・・・大戸氷川神社・庚申坂・・庚申塔祠・・大戸不動堂・・・御嶽神社②・・大戸のお聖さま・・貝塚坂・・稲荷社・・大戸貝塚・・大戸地蔵堂・・・稲荷坂・・・別所沼・別所沼弁財天・・・(旧中山道)・・調神社・・浦和第一女子高校・・あひる坂・・・浦和駅(JR京浜東北線)

  【ル-ト地図

Img_9856氷川神社参道 《地図

社殿までは1kmほどある。

Img_9858堀の内橋から見沼代用水西縁(上流方向) 《地図

Img_9859説明板

6行目に「おかま坂」がある。

Img_9864芝川(新橋から上流方向)

Img_9867おかま坂(坂上方向) 新橋から東へ上る坂 《地図

由来伝説:『ある春うららの日、狩に遠出した徳川三代将軍家光の一行が見沼の渡船場に着くと、”おかま蛙”たちが大声で元気よく鳴いていた。その声を聴いた家光公は大勢の敵に囲まれているような気がして舟から下りることができないでいた。するとお供の大久保彦左衛門が進み出て、「これは蛙たちが将軍の来訪を喜んで歓迎の声を上げているのでございます」と言い、蛙たちに向かって、「ご苦労、ご苦労、もう分かったぞ。その方たちも宿に下がって休むがよい」と命ずると、蛙たちは立ち消すように去って行った。家光は喜んで、「あっぱれ彦左衛門」と褒めて、この渡しを「おかまの渡し」と名づけ、渡船運上金御免としたという。以来、この渡しから上る坂を「おかま坂」というようになった』(「片柳のむかし」(大宮市立片柳公民館)の伝説「おかま坂」を少し改作」

あまり面白くない話だ。そもそも”おかま蛙”とはどういう蛙なのか?

Img_9872坂上近く(中川バス停あたり)

Img_9870坂下方向

Img_9878見沼弁財天宗像神社

竜神伝説は『芝川を歩く②』に記載。

Img_9882大正坂(坂上方向) 南に緩やかに上る坂。 《地図

坂の途中に「大正坂」バス停がある。

Img_9887神明神社① 《地図

Img_9893中川橋の少し下流の芝川

右岸(正面)は大宮南部下水処理センター、遠方は埼玉新都心のビル街。

下流の橋を渡って首都高埼玉新都心線の下の道を南西に向かう。

Img_9902北袋天神社 《地図

Img_9903説明板

Img_9908お女郎地蔵・火の玉不動 《地図

高台橋あたりの旧中山道

Img_9918神明神社② 《地図

Img_9919説明板

Img_9922台の坂(坂下方向) 西へ赤山橋方向へ下る赤山街道(赤山通り) 《地図

右の植込みに坂標が立つ。

Img_9925赤山橋(鴻沼川)・石橋供養塔(享保11年(1726))

赤山街道を進み、子育地蔵・甲子供養塔道標の所で南に入る。

Img_9928一山神社 《地図

「一山」は人名。与野七福神の恵比須神。左は大クスノ木

Img_9932中むらそば店 《地図

前はシラカシの大木

Img_9936円乗院

与野七福神の大黒天。境内は写真撮影禁止だと。

Img_9941御嶽神社① 《地図

与野七福神の弁財天

Img_9937説明板

Img_9940御神の大井戸(再現)

Img_9939説明板

Img_9951与野公園

県内で3番目の公園として明治10年に開園した。

Img_9943銭洗弁天(与野公園内)

銭を洗っている人は見かけなかったが。

Img_9944説明板

Img_9949天祖神社

与野七福神の寿老神

Img_9946説明板

Img_9954本町坂を下る。 《地図

Img_9956坂上方向

Img_9958津島神社 《地図

Img_9960庚申堂(昭和7年建立) 《地図

道路の分岐にあり、夜には明かりが灯されるそうだ。堂内でおじさんたち?が寄り合い中で、庚申塔は見られず。

Img_9962さいたま芸術劇場

Img_9966円福寺

与野七福神の布袋尊。七福神巡りのようになってきたか。

Img_9978庚申塔道標など(上峰交差点) 《地図

背の高い庚申塔(宝永8年(1711))は道標になっていて台座の左側面に「これより 江戸みち」・右側面に「これより 加う志うみち」(「甲州みち」だろう)とある。もとはもう少し南西の交差点あたりにあったらしい。その前の庚申塔(寛政12年(1800)・3つ並んだ真ん中)も道標になっていて「右 大山・・」で、「大山みち」だろう。その後ろは閻魔大王塔(文化14年(1817))、一番前は崩れかかった年代不明の庚申塔。

Img_9971諏訪坂を下る。 《地図

坂下近くの右側に諏訪神社がある。

Img_9973諏訪神社

Img_9986妙行寺

モクコク」は本堂裏にあるようだが、見逃したようだ。

Img_9990縁起

Img_9988板石塔婆(正元2年(1260)の銘)

Img_9987説明板

Img_9991与野の大カヤ・金毘羅天堂 《地図

ここも妙行寺の敷地内

Img_9992説明板

Img_9995説明板

Img_0005鈴谷坂(坂上方向) 鈴谷小学校の北側を緩やかに西に上る坂。《地図

昭文社の都市地図「さいたま市」では、もう一本北側の道に「鈴谷坂」の表示があるが、傾斜はもっと緩い。

Img_0006坂下方向

右の電柱の植込みの中に坂標がある。

Img_0014二度栗坂を上る。 

里見橋(鴻沼川)から東へ中里交差点へ上る坂。《地図

諸国を巡錫中の弘法大師が、この地で栗の実を採ってくれた子供の善行を喜び、一年に二度、栗の実を結ばせたと伝えられる地。坂の途中の北側に二度栗山弘法尊院がある。

Img_0017坂下方向

Img_0020大戸氷川神社(与野七福神ではない) 《地図

Img_0032庚申坂(坂下方向)

大戸氷川神社の北側を西へ下る坂。途中の右側に庚申塔の祠がある。

Img_0030坂上方向

右は馬頭観音の祠。ここは個人の宅地内だ。

Img_0023馬頭観音(文化11年(1814))

Img_0026坂下方向

坂名由来の庚申塔の祠 《地図

Img_0027庚申塔(文化8年(1811))

Img_0033大戸不動堂 《地図

Img_0038庚申塔(寛文13年(1673))

大戸不動堂の境内

Img_0036説明板

Img_0042御嶽神社②

Img_0044大戸のお聖さま 《地図

Img_0045説明板

Img_0048御神体は男根の金精様だ。

Img_0053貝塚坂(坂下方向) 《地図

大戸バス停の交差点から東に下る坂。交差点からは西に「お聖さま」の方へも下って行く。近くに大戸貝塚がある。

Img_0059稲荷社(坂の途中)

この家の屋敷神か。

Img_0061大戸貝塚 《地図

Img_0062説明板

Img_0064大戸地蔵堂

Img_0078稲荷坂(坂下方向) 南に下る坂。 《地図

稲荷社は見当たらなかったが。

Img_0067坂上近く(右に坂標)

Img_0070別所沼

Img_0075別所沼弁財天 《地図

Img_0073由来

東に向かい旧中山道を横切り、調神社を通り、浦和第一女子高校前に出る。

Img_9914あひる坂(北方向) 浦和一女前から北に少し下って上る坂。 《地図

あひるのように、にぎやかにお喋りしながら登下校する女学生たちの様子からこう呼ばれているとか。

Img_9911南(浦和一女)方向

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2019年1月19日 (土)

稲付川を歩く

2019年1月17日

中板橋駅(東武東上線)・・・向屋敷橋(石神井川)・・・久保田橋・・・山中橋(鎌倉街道中の道)・・稲付川跡・・・即得寺・日曜寺・・・智清寺・・・(国道17号)・・・旧中山道交差地点(板橋宿上宿)・・・帝京高校・・・姥ヶ橋延命地蔵・姥ヶ橋交差点(十条・板橋道交差地点(環七通り))・・・遊鯉園の坂下・水車の坂下・・・清水坂下・日光御成道(岩槻街道)交差地点・・・(JR埼京線・JR京浜東北線)・・・(大日本印刷敷地)・・・(稲田小学校)・・・北本通り・北町橋跡・・(開渠)・・・(隅田川合流地点)・・・新神谷橋(隅田川)・・・北本通り・・・志茂駅(東京メトロ南北線)

  【ル-ト地図

 石神井川の板橋区の向屋敷橋付近で取水し、北区へと流れて隅田川に合流する稲付川を歩く。ほとんどの区間が暗渠で、北本通りから隅田川までのわずかな区間だけが開渠となっている。
 稲付の名のつく所は赤羽に、稲付城址(太田道灌)・稲付公園(野間清治の旧別邸跡)・稲付中学校(卓球の新星、木原美悠選手)などがある。

Img_9754向屋敷橋から石神井川(下流方向) 《地図

この橋の少し下流左岸に取水口の根付堰があったようだ。

Img_9752久保田橋の上

本物です。カメラを意識しておつにすましているか。

山中橋(鎌倉街道中の道)の北側から稲付川跡の道筋をたどる。

Img_9759稲付川跡の道 《地図

Img_9765即得寺

慶長13年(1608)、松浦党の流れをくむ松浦肥前守入道順覚により越後国(現新潟市)に創建された。昭和40年に当地に移転した。

Img_9770石橋(日曜寺前) 《地図

「日曜」の由来は何か? 工事中で雑然としている。本尊の愛染明王が藍染に通じることから、染色業の人々の信仰が篤かったそうだ。
石橋は稲付川(中用水)に架かっていたもので、親柱に「神田東松下町 濱田」・「昭和二年五月改修」などと刻まれている。神田の染色業者の寄進だろうか。

Img_9774石橋(智清寺山門内)

正徳4年(1714)に中用水(上郷七か村用水・稲付川)に架けられた橋。明治5年の水争いの時には板橋の農民たちが当寺に立てこもったという。

Img_9773説明板

Img_9779国道16号(中山道)をくぐる。

Img_9780稲付川跡の道は旧中山道の板橋宿を横切る。 《地図

Img_9786旧中山道を横切った所。

少し北側に縁切榎がある。

Img_9792蛇行跡の道筋 

右は帝京高校

Img_9795このあたりは少し上っている。

Img_9797川跡の公園か? 《地図

Img_9799このあたりは工事中

Img_9801姥ヶ橋陸橋下で十条・板橋道交差地点(環七通り)を横切る。

姥ヶ橋延命地蔵が鎮座する交差点だ。

Img_9806歩道橋を北側に下りると川跡の道が続く。《地図

Img_9810住宅の間の道となる。

Img_9812道案内の猫ちゃん

マンホールの下からは水音が聞こえる。

Img_9818遊鯉園の坂(右へ)と水車の坂(左へ)の坂下の谷の道だ。 『北区の坂③』 《地図

Img_9825清水坂下で日光御成道(岩槻街道)を横切る。《地図

JR埼京線などの高架下から大日本印刷赤羽工場(工事中)の敷地内を流れていたのだろう。

Img_9835稲田小学校の敷地内の流路跡か?(歩道橋から) 《地図

Img_9836稲田小学校を抜けた川跡

Img_9839神谷三丁目第3アパート内を通って行く。 

Img_9842車は通れない川跡の道 《地図

Img_9843北本通りを横切るとやっと開渠となる。

Img_9845北町橋の跡が残っている。《地図

Img_9847隅田川の間が開渠で水はあるが流れてなく、淀んで溜まっている感じだ。

川沿いは歩けず隅田川との合流地点までは行けない。

大きく南に新神谷橋まで迂回する。

Img_9851新神谷橋から隅田川上流方向 《地図

隅田川沿いも歩けないようで、ここから合流地点あたりを遠望して稲付川跡歩きの終点とした。

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2019年1月18日 (金)

東京坂道散歩(北区)

2019年1月17日

赤羽駅(JR京浜東北線)・・・日光御成道(岩槻街道)・・・静勝寺坂・静勝寺・稲付城址・・・中坂・・稲付一里塚跡・・・普門院・・・庚申塔道標・真正寺坂・・・香取神社・・・法真寺・・・日光御成道・・清水坂・・・稲付川跡・・・游鯉園の坂・・水車の坂・・・稲付公園・・野間坂・・・鳳生寺・鳳生寺坂・・・三岩通り・・蛇坂上・・・法安寺坂上・稲付中学校・・・庚申坂上・・・大松寺・・赤羽スポーツの森公園・・赤羽自然観察公園・・・庚申坂・・・無名の坂①・・・法安寺坂・・・市場坂・・・無名の坂②・・・蛇坂・・・弁天坂・・・三日月坂(道灌坂)・・・弁天池の坂・・・弁天通り・・・(赤羽台トンネル)・・・八幡坂 ・・・師団坂・・赤羽八幡神社・・石坂(赤羽八幡)・・・うつり坂鎌倉街道中の道)・・坂本庚申塔・・・大坂・・・赤羽駅

  【ル-ト地図

  北区の坂③』・『北区の坂②

Img_9592香取神社 《地図

稲付村の鎮守

Img_9593説明板

Img_9595力石

Img_9594説明板

Img_9596法真寺

Img_9598三蛇弁財天

後ろの古木の根元の空洞にお使いの蛇が棲んでいたのかも?

日光御成道の清水坂下まで進む。

Img_9614稲付川跡を上流方向に進む。《地図

赤羽、西が丘と十条の台地の間の谷になっている。

途中、北(右)に水車の坂を上って稲付公園に出る。

Img_9653三岩通り 《地図

すぐ先の法安寺坂の坂上には稲付中学校(卓球の新星・木原美悠選手)がある。

赤羽スポーツの森公園から赤羽自然観察公園へ向かう。《地図

Img_9671水鳥の池(自然観察園内)

Img_9660旧松澤家住宅

主屋(右)・倉屋(左)

Img_9665説明板

Img_9663北区浮間に弘化元年(1844)に建てられた民家を移築復元。

三岩通りから北に下る何本もの坂を上り下りする。

Img_9713三日月坂(道灌坂) 《地図

坂名の由来の道灌湯の煙突が見えない。

Doukannyu道灌湯の煙突がそびえている。(2006年3月3日『北区の坂③』で撮影)

2006年の10月末で廃業したようだ。これは貴重な写真かもよ。

Img_9736石坂(赤羽八幡神社)

石段下に「石坂碑」が立っている。

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2019年1月16日 (水)

野川を歩く③

2018年1月15日

狛江駅(小田急線)・・・野川緑地公園(旧野川流路跡)・・・御嶽神社?・・・子之三嶋神社・・・野川大橋(野川)・・・糟嶺橋・・・小足立橋・・・入間川合流地点・・・谷戸橋・・(世田谷区)・・・野川緑地広場・ビジターセンター・・・神明橋・・・成城四丁目十一山市民緑地・・・成城みつ池北緑地・・・成城みつ池・・・不動坂・喜多見不動堂・・・(小田急線)・・・上野田橋・・・中野橋・・・六郷用水(旧野川流路)合流地点・・・雁追橋・・・中野田橋・・・喜多見大橋・・・茶屋道橋・・・水道橋・・・次大夫堀公園・・・大正橋・・・新井橋・清水川(岩戸川)合流地点・(東名高速道路)・六郷用水分岐地点・・・野川第二緑道・・・町田橋・・・天神森橋・・・仙川合流地点・・・野川水道橋・・・吉澤橋・・・(厚木街道(国道246号))・・・兵庫橋・兵庫島・・(玉川通り)・・(東急田園都市線)・・多摩川合流地点

  【ル-ト地図

Img_9441子之三嶋神社  《地図

野川に突き当たり下流に進む。

Img_9449小足立橋の下流で入間川が左から合流する。《地図

荒川水系の入間川とは違う小さな川。

Img_9451上流方向

Img_9453谷戸橋から下流方向

左岸は野川緑地広場、右岸には「きたみふれあい広場」が広がる。

Img_9461サギとカモはよく見かける。

Img_9465成城四丁目十一山市民緑地

この階段を上ってもその先は入れない。それならこの扉も閉めておけよ。

Img_9476成城みつ池緑地地図

奥の湧水源へと続いているようだが、ここも金網フェンスで入れない。

Img_9475案内図

Img_9477不動坂 《地図

右が喜多見不動堂

Img_9479不動の滝 「説明板

滝上の小さな滝不動が小便をしているようだ。

小田急線をくぐって野川に出る。

Img_9487六郷用水合流地点 《地図

用水の上は滝下橋緑道になっている。

Img_9503水道橋

荒玉水道道路が北に伸びている。

Img_9506次大夫堀公園

Img_9515清水川(岩戸川)合流地点(右は新井橋、上は東名高速) 《地図

六郷用水も暗渠で左に分岐する。

Img_9533仙川合流地点 《地図

Img_9534野川水道橋

Img_9530かつての野川水道橋

水道管が通っている。

Img_9535説明板①

Img_9536

Img_9538配水管(右)・空気弁(左)

旧野川水道橋に架設されたもの。

Img_9548吉沢橋 《地図

Img_9544玉電砧線が渡って行く。(昭和36年)

乗ったことがあると思うが記憶が定かでない。

Img_9545説明板

Img_9549新二子橋(厚木街道(国道246号))、二子橋(玉川通り)、東急田園都市線をくぐって多摩川に合流する。

大山街道二子の渡しで多摩川を渡っていた。

Img_9563兵庫橋から兵庫島

雨が本降りになってきた。

Img_9556説明板

案内図

Img_9557多摩川ドナウ川友好河川記念碑

若山牧水歌碑

Img_9552多摩川合流地点 《地図

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2019年1月15日 (火)

野川を歩く②

2019年1月14日

東小金井駅(JR中央線)・・・二枚橋(野川)・武蔵野公園・・・楢橋・・・もみじ橋・・・みずき橋・・・柳橋・・・櫻橋・・・櫟橋・・・樫橋・・・富士見大橋(東八道路)・・・泉橋・・・御狩野橋(人見街道)・・・相曽浦橋(旧人見街道)・・・大沢の里(古民家・水車農家・出穴横穴墓)・・・飛橋・・・野川大沢調節池・・・野水橋・・・榛沢橋・・・八幡橋・・・古八幡神社・・・大沢橋(天文台通り)・・・清水橋・・・羽沢橋・・・御塔坂橋・御塔坂下・・・(中央自動車道)・橋場橋・・・又住橋(佐須街道)・・・虎狛橋・・・榎橋(三鷹通り)・・旧野川流路跡・旧榎橋・・逆川合流地点・・・大橋・・・細田橋・・・マセ口川合流地点・・・おかね橋・・・京王線旧軌道跡の碑(調布市立第七中学校)・・・中島橋・・・馬橋(甲州街道)・・・(京王線)・・・車橋・・・大町橋・・・野川橋・・・箕和田橋・・・小金橋・・・旧野川流路(野川緑地公園)・・・大橋跡(旧野川)・大橋改修記念碑・・・御台橋跡(松原通り)・・・六郷用水(跡)合流地点・・・狛江駅(小田急線)

  【ル-ト地図

Img_9333相曽浦橋(旧人見街道)から下流方向 《地図

このあたりは大沢の里と呼ばれ、左岸に湿生花園・出穴横穴墓、右岸に水車公開施設(峰岸家)などが、人見街道沿いには近藤勇の墓がある龍源寺、生家跡などがある。『人見街道』・『三鷹市の坂

Img_9344大沢調節池

ふだんはグラウンドで、調節容量9万㎥。規模拡大事業(調節池を掘り下げ貯留量を増やす)の工事中のようだ。

Img_9352古八幡神社 《地図

ここは大沢八幡神社の旧社地。右の庚申塔は元禄14年(1701)の建立で、刃傷松の廊下の年だ。

Img_9362御塔坂橋から御塔坂(坂上方向)

Img_9366中央道をくぐる。

Img_9369又住橋で佐須街道と交差する。

Img_9378旧野川流路跡・旧榎橋 《地図

Img_9379旧野川流路跡の遊歩道

Img_9381逆川(さかさがわ)合流地点 《地図

Img_9385逆川(上流方向)

このあたりは暗渠となっている。

Img_9387マセ口川(ませぐちがわ)合流地点 《地図

Img_9389この先が野川との合流地点

写真を撮っていたら右のおっさんに不審者と間違われた。左がおっさんの家らしい。

Img_9392京王線旧軌道跡の碑「京王電車この地を通る」
(調布市立第七中学校の敷地内) 《地図

京王線は京王電気軌道として開業した1913年(大正2年)から約14年間は、調布市内の仙川駅~調布駅間は甲州街道上や、その北側を走っていたそうだ。

Img_9395甲州街道の馬橋 

Img_9398京王線をくぐって行く。

Img_9406箕和田橋あたり

このあたりはサギやカモが多い。

Img_9411小金井橋から下流方向

右(南)に旧野川流路跡が野川緑地公園として六郷用水(跡)との合流地点まで続いている。そこを通って狛江駅に向かう。 《地図

Img_9423旧野川流路跡の大橋と大橋改修碑(右)

Img_9424休日でもジョッカー、ウォーカーも少なくて歩きやすい。

Img_9425御台橋跡(松原通り) 《地図

Img_9427御台橋の親柱

Img_9437説明板

Img_9431六郷用水(跡)合流地点 《地図

この先は一の橋交差点を横切り、滝下橋緑道となり現在の野川に合流していた。

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