2022年6月20日 (月)

坂道散歩(2021年11月~2022年6月)追加分

以下の記事を追加しました。

坂道散歩(松戸市)

『柴又街道①』

松戸散歩(北小金地区)

大堀川

流鉄流山線

諏訪道

東武野田線(2)

東武野田線(1)

印西道①

JR武蔵野線(2)

JR武蔵野線(1)

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2020年7月 2日 (木)

結城街道⑥(下館駅→日光街道合流地点)

2020年6月29日

下館駅(JR水戸線)・・・巽坂・・・妙西寺・加波山事件志士の墓・・・江戸坂・・北向地蔵尊・・水戸街道踏切(真岡鉄道)・・・神明宮・・・(国道294号常総バイパス)・・・外塚橋(大谷川)・・・(国道50号)・・・(国道50号下館バイパス)・・・稲荷神社①・・・馬頭尊・・・二十三夜塔・・・(JR水戸線踏切)・・・(江連用水)・・・稲荷神社②・・山倉神社・・・熊野神社・・・地蔵尊祠・・・天満宮・・・延命寺・・・川島橋(鬼怒川)・・・(結城市)・・・(田川)・・・(東結城駅)・・・第一水戸街道踏切(JR水戸線)・・・旧山川街道踏切(JR水戸線)・・人手観音堂・・・結城宿・・結城政勝御影堂・・阿弥陀寺・・雷稲荷神社・釈迦堂・・日光東往還合流地点・・追分道標・日光東往還分岐地点・県道264号・・西町橋(吉田用水)・・・五助稲荷神社・・・小田林北交差点(新国道4号バイパス)・・(西仁連川)・(小山市)・和談坂・・・中久喜城跡・・・番館坂?・・・(愛宕神社)・・・陸橋(JR東北本線)・・日光街道合流地点・日光街道(県道265号)・・・小山駅(JR東北本線)

  【ル-ト地図

Img_0118十一屋煎餅店(巽坂の途中)

明治28年創業の手焼きせんべい店。まだ9時前で開店前。

 

Img_0119妙西寺

開基の「水谷夫人妙西大姉画像

 

Img_0120説明板

 

Img_0121加波山事件志士の墓(妙西寺門前)

 

Img_0122説明板

 

Img_0125江戸坂を下る。

坂上から江戸は望めないが。

 

Img_0129坂標

 

Img_0128北向地蔵堂(江戸坂の途中)

 

Img_0126説明板

奥州からの旅人は奥州街道と喜連川で分かれ、下妻街道で下館城下まで来たのだろう。

 

Img_0127地蔵さんは二人

 

 水戸街道踏切で真岡鉄道を渡る。水戸街道は結城街道でもある。

Img_0136神明宮

「しんめいさま」と呼ばれている。貞享3年(1686)の再建の際に植えられたと思われる2本のケヤキがそびえる。

 

Img_0135説明板

 

Img_0146外塚橋から大谷(おおや)川(下流方向)

 小貝川に合流して行く。

 

Img_0148稲荷神社①

 

Img_0150旧家

 稲荷神社の後ろ側

 

Img_0153馬頭尊の立つ辻

 

Img_0155馬頭尊の上部

「三十七八年後」とは?

 

 ここは左に行く。
 

Img_0158左にJR水戸線が近づいて来た。この先で踏切を渡る。

 

Img_0163江連(えづれ)用水

 

Img_0165_20200630104901稲荷神社②

 

Img_0169_20200630105701山倉神社

 

Img_0170説明板

 

Img_0171拝殿

 

Img_0178熊野神社

 

Img_0182地蔵祠(右)

 

Img_0184地蔵(平成7年再建)

享保7年(1722)の地蔵は老化が甚だしく延命寺に移された。地蔵さんも老化するのだ。

 

Img_0202天満宮

 

Img_0200延命寺

前に大木がそびえ、境内にはしだれ桜の古木(写真右奥)。

 

Img_0190説明板

 

Img_0199しだれ桜

樹齢300年以上  『茨城県の桜

 

Img_0197中から

花は咲いていないが桜の精に守られているようだ。

 

Img_0196これがさっきの地蔵祠から移された享保7年造立の地蔵さんか?

たぶん違うだろう。

Img_0203旧道を鬼怒川へと進む。

鬼怒川の土手を左折して川島橋を渡ろうと思ったが、橋へは上れず引き返し天満宮の南側の川島交差点から川島橋へ出た。(【ル-ト地図】のようには歩けない。)

 

Img_0205川島橋

 

Img_0206鬼怒川(下流方向)

 

Img_0207旧家

 

 この先で結城市に入る。

Img_0210田川(下流方向)

結城百選』の62

 

 東結城駅の南側を過ぎて行く。

Img_0217人手観音堂(結城百選)

木造観音菩薩立像」(人手の観音様)

 

Img_0218説明板

 

Img_0221_20200630110601結城政勝御影堂

 

Img_0222_20200630110601結城政勝木像

ここにあるとは思わなかったが、金網張りの扉からのぞいて写真を撮ったら写っていた。だが明治時代の再建だった。

 

Img_0228阿弥陀寺

 

Img_0229曲がりくねった道を結城宿の中心部へ進む。

結城宿は『結城市の坂』・『日光東往還』にも記載。

 

Img_0236雷神社釈迦堂

 

Img_0232説明板

 

Img_0235増田遷晁文人碑(明治8年・「市指定文化財の23」)

「八九間 空で雨ふる 柳かな」(芭蕉)

 

Img_0238浦町まちかどパーク

ここを左折して行き、㈱武勇(酒店)の先で日光東往還と合流し右折する。

 

Img_0252石灯籠の追分道標(毘沙門堂前)

ここの木町交差点で日光東往還と分れ、左折して行く。

 

Img_0256道標(石灯籠の左の台石)

「向 水戸海道」 

 

Img_0257道標(右の台石)

「右 小山 左 さかい」

 

 県道264号を西に向かう。

Img_0263吉田用水(西町橋から)

南方は緑道公園になっているようだ。

 

Img_0264五助稲荷神社の赤鳥居

五助はこのあたりの字名。江戸時代までは鉄砲馬場跡と思われ、大正時代までは草競馬が行われていたそうだ。

 

Img_0268五助稲荷神社

 

新国道4号バイパスをくぐり、西仁連川を渡る。

Img_0275西仁連木川(上流方向)

坂東市で飯沼川に合流するようだ。

 

 小山市に入った。

Img_0276和談坂を上る。

今は傾斜は緩い、平凡な県道の坂だが由緒ある坂なのだ。

 

Img_0279坂標

 

Img_0278説明板

 

Img_0284中久喜城跡

和談坂の結城晴朝も後年ここに隠居し、終焉の地とも伝わる。城域はJR水戸線で南北に分断されている。(上空からの写真

 

Img_0286説明板

 

Img_0293番館坂

昔からある坂名なのか? 「洋めし家番館坂」の名だけなのか?

 

Img_0297長屋門

 

Img_0301愛宕神社参道

いい加減疲れてきた。社殿は少し離れている。車道を渡るのも面倒だし遥拝で済ます。

 

Img_0302陸橋

上は新幹線、下はJR線。ここを渡れば日光街道との合流地点はすぐだ。

 

Img_0305日光街道合流地点

 

 ここを結城街道歩きの終点とし、左折して小山駅に向かった。

Img_0306小山駅

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2020年6月29日 (月)

結城街道⑤(岩瀬駅→下館駅)

2020年6月24日

岩瀬駅(JR水戸線)・・・日比谷稲荷神社・・・岩瀬の水子地蔵尊・・・旧国道50号・・・鍬田神社・・・勝善神塔・・・(桜川)・・・元禄橋(長方排水路)・・・(北関東自動車道)・・・県道216号・・・星の宮公園・明治天皇岩瀬星ノ宮御野立所・星宮神社・・・長屋門①・・・丹宮稲荷神社・八坂神社・・・明治天皇岩瀬中和泉行在所・・長屋門②・・長屋門③・・長屋門④・・・道標・延命観世音堂(中泉観音堂)・・・上野沼・・・国道50号・・・(筑西市)・・・新治廃寺跡・(新治郡衙跡)・・久地楽神社・・・久地楽橋(観音川)・・・長屋門⑤・・・長屋門⑥・・・門井交差点・旧道・・・門井神社・・・地蔵祠・・・国道50号・・・旧道・・・道標?・・二十三夜塔・・・横塚西交差点・県道7号・・・常盤橋(小貝川)・・・勤行橋(五行川)・・・極楽寺・・・三峰神社・金井薬師堂・・・城山八幡神社・下館城跡・・・板谷波山記念館・・・田中稲荷神社・・・アルテリオ(しもだて美術館)・・・田中稲荷愛宕神社・・・羽黒坂・・羽黒神社・愛宕神社・・巽坂・タツミ二十三夜尊地蔵尊・・下館駅(関東鉄道常総線)

  【ル-ト地図

 Img_9878日比谷稲荷神社

由緒等は分からず。右に大きな聖徳太子塔が立つ。

 

Img_9882馬頭尊と地蔵の覆い屋の向こう側に岩瀬の水子地蔵尊の小祠がある。

 

Img_9887岩瀬の水子地蔵尊

しゃがんで覗き込まないと拝めない。

 

Img_9890鍬田神社

 

Img_9895桜川

 

北関東自動車道をくぐり、しばらくして国道50号から右へ県道216号に入る。

Img_9908星宮神社鳥居

ここは星の宮公園で、鳥居の左に「明治天皇岩瀬星ノ宮御野立所」標石が立つ。社殿は西側奥にあるのか?

 

Img_9917長屋門①

 

Img_9919丹宮稲荷神社・八坂神社

 

Img_9921丹宮(たんご?)稲荷神社(右)・八坂神社(左)

丹宮稲荷神社は慶安(1648~51)の頃、笠間藩主・井上河内守正利の命により行われた、上野沼から高い土地を堀抜いて低い所へ用水を流す、「逆さ堀」の難工事の責任者の海老原丹後を祀るという。鳥居の後ろに山桜の大木がそびえる。『茨城県の桜

 

Img_9925明治天皇岩瀬中和泉行在所

 

Img_9929説明板

 

Img_9931長屋門②

 

Img_9932長屋門③

 

Img_9934長屋門④

 

Img_9945延命観世音堂(中泉観音堂)

江戸時代、観音畠という所から移し祀られたという。昔は7月25日の夏祭りは随分と賑やかで、老婆たちによる百万遍念仏講なども堂内でしばしば行われていたという。左の電柱の下に道標がある。

 

Img_9942道標

「左 下館結城」・「右 谷田貝真岡」などと刻む。

 

Img_9939延命観世音塔(弘化3年(1846))

女人講中の建立

 

 道標に従い「左 下館結城」方向に進む。

Img_9957上野沼

江戸時代初期(1650年頃)に灌漑用として作られた人工沼。

 

Img_9954黒鳥

鳴き声をあげて近づいてきた。餌をねだっているのか。

 

Img_9952子連れの写真

子どもは白っぽい。

 

 国道50号に出てダンプの爆風に逆らって進んで、筑西市に入る。

Img_9963新治(にいはり)廃寺跡

整備・保存状態は良いとは言えない。基石が「平親塚」といわれていた。その中央塚の地蔵の碑には、「将門南無阿弥陀仏為将門菩提也」と刻まれていたという。 『将門散歩

 

Img_9964説明板

 

Img_9965伽藍配置図

 

Img_9968西塔跡

 

Img_9969東塔跡

 

Img_9970講堂跡

国道の南側が新治郡衙跡(大化の改新以後に設けられた郡役所の跡)で、上野原瓦窯もあった。

 

Img_9974久地楽神社

ここもちょっと荒れて寂れた感じだ。由緒などは分からず。

 

Img_9976観音川(久地楽橋から)

「一級河川終点(国道50号)」の標識が立つ。

 

Img_9979長屋門⑤


Img_9984旧家の門

 

Img_9985長屋門⑥

 

Img_9987門井交差点を直進して旧道に入る。

 

Img_9991門井神社

 

Img_9994地蔵祠

 

 国道50号に出る。

Img_0001城跡の櫓?

レストラン坂東太郎だった。

 

 左に旧道に入る。

Img_0006用水路?沿いの旧道を進む。

 この先で右折して行く。

 

Img_0010道標?

 

Img_0011二十三夜塔

 

 横塚西交差点で県道7号に出る。

Img_0018常盤橋から小貝川(下流方向)

 

Img_0025勤行橋から五行川(勤行川)(上流方向)

小貝川の支流。

 

 街道から離れ下館の町を散策する。

Img_0027古い家並み①

金井町交差点から北に三峰神社へ通ずる旧金井町筋。

 

Img_0029

 

Img_0030

 

Img_0035

 金井町交差点を西に進む街道沿いには荒川家住宅(国登録文化財)がある。

 

Img_0038三峰神社

 

Img_0040愛嬌のある狼犬

 

Img_0041金井薬師堂

藤原秀郷が金銅の十二神将を奉納したと伝える。(実際には平貞盛が奉納したとも) 大ケヤキは根元から幹が空洞になっている。

 

Img_0044説明板

 

Img_0051下館城跡・城山八幡神社

天慶3年(940)、藤原秀郷が上館(久下田城)・中館(伊佐城)・下館(下館城)を築いたのが始まりという。

 

Img_0048説明板

 

Img_0047城域図

 

Img_0059説明板(八幡神社)

本殿(筑西市指定文化財)

 

Img_0061板谷波山記念館

陶芸家としては初めて文化勲章を受章した板谷波山の生家跡の市立の記念館。「波山」は「筑波山」に因むそうだ。

 

Img_0063田中稲荷神社

平将門の夢の中に稲魂姫命が現れ、反逆を責めて改心しなければ家を滅ぼすと告げた。将門は近臣と諮ってこの社を修復したという伝承もある。

 

Img_0065説明板

 

Img_0069アルテリオ(地域交流センター)

3階がしもだて美術館

 

Img_0075田中稲荷愛宕神社

ここが田中稲荷神社の旧地。

 

Img_0073ここは白狐だ。

 

Img_0076羽黒坂を上る。

大正時代に拓かれた坂。

 

Img_0077説明板

別名の役場坂の由来が書かれていない。

 

Img_0080羽黒神社

本殿(県指定文化財)

 

Img_0082説明板

 

Img_0088大ケヤキ

 

Img_0092愛宕神社拝殿

羽黒神社の旧拝殿を移築。「木像愛宕明神立像」(県指定文化財)

 

Img_0089説明板

 

Img_0098羽黒坂(坂下方向)

 

Img_0099坂上の旧商店

 

Img_0100結城街道は右折して行くが今日はここまでとし、巽坂を下って下館駅に向かう。

 

Img_0110巽坂(坂下方向)

明治22年の下館駅誕生の際に作られた「巽」(辰巳・南東)の方向に下る坂。

 

Img_0107説明板

 

Img_0102タツミ二十三夜尊地蔵尊(巽坂の途中)

漢字の「巽」の方が有難みが有りそうだが。由来などは分からず。

 

Img_0112坂上方向

駅前だというのにここもシャッター通り商店街になってしまったか。

 

Img_0114セラミックミュージアム「海の幸」」(下館駅前)

青木繁は明治38年8月に筑西市川島に滞在し、地元住民をモデルに神話を題材とした作品を制作したそうだ。

 

Img_0116下館駅

下妻街道でここまで来たことがあるが、その先は進んでいない。

 

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2020年6月23日 (火)

結城街道④(稲田駅→岩瀬駅)

2020年6月20日

稲田駅(JR水戸線)・・・二十三夜塔など・・・(国道50号)・・・稲田神社・・・西念寺・・林照寺・・鉾田八幡宮・・国道50号・・・旧道・・・(国道50号)・・・関戸神社・・・源慶院・・・(国道50号)・・・(福原駅)・・・(国道50号)・・・常陸国出雲大社・・・(国道50号)・・・稲田川・・・大増街道バス停・・・廃堂?・・聖徳太子塔・・勝善神塔・・・(桜川市)・国道50号・・・(峠食堂)・・・旧道・・・鴨神社道標石・・・二十三夜塔など・・・(国道50号)・・・二所神社・・・・馬頭尊・・名勝桜川の桜標石・・四ッ榎稲荷神社・・稲荷神社・・・稲荷橋(筑輪川)・雨引観音道標・勝善神塔・・・(国道50号)・・・(JR水戸線踏切)・・・熊野神社・・・戸川稲荷神社・・・水戸街道踏切(JR水戸線))・・・山王神社・・・岩瀬駅(JR水戸線)

  【ル-ト地図

Img_9636稲田駅から国道52号の南側の旧道を進む。

 

Img_9637柳岡酒店

 

国道を横切る。

Img_9646稲田神社参道

 

Img_9651稲田神社

ヤマタノオロチ退治伝話で登場する奇稲田姫命 (櫛名田比売・くしいなだひめのみこと)を祀る。平貞盛が平将門を射た矢をこの社に奉納したともいわれている。 『将門散歩

 

Img_9649説明板

四神旗」(県指定文化財) 

四神剣(旗)が登場する落語『百川

 

Img_9660手摩乳命と脚摩乳命を祀る小祠(奇稲田姫の両親)

社殿前の両側の椎(手前)と杉(向う側)の下

 

Img_9664_20200622093001案内板(笠間市指定文化財)

ここから350mほどだがパスした。「木造毘沙門天立像」・「木造童子立像

 

Img_9668西念寺(稲田御坊)参道の橋を渡る。

 

Img_9669参道

 

 「西念寺境内案内

Img_9672山門

 

Img_9673太鼓堂

 

Img_9677お葉付きイチョウ

親鸞の手植えと伝えるから、樹齢800年以上か。

 

Img_9690この銀杏は今年のものか?

 

Img_9676説明板

 

Img_9705林照寺山門

 

Img_9706林照寺

茅葺の屋根

 

Img_9708説明板

 

Img_9711鉾田八幡宮へ

急に雨がパラパラと落ちてきた。

 

Img_9712鉾田八幡宮

神体の鏡?が社殿前に置かれている。由緒などは分からず。

 

Img_9716庵田米の田んぼ

向こう側は西念寺、林照寺、鉾田八幡宮の林

 

Img_9717左に旧道に入る。

 

Img_9725笠間西シンボルモニュメント(市制30周年記念)

福原交差点の手前でライトアップもされるようだが説明板などはない。

 

Img_9726福原交差点で国道を斜めに横切る。

 

Img_9728関戸神社

祭神は奇稲田姫の両親の手摩乳命と脚摩乳命

 

Img_9729説明板①

 

Img_9730説明板②

 

Img_9734今は足袋、草鞋の奉納も少ないようだ。(左)

 

Img_9732境内からの眺め

JR水戸線が通る。

 

Img_9736長屋門

 

Img_9737長屋門と蔵

 

Img_9739源慶院

 

Img_9741国道をくぐって福原駅の方へ向かう。

 

福原駅を過ぎ、北に国道をくぐって常陸国出雲大社に上る。

Img_9745出雲大社大鳥居 「境内案内

 

Img_9750拝殿

平成4年に島根の出雲大社から分霊したというからまだ新しい神社だ。

 

Img_9756龍蛇神社

 

Img_9755説明板

 

再びJR水戸線沿いの旧道に戻る。

Img_9762大増街道バス停

大増街道とはどんな街道なのか?

 

Img_9765堂と墓地(正面)

 

Img_9767廃堂のようで置き去りにされたお大師さんたちが寂しそうに座っている。

 

Img_9772勝善神塔(明治3年)

馬の守護神で、東北の奥州街道ではよく見かけた蒼前神と同じ。

 

Img_9773旧道は国道の南側に続く。

 

Img_9776両側に交通安全地蔵?の並ぶ先で国道に合流する。

 

Img_9777桜川市に入りしばらく国道歩きとなる。

このあたりは峠状になっていて、「峠食堂」の先で左に旧道に入る。

 

Img_9781旧道はやっぱりほっとする。

 

Img_9782電車(JR水戸線)もよく見える。

 

Img_9787鴨神社(鴨大神御子神主玉神社)道標(左)

「式内 鴨神社道 従是 五丁」で、ここを南に入って水戸線を越えて行った所にある。

 

このあたりは立派な旧家が並んでいる。

Img_9798門①

左前には二十三夜塔が立っている。

 

Img_9799門②

 

Img_9801門③

 

国道52号の北側に出る。

Img_9808二所神社

羽黒神社と八幡宮の二所。平貞盛が羽黒神社に平将門追討の加護を祈願したという。『将門散歩

 

Img_9811由緒碑

 

Img_9814説明板(木造狛犬

 

Img_9825名勝桜川の桜」標石

ここを曲がった北方の磯部桜川公園の桜のようだ。

 

Img_9829正一位稲荷大明神(右)・四ッ榎稲荷神社(左)

 

Img_9835四ッ榎稲荷神社

榎の大木がそびえる。地区の安全と豊作を祈念する12月15日の甘酒祭りは今でも行われているのだろうか?

 

Img_9844稲荷橋から筑輪川(上流方向)

下流は桜川に注いでいる。

 

Img_9846道標・勝善神塔(稲荷橋を渡った所)

道標は「従是雨引・・」で南西方向の雨引観音(楽法寺)への道標

 

Img_9850南方向の眺め

近所の人に聞いたら「筑波山」の男体山という答えだった。

 

Img_9857門④

 

Img_9858熊野神社参道

右が山桜の古木、左前方が「謡曲桜川」に登場する「青柳の糸桜」(3代目)のようだ。

 

Img_9862熊野神社

 

Img_9865戸川稲荷神社

意外と小さな社だった。

 

Img_9871山王神社

大イチョウがそびえる。

 

Img_9873岩瀬駅

 

 

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2020年6月19日 (金)

結城街道③(内原駅→稲田駅)

2020年6月17日

内原駅(JR常磐線)・・・内原駅入口交差点・・・三軒屋交差点・国道50号・・・内原池・・・旧道・・桜の宮ゴルフ倶楽部・史跡明治天皇和尚塚御野立所標石・(笠間市)・・・馬頭観音・・・国道50号・・・弁財天祠・・如意輪寺・・三嶋神社・・・旧道・・・(国道50号)・・・大渕天神社・・・北向地蔵・・・馬頭尊・・・旧笠間城移築城門①・・移築城門②・・・ 赤尾杉(古笠間焼き)・・・真浄寺・旧笠間城八幡台櫓・・・月崇寺・・・八坂神社・・・・大石邸跡・・・笠間日動美術館・・佐白山麓公園・笠間城主下屋敷跡・・鐘楼・・旧笠間町立美術館・・・門前通り・・笠間稲荷神社・・・笠間大橋(涸沼川)・・・石井神社・・・笠間神社鳥居・・・地蔵尊・・・(国道50号)・・・(熊野神社)・・・国道50号・・・(稲田沢川)・・・旧道・・・神田橋(稲田川)・・・石の百年館・稲田駅(JR水戸線)

  【ル-ト地図

Img_9423内原池

周りは桜の宮ゴルフ倶楽部

 

Img_9432「史跡明治天皇和尚塚御野立所」標石

近くの和尚塚には「明治天皇行幸記念碑」が立つようだ。『笠間の歴史探訪』のVol.47 「和尚塚」の地名は、諸国遊行中の高僧を葬った塚によるという。

ここは水戸市と笠間市の境あたりで、桜の宮ゴルフ倶楽部沿いの旧道を進む。  

Img_9441やっぱり旧道はいいね。あんまり長くは続かないが。

 

Img_9444馬頭観音(右)

この先で集落に入り、曲がりながら国道50号に出る。

 

国道と旧道歩きを繰り返しながら笠間の市街地へと向かう。

Img_9449廃社?

 

Img_9458廃屋

 

国道50号から北へ、花の寺・如意輪寺と三嶋神社に向かう。

Img_9461如意輪寺参道(手前)

向こう側の三嶋神社の鳥居脇に山桜がそびえる。

Img_9463如意輪寺山門

文化財も多い。

「鰐口」(茨城県指定)・

木造 阿弥陀如来坐像」(笠間市指定)・

絹本着色 愛染明王像」・「絹本着色 虚空蔵菩薩像

境内に「市原小学校跡地」(明治7年~9年)の標柱も立つ。

Img_9470三嶋神社

 

Img_9478長屋門

 

Img_9487笠間ホテルの先で国道50号をくぐる旧道

 

Img_9491大渕天神社

石段が不揃いで上りにくい。

 

Img_9492大渕天神社

Img_9496本殿(笠間市指定文化財

 

Img_9500ツクバネガシ

樹齢約700年の笠間市指定文化財

 

Img_9501北向地蔵

左右に二十三夜塔と馬頭尊

 

Img_9506長屋門

 

Img_9509笠間城移築門①

①・②とも民家の門になっている。

 

Img_9511笠間城移築門②

 

笠間の城下町、門前町に入って行く。

Img_9513赤尾杉(古笠間焼き)

 

Img_9520真浄寺

本堂前の大イチョウ

 

Img_9515旧笠間城八幡台櫓

現在は、七面大明神、三十番神、鬼子母神の三尊神を祀る真浄寺の「七面堂」。八幡台櫓のあった笠間城跡は、落語『紋三郎稲荷』に記載。

 

Img_9525三所神社

三祭神のうちの二神がえびすと大国

 

Img_9526説明板

 

Img_9527三所神社

 

Img_9531月崇寺

枝垂れ桜が見事のようだ。

 

Img_9533八坂神社

 

Img_9535旧商店

 

Img_9536武藤酒類醸造

 

Img_9539大石邸跡

赤穂浪士・大石内蔵助の曽祖父と祖父の屋敷跡。内蔵助の銅像が立っている。

 

Img_9546説明板

 

Img_9547笠間日動美術館

 

佐白山麓公園へ上る。

Img_9549笠間城主下屋敷跡・鐘楼

 

Img_9552説明板

 

Img_9554旧笠間町立美術館

 

Img_9553説明板

 

Img_9555笠間満州分村懐古之碑

笠間稲荷の門前通りに向かう。

Img_9557笠間稲荷神社楼門

 

Img_9575総門

 

Img_9558 拝殿

日本三大稲荷の一つとされている。「本殿」は国指定文化財

Img_9560きつね塚

 

Img_9565八重の藤

樹齢約400年

 

Img_9573胡桃の木(神木)

笠間稲荷神社の別称は「胡桃下(くるみがした)稲荷」・「紋三郎稲荷

 

Img_9578門前通りを西に向かう。

 

Img_9584笠間大橋から涸沼川(上流方向)

 

Img_9595石井神社

古くは樹齢数百年のケヤキが多く茂る鎮守の森だったが、現在は3本のみ。この神木の大ケヤキは元は2本だったが、包み込むように1本になった連理木で、男女・夫婦和合の象徴とされる。根元には空洞がある。

 

Img_9593説明板①

 

Img_9594説明板②

 

Img_9592根元の空洞内

奥にある神像が手前に浮かび上がっているように見える?

 

Img_9588説明板

Img_9597ここにも笠間稲荷の鳥居

 

熊野神社は通り過ぎてしまったようだ。

Img_9601地蔵さん

 

Img_9607稲田沢川

これでも一級河川だ。東に流れてすぐに稲田川に合流する。

 

Img_9609左に旧道に入る。

 

Img_9613神田橋から稲田川

北東から南東に流れて涸沼川に合流する。

Img_9615稲田は石の町

 

Img_9635稲田駅

立派な石灯籠と「石の百年館」(右側)の間の駅舎。ちょっと前に友部方面の水戸線は行ったばかりで、1時間ほどの待ち時間。駅前の日陰の小緑地?の石のベンチで昼寝して、石の百年館を見学して帰途についた。

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2020年6月18日 (木)

結城街道②(赤塚駅→内原駅)

2020年6月15日

赤塚駅(JR常磐線)・・・県道177号・・・馬頭尊・・国道50号・・・大塚池・・稲荷大明神・・白山弁財天・・・旧道・・・地蔵・馬頭観音・・・出羽三山供養塔・・・(常磐道)・・・(水戸IC)・・中根寺・・・(国道50号)・・・桜橋(桜川)・・・有賀神社標石・・・稲荷神社・・・八坂神社・・・内原駅(JR常磐線)

 【ル-ト地図

Img_9361馬頭尊

国道50号の大塚町交差点の手前の電柱の下。

 

Img_9364大塚池

冬には白鳥も飛来する「茨城百選」の景勝地。池のほとりに稲荷大明神、白山弁財天が鎮座する。

 

Img_9365稲荷大明神

 

Img_9371白山弁財天

 

Img_9373短いが並木の木陰がありがたい。

 

Img_9381地蔵・馬頭観音など

左に「水戸市民俗文化財」の標柱が立っているが、説明板などはない。「水戸市指定文化財」とは違うようだが。

 

Img_9383出羽三山供養塔・馬魂碑・二十三夜供養塔

 

常磐道、水戸ICをくぐる。

Img_9392中根寺(ちゅうこんじ)

 

Img_9395大イチョウ(中根寺)

右は摩利支天尊を祀る新田宮流抜刀の開祖の「聖剣和田平助堂」。

 

Img_9394大イチョウ

 

Img_9403大ケヤキ(中根寺)

推定樹齢約850年

 

Img_9413桜橋から桜川

一昨日、結城街道の起点近くで水門橋を渡った。

 

Img_9416有賀神社標柱

神社は北方にあるが遥拝でパス。

 

Img_9420稲荷神社

 

Img_9422八坂神社

今日は晴れて物凄く蒸し暑い。笠間駅までと思っていたがここで切り上げて、左折して内原駅に向かった。

 

 

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2020年6月17日 (水)

結城街道①(水戸城下→赤塚駅)

2020年6月8日

水戸駅(JR常磐線)・・・水戸街道との追分(結城街道起点)・・・水門橋(桜川)・水浜電車軌道敷跡・・・五本松踏切(JR常磐線)・・・国道51号・・・(JR水郡線)・・水戸学の道・・・柵町坂下門・・本城橋・・水戸城本丸跡・薬医門・・杉山門・杉山坂・・坂下稲荷神社・・・二中見晴台・・水戸城跡の大ジイ・・・水戸彰考館跡・二の丸展示館・・茨城師範学校跡・・大手門・・大手橋(県道232号)・・・弘道館・・・茨城県電気供給事業発祥の地記念碑・・・(水神宮稲荷神社)・・・水府橋(那珂川)・・・三の丸小学校・銀杏坂・大銀杏・・銀杏坂(新)・・水戸東照宮鳥居・・・三の丸濠跡・・・会沢正志斎旧宅・・・黄門さんおしゃべりパーク・・・虚空蔵坂・・虚空神社・・・紀州堀緑地・・鈴坂・・・千波西谷公園・・・千人供養地蔵・・・(県道342号)・・・偕楽園駅(常磐線)・・・常磐神社・義烈館・東湖神社・・・偕楽園御成門通り・・・御成門・・・好文亭表門・・・茨城県立歴史館・旧水海道小学校本館・・・偕楽園北口交差点・結城街道・・・沼津ヶ沢不動尊・・・東原跨線橋(JR常磐線)・新沢渡橋(沢渡川)・・・常磐大学・・・小祠・馬頭観音・・・水戸街道踏切(JR常磐線)・・・赤塚駅(JR常磐線)

 水戸街道の終点近くで北に分かれ、水戸城下から西へ、日光東往還結城宿を通り、日光街道の小山宿へ通ずる結城街道を行く。今日は水戸城下の散策で時間を費やし、結城街道歩きは少ししか進まなかった。

  【ル-ト地図

Img_9073水戸駅前の黄門さんたち

 

Img_9074結城街道起点(水戸街道との追分)

水戸街道は右折してハミングロード513をしばらく行くと終点となる。結城街道は直進して桜川を渡る。

 

Img_9077水門(みずもん)橋から桜川(上流方向)

 

Img_9079水浜(すいひん)電車軌道敷跡

昭和41年に廃線となった。

 

JR常磐線の五本松踏切を渡り結城街道から離れ、「水戸学の道」に入り水戸城下を散策する。

Img_9086水戸学の道

左に説明板

 

Img_9089棚町坂下門

 

Img_9090説明板

 

Img_9091昔の写真

 

本城橋を渡って水戸城本丸跡に入る。

Img_9098説明板(水戸城)

 

Img_9105本丸跡・薬医門

ここは水戸一高の敷地内だ。

 

Img_9102説明板①

 

Img_9101説明板②

 

Img_9104門をくぐった所から

この先の校内は立入禁止。

 

Img_9108杉山門(正面)へ向かう。

 

Img_9111説明板

 

Img_9112杉山坂・杉山門

 

Img_9113説明板

 

Img_9114坂下方向

 

Img_9133坂下稲荷神社

 

Img_9120二中見晴台への門

「二中」は水戸第二中学校のこと。

 

Img_9130二中見晴台から

那珂川を渡る水郡線

 

Img_9126水戸城の大ジイ

樹齢約400年の2株のスダジイ

 

Img_9123説明板

 

Img_9136水戸学の道

我専用の御成道のようだ。

 

Img_9140三階櫓

昭和20年8月2日の水戸空襲で焼失した。

 

Img_9137説明板

 

Img_9156彰考館跡

ここも水戸第二中学校

 

Img_9152説明板

 

Img_9160茨城師範学校跡

ここは茨城大付属幼稚園

 

Img_9158説明板

 

Img_9161大手門をくぐって大手橋から弘道館へ向かう。

 

Img_9165大手橋

下は県道232号

 

Img_9177大手橋と弘道館正門(右上)の写真

明治8年(1875)、フランス将軍ルコンテの撮影。ルコンテとはどんな人物か?

 

Img_9207正門

 

Img_9206説明板(正門)

 

Img_9175正門写真

 

Img_9172説明板(弘道館)

 

Img_9204弘道館

 

Img_9179諸役会所

来館者控えの間で、「尊攘」は徳川斉昭の命で能筆家の藩医が書いた。

 

Img_9197左近桜(右)と徳川斉昭手植えの黒松 (ともに3代目)

 

館内と庭をじっくり見学、散策した。ずっと我一人だった。弘道館を出て水府橋(那珂川)まで足を延ばす。

Img_9220茨城県電気供給事業発祥の地記念碑

ここは東電の変電所の前

 

水神宮稲荷神社を探したが、地図の位置あたりは工事中で近づけなかった。

Img_9211水府橋から那珂川(上流方向)

 

Img_9227銀杏坂上

三の丸小学校のスローガンらしい。「怒」でなくてよかった。

 

Img_9228坂下方向

 

Img_9231坂下にそびえる大銀杏

 

Img_9235説明板

 

Img_9238大銀杏

水戸空襲で黒焦げになり枯木状態になったが、逞しい生命力で復活再生した。樹齢約300年というから黄門さんの時代にはまだ生えていなかった?

 

Img_9237水戸空襲後の銀杏の無残な姿

 

Img_9240新銀杏坂(国道50号)を上る。

 

Img_9241水戸東照宮(権現さん)の鳥居

 

Img_9250三の丸中堀跡

北堀と南堀の間にある。

 

Img_9248位置図(下が北)

 

Img_9242説明板①

 

Img_9243説明板②

 

Img_9253みんな半分屋根の下の日影を歩いている。

 

Img_9256会沢正志斎旧宅跡

 

Img_9254説明板

 

南町交差点で左折し、街道沿いから離れ寄り道する。

Img_9258黄門さんおしゃべりパーク

ここは黄門さん一人だけだ。

 

Img_9262紀州堀緑地が右下に続いている。

 

虚空蔵坂を下る。(写真はうっかり取り損なった)

Img_9264虚空神社

意外と小さな祠だけだった。この神社と虚空蔵坂、鈴坂については、「レファレンス事例詳細」(水戸中央図書館)に詳しい。

 

Img_9267紀州堀緑地

かつてここにあった水戸城の外堀「紀州堀」を整備したもの。

 

Img_9266緑地図

 

Img_9270鈴坂を上る。

けっこうな急坂だ。ここは以前は釜神町で今は備前町。

 

Img_9273県営釜神町アパート

昭和28年(1953年)に建設されて、現在は入居者の募集は停止になっているというが、現住者もいないような感じだが。

 

Img_9277地蔵さん(大正7年)

台石に「千人供養」とある。供え花と雑草花に囲まれ穏やかな顔をしている。

 

この先の県道342号をくぐって偕楽園駅沿いを進む。

Img_9282御田(常磐神社)

「御田植祭り」は終わったのだろうか?

 

Img_9285常磐神社大鳥居

 

Img_9287境内図

 

Img_9288常磐神社

徳川光圀・徳川斉昭を祀る。

 

Img_9286説明板

 

Img_9291東湖神社

藤田東湖を祀る。安政の大地震で母親を守って梁の下敷きとなって死去したそうだ。「尊攘」・「忠」よりも「孝」を実践したのは偉い。他人を誉められるような身ではないが。

 

Img_9292説明板

 

Img_9295楠の切り株

常磐稲荷神社前

 

Img_9294説明板

何年の台風24号?

 

Img_9306火薬壺

 

Img_9305説明板

 

Img_9300義烈館

前が「浪華の梅」

 

Img_9301説明板

「水戸家には七人の黄門がおられました。」とある。

 

Img_9307クスノキ

 

常磐神社を出て、偕楽園御成門通りを進む。

Img_9313偕楽園御成門

 「散策マップ」 門内には梅林が広がっている。

 

Img_9318好文亭表門

本来の偕楽園の正面入り口

 

Img_9334茨城県立歴史館

今日は休館日

 

Img_9330旧水海道小学校(歴史館敷地内)

擬洋風建築の校舎は各地にある。

 

Img_9332説明板

 

Img_9336偕楽園北口交差点

やっと結城街道に戻り左折して行く。

 

Img_9339沼津ヶ沢不動尊

天明の大飢饉の頃、那珂川岸で不動明王像が見つかり、八幡神社に安置した。幕末の水戸藩の天狗党、諸生党の権力抗争で、寺社などの焼討ちが相次いだ。不動明王像は泉町の小泉平兵衛に預けられ、明治になって当地に堂を建て安置したという。『みとぶら』より

 

東原跨線橋(JR常磐線)を越え、新沢渡橋を渡って行く。見所はなく足早に進む。

Img_9349新沢渡橋から沢渡川(下流方向)

双葉台第1調整池を源流として桜川へ流れて行く。

 

Img_9354左に祠、先の空き地に頭が三角にとんがった馬頭観音

このあたりは「姫子」という地名だが、由来が分からない。

 

水戸街道踏切を渡って常磐線の北側に出て赤塚駅まで進んだ。

Img_9359赤塚駅

常磐線の鈍行は途中から高校生たちが乗ってきて、少し密状態?だった。

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2020年6月10日 (水)

市原市散歩③

2020年6月6日

五井駅(JR内房線)・・・更級通り・・・上総更級公園・・・阿波須神社・・・大宮神社・・・(館山自動車道)・・・根田神社・・根立寺・・・御林公園・・・飛天坂交差点・・・国分寺中央公園・・・坊作遺跡(上総国分尼寺政所院推定地)・・・国分寺通り・・・稲荷台通り・・稲荷台1号墳・・・上総国分尼寺跡・展示館・・天王神社・祇園原貝塚跡・・・上総国分寺・将門塔・上総国分寺西門跡・・・神門5号墳・・・雷電池・弁財天祠・・・道祖神・・戸隠神社・・本郷坂・・・(更級通り)・・・国府橋(?川)・・・村上3号踏切(小湊鉄道)・上総村上駅・・・観音寺・・・村上城跡・・・(館山自動車道)・・・白幡神社・・・八幡道踏切(小湊鉄道線)・・・白蛇弁財天・・・平成通り・・・更級通り・・・五井駅

  【地図

Img_8911更級通り

はるばると平安京へ帰る13才の娘の旅姿。今年(2020年)は「更級日記」の著者の菅原孝標女(すがわらのたかすえのむすめ)が、父の上総介としての任期が終わり帰京する、寛仁4年(1020)から千年目に当たる。市原市では「更級日記千年紀」を企画したが、コロナ騒ぎでどうなったか。

Sarasina彼女とは「竹芝の坂(聖坂)」、「足柄山」で時空を超えて会っている。

「今はむさ しのくにになりぬ。・・・いかなる所ぞととへば、 「これは、いにしへ たけしばといふさか也。・・・」

あしがら山と いふは、四五日かねて、おそろしげに くらがりわたれり。やうやういりたつ ふもとのほどだに、そらのけしき、はかばか しくも見えず。えもいはずしげり わたりて、いとおそろしげなり。」

Img_8912更級公園

Img_8915修景池

Img_8916阿波須神社

治承4年(1180)、石橋山の合戦で敗れた源頼朝が房総に逃れた際、当所に阿波須権現を勧請したと伝える。

Img_8918大宮神社

館山自動車道をくぐって行く。

Img_8924根田神社

平将門の乱に際し、藤原秀郷が祖神・天兒屋根尊に戦勝祈願した。戦勝後の天慶4年(941)、当地に祖神の神霊を奉斎し、当寺を建立したという。器物損壊事件の「警告板」が掛かっていた。

Img_8930根立寺

Img_8933御林公園

五井藩の林でもあったのか?

Img_8935飛天坂①(坂上方向)

飛天坂交差点へ北東に上り、交差点を横切って北東に下る坂。「飛天」坂とは上総国分寺に由来する坂名か?

Img_8939坂下方向

Img_8938飛天坂②(坂下方向)

飛天坂交差点から北西に下る市役所通り。

Img_8942国分寺中央公園

上総国分尼寺跡を通り越して、坊作遺跡から稲荷台1号墳に向かう。

Img_8946坊作遺跡

「上総国分尼寺政所院推定地」の標柱が立っているが、説明板などは見当たらなかった。

Img_8956国分寺通り

上り坂で蒸し暑さが堪える。

Img_8954稲荷台通り

「王賜銘鉄剣」のモニュメント

Img_8952稲荷台1号墳(1/3に復元)

Img_8950説明板

王賜銘鉄剣は「市原市埋蔵文化財調査センター」に保存されていると思っていたが、複製品だそうだ。暑い中を行かなくてよかった。調査団の個人が猫糞して占有しているようだ。「出土品返還問題」。長い間、放置していた市も怠慢だろう。

Img_8944上総国分尼寺跡展示館

土曜だというのに見学者は我一人、開店休業状態だ。

Img_8976総国分尼寺中門・回廊(復元)

説明板

Img_8968回廊

Img_8970回廊内側・燈籠と中門

Img_8971金堂基壇 

基壇のみ復元されている。「説明板

Img_8981天王神社・祇園原

このあたりは平将門が京の祇園の八坂神社を勧請した地という。天王神社・祇園原貝塚跡のあたり一帯で、根田字祇園原といった。

Img_8984由緒碑

Img_8992上総国分寺(現)

Img_8996薬師堂

Img_8993説明板

Img_9003仁王門

背後に大イチョウがそびえる。

Img_9001説明板

Img_8998大イチョウ

Img_9008将門塔

これが昨日の平親王山にあったという古碑(宝篋印塔)

Img_9004説明板

Img_9012西門跡

将門の乱で堂宇は灰燼に帰したという。

Img_9010説明板(上総国分寺跡)

Img_9011説明板(西門跡)

Img_9015神門(ごうど)5号墳 全長約43mの前方後円墳。3世紀前半の築造で東日本最古の古墳という。

Img_9017説明板

Img_9019神門古墳群墳丘推移図

5号墳→4号墳→3号墳の順で築造されたと考えられている。

Img_9027弁財天石祠

右は移設碑

Img_9032雷電池

Img_9033新旧道祖神

Img_9034戸隠神社

ここの地名は惣社で、上総国の総社にあたると推測されている。上総国府跡が近くにあるとする説もあるが、遺構などは未発見。

Img_9036拝殿

Img_9035内部

石段下あたりで色鮮やかな蛇がくねくねと排水溝へ身を隠すように入って行った。上からのぞくと鎌首をもたげて威嚇された。さっきの弁財天のお使い姫か。今日はこの後も蛇に縁のある所を訪れる。

Img_9043本郷坂を下る。

戸隠神社の丘(写真右上)が本郷古墳群だそうだ。

Img_9041坂標(昭和63年設置)

更級通りを横切って西へ小湊鉄道の方へ向かう。

Img_9054小湊鉄道線

少し待っていたら2両の電車が上総村上駅に入って来た。

Img_9056観音寺

Img_9058村上城跡あたり

説明板などは見当たらなかった。信州から来た村上氏の居館跡か。

再び館山自動車道をくぐり、小湊鉄道線の踏切を渡って五井駅に向かう。

Img_9065白幡神社

ここも石橋山の合戦で敗れた源頼朝ゆかりの神社。「遷宮記念碑

Img_9068白蛇弁財天(右)・蛇幸魂和霊(左)

Img_90692今夜は「蛇の夢」を見るかも。それも一番の吉夢という白蛇の夢だといいが。

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2020年6月 9日 (火)

市原市散歩②

2020年6月5日

八幡宿駅(JR内房線)・・・(館山自動車道)・・・若宮通り・・コーロ塚(高呂公園)・・・菊間八幡神社・・新坂・・・戒誓寺・・・千光院・・・大六天神社・・・菊間通り・・八坂神社・・・馬坂公園・・古市場橋(村田川)・・姫宮公園・・馬坂・・福寿院・・・姫宮古墳・・・北野天神山古墳・・・東関山古墳・・・平親王山・塔の坂跡あたり?・・菊間新皇塚古墳跡・・・菊間水再生センター・・・菊間天神山古墳・・・(館山自動車道)・・・高島橋(村田川)・(千葉市中央区)・・・神明神社・・・(東京環状道路)・・・浜野駅(JR内房線)

  【地図

Img_8793コーロ塚

各地にあるダイダラボッチ伝説のひとつだろう。

Img_8792説明板

Img_8797デーデーッポの卵?

ただのガスタンク

Img_8812菊間八幡神社参道

両側の樹木が伐採されている。

Img_8803社殿

Img_8807保存樹のイチョウ

朽ちかけて凄まじい姿になっている。

Img_8819カラスが頭上近くを、「カアー、カアー」と何度も旋回して不気味だ。縄張りから追い払おうとしているのか?

Img_8820新坂を上る。

明治初期に造られた新しい軍用道路。

Img_8821説明板

Img_8822坂上方向

Img_8823戒誓寺

Img_8832千光院

Img_8834大六天の鳥居

大木の右下奥の方に上部が見える。

Img_8836大六天神社

由緒など分からず。

Img_8848八坂神社への坂

坂上に鳥居が立つ。

Img_8845八坂神社

小さな社だった。

Img_8867馬坂公園

Img_8851古市場橋から村田川(下流方向)

Img_8867姫宮公園

ここから姫宮古墳へ上れるというが、金網フェンスが張めぐされて、扉の所も鍵が掛かっていて入れない。フェンスをよじ上ろうとも思ったが、時間もあることだしゆっくり馬坂を上って迂回路を探すことにした。

Img_8858馬坂を上る。

Img_8865福寿院

Img_8870姫宮古墳

菊間古墳群の6世紀築造の全長47m(説明板は51m)の前方後円墳。

Img_8871説明板と標石

やっとここにたどり着いた。

Img_8872説明板

Img_8873菊間古墳群位置図

Img_8887北野天神山古墳(権現山古墳)

5世紀末頃築造の全長約90mの前方後円墳。標柱では全長41mの円墳とし、前方後円墳の可能性もあるとする。

Img_8879標柱

Img_8883東関山古墳

5世紀後半の全長約61mの前方後円墳。

Img_8885標柱

Img_8889竹林の間の坂を村田川まで下る。

これが平親皇将門が菊間に居城を作り北野と称し、平親王山の麓の坂を「塔の坂」と呼ばせたりしていたという伝承地あたりか。かつて竹藪の中に将門の供養碑という古碑があった。土地の人が風邪をひいた時、碑頭を下ろし平親王に祈願した。快方に向かうと碑頭を元に戻して、御礼したという。この古碑は宝筐院塔で、現在は上総国分寺の仁王門前にある。将門の時代の物ではないが。次回に訪ねる。『将門散歩

Img_8893菊間新皇塚古墳跡あたり

4世紀後半の前方後円墳だった。

Img_8898菊間天神山古墳

5世紀末築造の全長約40mの前方後円墳。将門の乱(承平天慶の乱)の首謀者の一人、興世王の屍を埋めた所という伝承もある。

Img_8899説明板

Img_8901天神祠

蒸し暑い中、樹木や雑草に覆われ、藪蚊と蜘蛛の巣を払いながらの古墳巡りは疲れた。村田川沿いを進み高島橋を渡って千葉市に入り、神明神社に寄り浜野駅に向かった。

Img_8906神明神社

Img_8907社殿

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2020年6月 8日 (月)

市原市(千葉県)散歩①

2020年6月4日

姉ヶ崎駅(JR内房線)・・(房総往還)・・・妙教寺・・・(久留里街道)・・・姉埼神社・・釈迦山古墳・・・ぼらぎ坂・・・宝蔵寺・・・姉崎天神山古墳・菅原神社・・・円能寺・・・鶴窪古墳・・・堰頭古墳・・・六孫王原古墳・・・川間橋(椎津川)・・・椎津稲荷山古墳・稲荷神社・・・鶴牧藩陣屋跡(鶴牧城跡)・藩校修来館跡・・大手橋(椎津川)・・・姉崎陣屋跡・稲荷神社・・・姉ヶ崎駅

  【地図】 *参考「房総の古墳を歩く」(芝山町教育委員会)

 市原市は古代の上海上国の国造や豪族の古墳群の地で、王賜銘鉄剣を出土した稲荷台1号古墳もある。                           律令制下の上総国府では上総介として、平将門の祖父・高望王、叔父・平良兼や、「更級日記」の父親の菅原孝標も活躍した。平将門の伝承地も多い。

Img_8665姉崎だいこん

「大根は練馬に限る」、ではない。「世界に誇る」とはたいした自信だ。

 

Img_8666房総往還を横切る。

前方は妙経寺

 

Img_8669久留里街道(県道24号)を横切る。

ここは五井で房総往還と分かれた久留里道。木更津で房総往還と分かれる久留里道は歩いた。

 

Img_8673姉埼神社

ここから163段の石段を上る。石段下には長寿の霊泉が湧いているようだ。

 

Img_8675姉埼神社

天慶3年(940)、朱雀天皇から平将門追討の祈願が寄せられ、刀剣一振が奉納された。

 

Img_8678拝殿内部

 

Img_8682釈迦山古墳(姉埼神社境内)

姉崎古墳群」の全長86mの前方後円墳、4世紀~5世紀の築造と考えられる。墳丘上に小祠が立つ。

 

Img_8681山門から出る。

 

Img_8686ぼらぎ坂を下る。

坂名の由来は、①姉埼神社で行われていた流鏑馬(やぶさめ)に使われる「鏑矢(かぶらや)」が転化し「ぼらぎ」となった。 ②この坂に「祠(ほこら)」がありそれが転化した。

 

Img_8688坂下方向

 

坂の途中で右折し、東方向に進む。

Img_8694宝蔵寺

姉崎天神山古墳への標柱が立つ。

 

Img_8696姉崎天神山古墳

4世紀後半の築造と考えられる全長119m(復元値130m)の前方後円墳。

 

Img_8698菅原神社

雑草に覆われた前方部の上。背後の後円部は高くなっている。

 

Img_8697説明板

 

Img_8691寺っぽくない円能寺の前を通り、鶴窪古墳に向かう。

 

Img_8704鶴窪古墳(前方部)

6世紀後半の築造と考えられる全長60mの前方後円墳

 

Img_8714前方部上から後円部

後円部は前方部よりかなり低く小さい感じだ。

 

Img_8710説明板

 

Img_8717後円部

 

Img_8721両側は低い台地上の道を進む。

 

Img_8725堰頭古墳

全長46mの前方後方墳、7世紀初頭の築造というが、林に覆われ、不法投棄禁止の看板が立っているだけで説明板などはなく、中には入れない。

 

Img_8727右が堰頭古墳

 

Img_8742六孫王原古墳

7世紀後半の築造と考えられている全長45mの前方後方墳。ここは墳形が残っている。「六孫王」原とは平将門討伐軍の源経基にちなむ地名か。

 

Img_8736説明板

 

Img_8746前方部と後方部の中間あたりの大木

 

Img_8751椎津川沿いを行く。

対岸は姉崎保健福祉センター「アネッサ」

 

Img_8758椎津稲荷山古墳

「房総の古墳を歩く」には載っていない。石枕が出土した伝承があるそうだ。この下あたりが集落遺跡の椎津茶ノ木遺跡か? 

 

Img_8769古墳上の稲荷神社への階段がついている。

直径40m、高さ5mの円墳というが、前方後円墳のようにも見える? その先には庚申塔などの覆屋がある。

 

Img_8768稲荷神社

 

Img_8767庚申塔(左端・享保4年(1719))・地蔵(寒念仏講中・右端・宝暦7年(1757))など

 

Img_8774鶴牧藩陣屋跡

ここは『房総往還③』で訪れている。ソテツの下に新旧の「史跡 鶴牧城跡」の標柱が立つ。

 

Img_8777大手橋から椎津川(下流方向)

 

Img_8783姉崎陣屋跡あたり

江戸時代初期の姉崎藩の13年間の陣屋跡

 

Img_8779路地奥の稲荷神社

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