東高野街道③
2012年1月4日
安堂駅(近鉄大阪線)・・・竜田越奈良街道合流地点・・分岐地点・新大和橋(大和川)・(藤井寺市)・・・近鉄道明寺線踏切・・・国府八幡神社・・・地蔵堂・・・長尾街道交差地点・・土師ノ里2号踏切(近鉄南大阪線)・・・道明寺・・・(西名阪自動車道)・・(羽曳野市)・・(国道170号)・・・応神天皇陵陪塚・・・道林寺・・・誉田八幡宮・誉田林古戦場址・・・国道170号・・道明寺8号踏切(近鉄長野線)・・・蓑の辻(竹内街道交差地点)・・・古市4号踏切(近鉄南大阪線)・・・古屋橋(大乗川)・・・姥不動明王・・城山交差点・・旧道・・・高屋神社・・・(南阪奈道路)・・・(富田林市)・・・喜志交差点・国道170号・・・美具久留御魂神社御旅所・・・中野町3交差点・旧道・・・(府道705号)・・・富田林寺内町(山中田坂・亀ケ坂・山家坂・向田坂)・・・(国道170号)・・(近鉄長野線ガード)・川西駅・・・(国道309号)・・・大峯三十三度満願塔・・・(滝谷不動駅)・・・道標・・・滝谷不動2号踏切(近鉄長野線)・・・国道170号・・・錦織一里塚跡・・・滝谷不動5号踏切・旧道・・・(河内長野市)・・・孝子地蔵・・・火除地蔵など・・・国道170号・・・旧道・・・極楽寺・・極楽寺橋(南海高野線)・・・西高野街道合流地点①・・・割坂・・・西高野街道合流地点②・・河内長野駅(南海高野線・近鉄長野線)
【ル-ト地図】
時々小雨のぱらつく寒い中を、西高野街道との合流地点の河内長野駅前まで行く。「旧家の博物館」という富田林寺内町は、坂もあり散策しがいがあった。寺内町を抜けたあたりで風が強まり、一時雪が舞ってきたがたいしたこともなく、以外に早く河内長野駅に着いた。明日は堺から西高野街道をここまで歩く。
*この先、高野山までは『高野街道①②』へ続く。
写真をクリックすると拡大します。
竜田越奈良街道と合流して、すぐに分かれて行く。
中甚兵衛像
大和川の付け替え工事に奔走し、工事を指揮した今米村の庄屋。
後方は允恭天皇陵
左に道標「右 道明寺」
菅原道真の祖の土師氏の氏寺の土師寺。道真の死後、道真の号「道明」に由来する寺名に改められた。
応神天皇陵の陪塚
左の道標(天保9年(1838))には「右 道明寺 玉手 ○○ 左 八尾 久宝じ 道」
このあたりは南北朝、室町、戦国時代の合戦の舞台となった地。薄田隼人は大阪夏の陣で境内に陣を置き出陣し、道明寺付近で討ち死にした。西名阪道の南側に墓がある。『薄田隼人の墓』《地図》 また「狒々(ひひ)退治」で有名な岩見重太郎と同一人物とされ、四国札所の第24番最御崎寺に五輪塔の塚がある。『四国遍路道(高知県③)』
直進が東高野街道、右から左が『竹内街道』で、渡った左側に道標が立つ。
「左大和路」「右大坂」
姥不動尊 《地図》
かつては高屋城の守護神で、その後は東高野街道の往来人の道祖神という。
このあたりは高屋城の二の丸跡で、碑と説明板が立っているというが気づかず。
ここも高屋城の一画だった。
道標には「左 ふじ井寺大坂
右 誉田道明寺京」
社殿はかなり西方にある。
府道705号を渡り富田林寺内町へ入る。
石川の方へ右から、山中田坂、亀ケ坂、山家坂、向田坂が下っている。
山中田坂 《地図》
左は富栄戎神社
まだ営業しているのだろうか?
中央に「かめがさか」の坂標
屋号「布屋」の呉服商だった。
明治時代の杉山家の長女で歌人
屋号「佐渡屋」の酒造業だった。
「左 ふじい寺」・「右 まきのを 高野山」、さらに「町中 くわへきせる ひなわ火 無用」と町内の火事予防も兼ねている。歩き煙草は昔も今も厳禁なのだ。
正面は勝間家住宅
山家坂 《地図》
民家の敷地内になっている。
ここまでで遠慮した。この先、道が続いているのかは未確認。
左に向田坂(こうだざか)を下る。《地図》
雪が舞ってきた。ここはもう寺内町を抜けているが旧家が並んでいる。
川西駅手前のそば屋で昼食休憩とした。店を出ると雪は止んでいた。川西駅のガードをくぐり、近鉄長野線の西側の道を南下する。
道標にもなっている。
南東に日本三不動の一つの滝谷不動尊がある。
この先の辻に神南辺隆光の建てた道標が立つ。
道標(文政11年(1828)) 《地図》
道標を立てた神南辺隆光は、鋳物師で素行が悪く、嫌われ者だったという。その後、悟って仏門に入り、橋を架けたり道標や地蔵を建立した。河内から大和、紀伊に至るまで道標、社寺の石碑に彼の名が刻まれている。『竹内街道』・『熊野古道(紀伊路⑧)』
滝谷不動2号踏切を渡って国道170号に出る。
塚上の承応2年(1653)と刻まれた宝篋印塔が立つので、塚はそれ以前に築造されたと考えられる。
滝谷不動5号踏切を渡り旧道に入る。
道標も兼ねている。
ここから街道は左右2つの道筋が考えられるそうだ。 《地図》
はじめに①右の道筋をたどる。
「三笑橋」碑が立つ。極楽寺橋のことなのか?
延命子育地蔵・常夜灯など。
割坂を下る。《地図》
西高野街道合流地点② 《地図》
裏面は英語版
*********②の道筋*************
少し古い家並みが残っている道を行く。この先で西高野街道との合流地点②に出る。
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